徳川260年の幕藩体制は、黒船来航という外圧に遭って上を下への大騒ぎを繰り返し、国内不平反乱分子との確執の中、何ら目新しい方策も講じえないまま、「大政奉還」という政権投げ出し無責任体質を曝け出したまま「王政復古」に取って代わり、その実質的終焉を迎えた。この時代の政治理念の主流を占めたのが「尊王討幕」であり、要は支配者の首のすげ替えという手段による新たな階級社会の構築に他ならない。それが、主に権力者の政治責任仮託媒体と化した「天皇中心主義」の国家主義であり、皇国史観という名の神話的不合理を戴した国家観であり、土着せざる非民俗的な国体という砂上の楼閣であった。
つまりこの旧体制の終わり方は、歴史的に必ずしも本質的なものではないということが、その後(明治大正昭和)のこの国の歩みの中に明々白々な史的実態を示していた。これを正統派歴史書は「跛行的近代化」とはっきり書いている。しかしこの国の近代・現代を論じるにあたって、かかる歴史的性格に対して明確なアプローチをする本質的な試みを、敢えて為すべき必要性に言及する論陣は実際希薄なのだ。そしてそのことが、この国の、発育不全な実態を根扱ぎで変える流れを作り出せない、重大な質点となっていることは言うまでもない。
この国の近代化は、先ず「封建遺制」の打破と門戸開放というアイテムのクリアから始められた。「封建遺制」の打破とは大きくは旧階級的疎隔解消にあり、「四民平等」理念の実践として具体化する。門戸開放とは、「鎖国」の打ち切りによる「世界」的視点の開眼であり、諸外国との外交という政治アイテムを付加することだ。
ところが、かかる「近代化」の実質的担い手は、(農工商に属した平民なる民衆でなく)旧支配階級である武士階級の中の下層部分(上層階級の中の不平分子としての下級武士)であり、元々支配階級である公家出身の知的特権階級に属する者たちであった。これがこの国の近代化の「跛行性」を(精神的にかつ感性的に)彩色し、改革の本質的な矛盾として徐々に確実にその病根を浸潤させていったわけで、その急先鋒が伊藤博文の手になるこの国の「官僚機構」(民意から乖離する官尊民卑のエリート集団)であり、その後の帝国日本を破滅への道に導いた(と同時に現在も残存し続ける)実質的責任媒体と言える。
よくいうように、明治維新は残念ながら市民革命ではないし、民衆的なエネルギーの発露でもなかった。つまり民衆的幼弱さ(国民が国の歩みに実質的な関与をせず、また、国の中で主体性を持たないということ、あるいは奴隷的従属性に否応なく押し込められること)を孕みながら、国として展開するこの「跛行性」がこの国の近代化を悲劇的不健全さに落とし込んだということになる。
明治新政府は、この国の決定的な資源不足、市場の狭隘、という持たざる国の実情に鑑み、おのずと資源の確保、市場開拓という必要性に迫られ、日清(1892年)・日露(1904~1905年)戦役など通じ軍事力を増強拡大化しこれを背景として、殖産興業、富国強兵の矛先を先ずは琉球島嶼と大陸半島に向け、琉球分捕り(処分1872年)と韓国併合(1910年)を実践した。この流れは思潮としてのちのちの大陸進出侵略に繋がっていく。この国の覇権主義は第一次大戦後の経済危機(恐慌)、強国化の過程での欧米との確執など悪条件が重なり、次第にアジア的孤立化と枢軸国への接近が顕著となっていく。
近代化以降、「持たざる国」の悲哀がこの国の資本主義を帝国主義的覇権主義に駆り立て、領土的拡張という蛮行を通じて枢軸国共々破滅への一途をたどったわけだが、それでは如何なる仕儀がこの国をまともな道に立たせ得たのか?何故それがこの国にはできなかったのか、向後それはできることなのか?その実質的主体者である国民民衆に関し、柳田邦男は、民衆的絶望を論う識者に「私は希望はあると思う」とだけ言っていた。(ここまで大雑把に日本の近代史を眺めてみた。勿論私見による雑史に過ぎない。)
ここで沖縄移住者の筆者は、これに関連して何気に沖縄の事、辺野古問題の事を想起する。国家方針と国民が明らかに対立する事案としてそれはある。そしてみたところそこには多くの場合、国家国策実現手段が、超法規的にあるいは正確には脱法的に為されていると断じなければならないものがある。民衆的絶望を規定事実のように扱って「国が何をしても日本では特に沖縄では!決定的な大衆運動は起こらない」とばかりなし崩しに強行されているということ。その現実が何年にもわたって持続されかつ今も盛んに進行しているということ。
何年にもわたって....ということは、民衆的絶望という風景、環境にもかかわらず沖縄の民衆的意思は変わらず息づき国への抗議、抵抗を続けているという事実を明確に示していると言える。だから沖縄に関してはまさに「希望」があると言えるのだし、歴史的にはガンジーの言うように「愛と真実が必ず勝利する」ということが言えるわけだ。このことは自己内奥の「不安と臆病」(民衆的政治的絶望)との闘いを通してのみ民衆運動は果実を得るという意味になる。何故なら、国家的外圧が目掛けるのは必ず民衆分断であり、民衆が決裂するのはその心内に「不安」を抱き、かつこのまま反対運動に進むことに臆する気持ちが芽生えるからだ。当然国家は論理的筋立てでの国策推進など鼻にも掛けない。日米同盟の在り様を論えばその幻想的な筋立てをすっぱ抜かざるを得ないのだが(沖縄問題はこの国のここまでの在り様から確実に民族問題と措定すべきであろう。従ってその解決手段は琉球独立という一手以外思いつかない)。
さて、それはさておき今の国会中継を見ていると、総務大臣が自己弁護を先どって、聞かれてもいない自身の行動の予定心証を述べるという、愚かしい過誤を犯していた。事実に対する是か非かという問いに、法的な言い訳になる倫理規定(大臣規範)違反の有無を答えるという過誤だ。その先で必ず聞かれ突かれるだろうと予め自己弁護したわけだが、弁護するというのは国民の疑念の対象に自ら身を置いたという事実に立脚するわけで、そのまま、事実を認めたという意味にしかならない。しかもその後実際にその事実が判明した(文春砲)わけで、その後も幾重にも自己弁護の網を張り巡らして国民の目を欺こうという心根が見え透いていた。
アベスガイズムの、腐臭に満ちた毒気を体現した三流政治家(三下奴)の誹りを免れまい。安倍・菅内閣通し、その構成員である彼らの保身・権力固執のさがは度し難いレベルに達している。又、官邸に人事権を握られた官奴(奴隷官僚)たちは揃いもそろって醜悪な欲得業務(自身の身分保全だけ目掛ける)を横行させ、全く恥じるところがない。確かにこの国の土性骨は腐りはて、行きつく先の薄闇を予感して民衆的絶望の底深さばかり痛感させられる。これが本土を覆う政治的絶望の惨状の一端だということ。
再び繰り返せば、自公政権の選挙における得票数は、全有権者数(有効投票数に棄権数をそのまま加えた数)に対して2割強程度の割合でしかない。これに対して与えられた議席数が有無言わさず過半を占めるというのはどう見ても不当で過当であろう。この実質的な支持率を反映しない国会という場で多数決原理をそのまま適用すれば、当然に議決の方向が偏向すると言わざるを得ない。
この安倍・菅体制では、稟議を尽くさず強行採決の場面が横行している。自公政権側から内部告発的に造反議員がでてもおかしくないのだが、それさえほぼ皆無に近い。かくしてこの国の代議(議会)制民主主義は、(国民を)代議せざる議員たち(議席を過重に得ている議員たちの総体)の恣意的、党派的あるいは私家政治的な政治環境のもとに、自公政権のような保守主義的旧態依然の国政実態がいやがうえにも蔓延ることとなる。
この国の歴史的展開を眺めると、この国の民は国策の犠牲者以外ではなかったし、今後もその頸木を免れない。先の大戦を歯止めの効かない在り様で経過したのも、かかる現今政治的絶望を無力にかこつのも、どうやらこの国の民の運命とでも形容するしか言い様がない。我々はいつまで、この果てしのない泥沼にのたうつ自身の運命を甘受しなければならないのか?いつまで米国従属の敗戦国縛りに苦しめられるのか。
大震災も原発事故も原爆体験もコロナ禍も自然災害の猛威も、この国を根本で変えることは出来ないのか?この期に及んで未だオリパラ開催に前のめるこの国は、到底人間の住める国ではない。(つづく)