沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩326

2011年06月07日 18時47分47秒 | 政治論
 僻遠の地やんばる今帰仁村が産んだ芥川賞作家目取真俊氏の大震災大津波被災地巡りがブログに公開されている。氏の日頃の活動につき逐次紹介されているのでおおよそこの国の生(なま)の実態惨状など垣間見られ種々啓発されることが多い。氏の作物は本土時代や移住後の図書館通いで少しばかり食いかじったが、リアルに同時代の俊英文人を経験できる幸運に恵まれ、また氏のような鋭敏な批評精神を間近にできる僥倖に接し実に感慨深い。沖縄の背負っている受難の歴史は母性の持つ深遠な包摂力を予感させ現今日米政府やヤマトウの沖縄特殊視又は差別心理の有する劣悪な人間性がいかに単純で内容のない軽薄な残酷さを持つか、移住5年にしてようやく気づかされたという情けない実情にあるとはいえ、氏の存在が補償するところは妥当性への仮託を可能にし随分と心強い。実際こんなブログでなにができるのか全く見当もつかず何事かを為す自信などありもしないので「いいたい放題」とはいいながらすこぶる怪しい「自由」という綱渡りに心臓もはかばかしく動いてくれない。晩年に差し掛かって「自由」はいよいよ「勝手気まま」に変貌し、更には「タブー」や「良識」なんてものにも全く頓着せず専ら胎のうちが透けるほどに自ら抉り出して古傷後遺症トラウマPTSDなんでもござれの大盤振る舞い、もし今生のうちに何がしか意味が発生したら大成功であろう。苦痛のどん底に叩き込まれた人々に真っ先に機能すべき国政がこの有様では義捐金救援物資が宙に浮いて彼奴らの政争権力闘争に稀に見る劣悪な茶番を見なけりゃならない日本国民は今、実に歯がゆく遣り切れない思いを味あわせられている。もしかして瓦礫と残骸のままに大震災が風化するなんてことが想像できないこともない。この期に及んで大連立だと抜かしやがって、貴様らの恐ろしく狭苦しい経験の中には「惻隠の情」にまつわる経験はなかったのか、それとも君らの目は節穴か。目の前に瀕死の国民がいるというのにご丁寧に「泥縄」を綯っている訳だ。やっぱり国政のリストラしかない。国は企業ではないが最低限の算盤はなければならない。国民が自腹を切って残業しているとき機能しない組織は無駄である。いらないのだ。曖昧な情報操作で混乱を助長する大本営は蹴飛ばすべきだ。(中断)