JCP市原時夫です

千葉県房総の睦沢町から、政治・経済・歴史・オペラ・うたごえを考えるgabuku@m12.alpha-net.ne.jp

船橋うたごえ喫茶「うたごえライブハウス・ゴリ」を「ちば民報」が紹介

2012年11月16日 | Weblog

 
 1970年頃、良く通ったのが亀戸のうたごえ喫茶ともしびでした。
この記事で、新宿のともしびが店を閉め、自主管理の「ともしび」だったという事を初めて知りました。
 船橋のゴリさんこと、鈴木孝夫さんの経歴も、この記事で詳しく知りました。
こんなにも、生活すべてがうたごえという人も珍しいのではないでしょうか。
 ごりさんの歌う、田舎を捨てて都会に出て行った息子を思う、親の気持ちを歌ったシャンソン「ふるさとの山」は、胸が熱くなります。

 ちば民報より転載

歌って語り合える場
JR船橋駅南口から歩いて数分のところに「うたごえライブハウスーゴリ」がある。私たちが訪ねた3時半頃には、すでに「昼のうたごえ喫茶」が始まっていて、みなさんが元気に歌っていた。オーナーの鈴木孝央さん(69)はかつて民放労連委員長までした方だ。そんな経歴の持ち主のこのお店へのこだわりをお聞きした。

「ともしび」通い
 私は1962年に工業高校を卒業後TBSに入社しました。TBSが高卒を採用した最後の年です。その意味では滑り込み、ラッキーでしたね。
 放送局というのは歴史は浅いんです。テレビだっていま放送開始50周年とかやっているくらいですから。だから社員もみんな若くて、年配者は演出や報道、大道具さんなどの職能的な方で、映画関係から引きぬかれた人です。中にはNHKをレッドパージで追われた人などもいました。
 その頃はまだ60年安保の余波があって、労働運動も高揚していました。私は春闘のさなかに入社するのですが、その前年に初めて年末闘争ということでストライキをしています。採用の辞令には「補助職員・試用」と書いてありました。その身分で3年勤めると社員として登用するための試験があり、合格して初めて正社員となれる制度でした。
 先輩たちは「補助職員といっても同じ仕事をしているじゃないか、すぐに社員化しろ」と私たちの気持ちを取り上げてくれて、スト権まで確立しました。当時はちょっとした小間使いの人など、アルバイトもたくさん入ってたけれど、組合はそんな人たちも含めて組合員にして、権利を守る闘いを組織していたんです。まさに働くものの間に分断をさせない闘いをしていたんですね。
 うれしかったのは、私の初任給は1万2千5百円でしたが、入社した年の春闘ですぐに5千円も上がったことですね。びっくりしましたよ。
 その頃の組合は、昼休みに屋上でフォークダンスをしたり、ロシア民謡とかを歌っていました。それがうたごえとの出会いですね。私は工業高校出身なので、男ばっかりだったから新鮮で楽しかったですよ。中央合唱団の人が指導にきていました。
 そして時間さえあれば先輩や仲間だちと新宿の「ともしび」に通ったりしていました。「ともしび」には、仲間と歌うことの楽しさや、語り合いがあって、新鮮な驚きがたくさんありました。
 私の出身の栃木県佐野市というところは反共風土が強く、そんな影響もあって、当初は組合に距離を置いていました。でも、そんな組合の先輩たちの影響もあり、自然と組合活動に参加するようになりました。
 組合は、レッドパージで追われてきた方など、自覚的な人たちが主導権をとっていたんです。上部団体の民放労連もまた同様で、役員になるのは、それにふさわしい人格の持ち主でした。
 会社側は、初めは「ユニオンショップだから、補助職員は組合員とは認めない」とかいっていましたが、結局正社員化しました。一方では、やたら職責を増やして、組合員から外したりもありましたけどね。
 そんなわけで私は24歳でTBS労組の執行委員をやり、その後、関東地連や、全労連ができるころには民放労連の委員長などを経験しました。器じゃないと思ったんですけどね。 
勢いに押されて
しばらくして新宿の「ともしび」が店を閉めることになりました。そのメンバーが中心になって、自主管理の「ともしび」を亀戸につくり、私も資金協力したりしました。そこは後に小岩へ店を移します。
 私の結婚は30歳の頃です。子どもが生れるということで、39年前に船橋に引っ越してきました。
 紆余曲折をへて、うたごえの店が総武線方面になくなった頃、「亀戸懐かし会」というのが、大きな会議室を借りて年に何回かうたごえをやっていました。
 定年を機に、そんなみんなの勢いに押され、総武線沿線にうたごえの店を開くことになりました。この店は、「ただ、うたごえが好き。うたごえの灯を消したくない」との思いだけで始めちゃったんです。まさに無謀としかいいようがないですよね。でも、ここをつくることで、より多くの人たちに、歌うことの喜びを知ってもらいたい、広めたい。それだけです。「亀戸懐かし会」の中心メンバーが、今もこのお店に関わってくれています。
 ここに皆さんがくると、知らない歌もあるかもしれません。でも何回か通えば覚えるじゃないですか。それでまた楽しくなるし…。同じ歌を歌う連帯感がまたすばらしいんです原発ノーの隊列にうたごえ響かせてよ。私が経営的には厳しくても頑張っているのは、若い頃に経験したような、歌を歌う喜びのなかで、生き方も語り合える場を提供できたらいいな、と思うからなんてすね。
 ここでは、シャンソンやカンツォーネから闘いの歌、平和の歌、昔から歌われている歌、ごく最近作られた歌まで幅広く歌われています。ピアニストがナマの伴奏で歌う人々に合わせてくれますよ。なかにはすごくうまい人もいますが。
 「へた」でもいいじゃないですか。楽しく歌って、人が生きている呼吸みたいなものをお互いが感じられたらいい。人間関係がバラバラにされている時だからこそ大事だと思うんです。
 「ともしび」のスローガナマの人と人とのふれあいがあるン「一人っきりの若者をなくそう」が、今ほど求められている時はないと思います。若い人たちにこそ、ゴリに来てもらいたいし、うたごえに親しんでもらえるといいなあ。
 ゴリはこの11月で9周年。幸い店は、たくさんのボランティアの方の精力的なバックア″プがあって、支えてくれる人が大勢いたので続けられました。
 最近、各地でうたごえが盛んになっています。うれしいことですね。そんななかでゴリは常設のうたごえの発信地、集いの場になれればいい。ゴリはこれからもみなさんのための店でありたいと思っています。
     ◇
 脱原発のデモの隊列にも「ゴリ」の旗は翻って、お客さんたちもともに参加している。鈴木さんの思いは、船橋にゴリを立ち上げた時のように、純粋・無心に、「歌は闘いとともにありたい」という、自然な思いからなのだろう。
 営業時間以外も、遠慮なく店を活用してほしいと願っている。グランドピアノも使える。利用料も相談して欲しいとのことだ。
     (文・涜砂喜富)
 (写真・大川淑子/デモの写真のみ佐久間勉)
▼うたごえライブハウスーゴリ
電話 047(460)5033
船橋市本町3-I-I 柏屋ビル2F
htt://www.utagoe-gori.com

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2 コメント

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宣伝カーで歌ってた (市原時夫)
2013-04-18 18:56:28
 そうですか、宣伝カーで「さくらんぼの実る頃」を歌っていたとのこと初めて知りました。
 いまでも、ごりさんのこの歌は胸を締め付けます。
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ごりさんみっけ (宮本すぐる)
2013-04-18 11:33:40
亀戸懐かし会検索中に民報記事読みました。
ゴリさんがコマ横ともしびに参加していたことを
はじめてしりました。
民放労連のころ、宣伝カーの上で「さくらんぼの実る頃」歌ったり、いつもリクエストしていたことを懐かしく思い出しています。7月14日のフランス革命記念日にはパリの街角や広場でアコやバイオリンの演奏でこの歌の踊りが広がりますね。
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