沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩160 その5

2010年08月19日 12時44分48秒 | 政治論

 アメリカの内戦南北戦争を、例えば正義の戦争という場合、リンカーンのゲチスバーグの演説に見る理念について、客観的に見て「正義」と名づけうると判断してもさほど異論はあるまい。彼は、現在民主主義といわれる理念の最初の定義を行い、その政治的位置づけをした。この理念が日本国憲法前文「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであってその権威は国民に由来しその権力は国民の代表者がこれを行使しその福利は国民がこれを享受する」という一節になったが、南北戦争の基本的な意味は、奴隷解放や合衆国統一などあっても具体的にはやや複雑で、所詮その戦争としての罪過は、南北併せて60数万にのぼる最悪の死者数を出していることからも言えるが、いかに正義の戦争といえども苦しむのは一般民衆であり、一般兵士であり、犠牲になるのは真っ先にかかる立場の弱い部分に集中するということだ。正義の戦争を肯定する大概の論陣はトータルな戦争現実を直視せず、いたずらに危機感を煽り、しかも軍事専門家でもないのに軍事的戦略的視点から物申す愚を犯して倦むことがない。見て来たような嘘をいい、という国防に関する素人の数多の意見を聞いていると暇人がよういうわ、とでもいうしかない。(つづく)