沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩596 沖縄タイムス記事 差別発言抗議から「機動隊撤退」が消えた理由 沖縄県議会攻防の舞台裏

2016年10月28日 08時37分17秒 | マスコミジャーナリズム

差別発言抗議から「機動隊撤退」が消えた理由 沖縄県議会攻防の舞台裏

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/68416

事件自体は頗る偶発的で、現場でありがちな過剰反応と言えるが、問題はそこにない。我々が例えば「土人」と言われて怒るのは恐らく児戯めいて情けない。しかし、沖縄県でそれが発せられると途端に旧日本軍的なトラウマが起生する。君たちは国民を守る為に存在するのではないのか、となる。しかし友軍は友軍でなく敵より敵対的だったのが沖縄戦である。沖縄では彼ら公務員の通常の公僕的立ち位置さえ怪しくなり、高江では「市民の安全を守る為」といいながら実際は強制的暴力的にその市民を排除、監禁、拘束する。つまり壕追い出し、スパイ扱い、食料強奪など、到底住民を守るというような行為ではなかったあの戦争を想起させる。そのことをこうした若い世代ばかりか上層部もまた全くと言っていいほど知らないし、知っていても関心がないか、むしろまさに国家の統治行為の先兵として率先行動を激化尖鋭化していくのである。つまり、安倍晋三の息がかかればだれもかれもが闇雲に突っ走る恐るべきゲシュタポ的効果を発揮するということであり、このことを明確に認知しておく必要があるということだ。


詩596 琉球新報記事 辺野古訴訟、国が異例の意見書 最高裁に上告棄却要求

2016年10月28日 07時50分29秒 | マスコミジャーナリズム

辺野古訴訟、国が異例の意見書 最高裁に上告棄却要求

http://ryukyushimpo.jp/news/entry-384248.html

実際上は司法権がこの国では分立しているのかどうか、「統治行為論」は行政権の優位性を認証することでしかなく、分立してないと宣言するようなものだ。田中(耕太郎)判決から一歩も質的進展を見せてないのかどうかが問われる(何しろあれは日米政府圧力の結果だったので)。上告される側の国がかかる意見書を出すということは、彼らが高裁判断と田中判決を連動させる可能性に自信があり、統治行為として辺野古決着を急いでいる姿勢が見て取れる。司法権が分立してなければ、国民はあくまで抵抗するまでで、どちらにしても今後、翁長県政のもと、辺野古がすんなり完工される保証はどこにも見当たらない。

 


詩596 日刊ゲンダイ記事  室井佑月の「嗚呼、仰ってますが。」 沖縄への思いは皆無 鶴保沖縄相

2016年10月28日 07時26分59秒 | マスコミジャーナリズム

沖縄への思いは皆無 鶴保沖縄相が守りたい「立場」の意味

http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/192683/1

安倍晋三のふざけた采配であり、鶴保はあてがい扶持の代官にほかならない。いかに安倍晋三が沖縄を軽視し、植民地扱いし、やっつけ仕事の残酷な機械化部隊で対処しているかがわかる。


10月27日(木)のつぶやき

2016年10月28日 05時04分08秒 | マスコミジャーナリズム