沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩の終わり スガイズムの行方と沖縄琉球

2020年10月06日 10時42分02秒 | 政治論

 時代錯誤の疑似挙国一致内閣(但し手口は詐欺に等しい)というべきであろう。朝日新聞の9月の世論調査では菅内閣の支持率、実にあらゆる世代で7割近い数字を叩き出している。勿論男女を問わない。これはこの国の民が総論的に自公政権をこの国のかじ取りとして過半以上承認したということになろう(菅首相自身への実質的な支持ではない)。つまり、今後各論的に無数の問題が恐らく奔出するとしても、前内閣同様に「他に適当な者がいない」という理由で、変わらず高支持率を献上する状況が続く。この国の民の性向は少しも変異しない。飼い馴らされた状態が続く。

 安倍晋三は側用人政治で(自律性を損ない)墓穴を掘り、難病再発を隠れ蓑に、コロナ禍の責任所在も不明のままうすぼんやりと表舞台から消えたのだが、安倍に特徴的な私家政治のグレイゾーン(もりかけさくら)を横目に見ながら、同時に菅独特の(前内閣批判に対する)「責任回避」的手練手管で、当代のメデアマスコミが不作為に(無責任に)音響高く奏でた、「たたき上げ」の純血種イメージ(勿論実質嘘である)で身を固めつつ、首相となったら「行政府の長」(司法でも立法でも彼は長でない)たる大権!を何気にふりかざして(司法も立法も踏み倒して)、前内閣で存念なく発揮していた「陰の実力者」然と、表舞台でもそこ気味が悪いほど陰険で陰湿な政治的画策に辣腕を振るうのであろう(彼の学術会議に関する法解釈には詐欺師の発想しかない、まさに法の精神を閑却して抜け道だけを追求する現政権の体質そのものだ)。

 このように、この自公政権によってこの国がどこまで回復不能の国柄に落ちぶれるかは最早わからないというしかない。ただ、必然にアナクロニズム(戦前回帰、神の国論)に覆われている自公政権下の政治がまともに諸方面で実体のある成果を上げるものとは思えない以上、野党は結束して彼らの失政予定施策につき糾弾、弾劾、抗議行動を繰り返すことだ。これは辺野古闘争の本土版であり、未来にわたって改変しがたい永久敗戦実質を少しでも突き崩し、「人間」の住む時空を確保するための劇的な精神の闘いといえる。

 辺野古闘争は(異国の軍隊のための)半永久的軍事施設を郷土の陸海空に決して出現させてはならないという、反戦、非戦、厭戦に覆われた沖縄県民の強い意思によって絶え間なく続けられている。それは他の都道府県でここまで行われてきた国策への反攻とは明らかに一線を画す。県はこれまで一度として、日米の政府が戦中戦後強行してきた基地建設を自ら望んだことはない。全ては彼らの強制と民意蹂躙によって行われてきた。この菅などはどうやらあけすけに、振興策と基地問題をリンクさせることにためらいを見せない(論理的でない理由で政策実現を図るのは詐欺師のやり口で、到底品位ある未来を期待できないのは当たり前だ)。しかも振興策といって、当初の、戦後国内インフラ整備が進められる過程で遅れて県がこれに加えられたにすぎず、他の自治体に比しても格段に莫大な予算を得ているわけでもない。「沖縄返還なしには戦後はない」という佐藤栄作の掛け声で1972年所謂「祖国復帰」は成ったが、基地は存続、核密約、地位協定、と、本土政府が実現させたのは敗戦国の従米主義に沖縄を軍事的に利用しただけの、ここだけ「日本国憲法」が通用しないアンタッチャブルゾーンを設えた話に他ならなかった。

 繰り返せば、沖縄の経済は基地経済で持っているわけでもなく、そのシェアは5%程度に過ぎず、剰え、返還成った基地跡地の利用状況は膨大な経済効果を実証している。つまり、本島中枢部分(本島の2割弱)を占拠している米軍基地がなくなれば、沖縄の財政は本土依拠のそれに代わり完全に独立的に賄えるものと証明されたわけだ。

 「辺野古唯一」を馬鹿の一つ覚えに吠えているこの国の政官業学一切は、おのれらの思考停止状態を詐欺的に糊塗するためにのみこれを言い続けているわけで、彼らの中には沖縄問題に関する論理的説明が可能な者など一人としていない。

 スガイズムは、いずれにしろ理論のない国家主義(超国家主義)であり、憲法精神を180度ひっくり返し、主権を国民から奪い去って、より鮮明な奴隷状態を現出させるものだ。但し、こういう彼らの奇妙な政治的野心は必ずナチズムに似て、合法性を強調しながら、従って国民の目をくらましながら、「粛々と」執り行われ実現されるものと覚悟しなければなるまい。(つづく)