JCP市原時夫です

千葉県房総の睦沢町から、政治・経済・歴史・オペラ・うたごえを考えるgabuku@m12.alpha-net.ne.jp

私が惹かれたクールベは、マルクスと同時代人だった

2011年02月07日 | Weblog
  2月2日にBS日テレが放映した、「世界の名画反逆児クールベ天使を書かなかった男」の題材に惹かれて、録画しました。
 今でも忘れない絵画に、学校の教科書に載っていた、たしか「クールベの石割り?」があります。
 なぜ、好きな作品だったのか、今でもわからないのですが、絵を描いていた一番上の姉が、様々な名画の解説をしてくれていた記憶があります。当時はただ聞き流していたのですが、労働の大切さがしみこんでいたのかもしれません。
 その後、特にクールベを調べるという気持ちもなく、過ぎたのですが。
今回の放映で、驚きました。
 クールベが、「パリコミューン」政権の美術委員会会長になったことがあること、当時の社会主義者との交流があったことなどが解説されていました。
 テレビで紹介されていた作品では「追いつめられた牡鹿」、何を書こうとしていたのか。考えさせられました。
 不破哲三さんは、マルクスやエンゲルスなどの文章は、時代背景とその人の思想的な発展中で読むというような内容を、話されていますが。
 クールベが生まれたのは、1819年で、マルクス1918年、エンゲルス1820年とまさに、労働者階級の成長と運動の広がり、そして、科学的社会主義の理論が生まれる時期の作家ということがわかりました。
 クールベは、祖国に帰れないで、酒を飲み亡くなったととの事でした。
 マルクスが、イギリスのロンドンに亡命し、その状況を活用して、極貧の中、資本主義研究と「資本論」刊行へつなげていった人生とを考えさせられました。



 ロシア民謡を研究されている方の、ロシア民謡解説を掲載しました。
ここをクリックしたください。 
 

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
社会の変化の中で (市原時夫)
2011-02-09 09:42:17
 なるほど!そうでしたか? 
 わかりました。
 彼の絵は、やはり時代の中で生まれたような、その主張が強いように思ったのです。
 番組の中では、1855年の作品として「画家のアトリエ」の中に、プルードンも描かれていると解説されており、影響は受けたのでしょう。
最後は望郷の中で酒におぼれたように解説されていましたが。
 同じ亡命者で極貧の中で、エンゲルスの援助の中で資本論を完成させた。マルクスの生き方を重ねて考え深かったのです。
 
 なお、こうした、考えさせていただける、コメントには本当に感謝しています。
 
返信する
うわ、クールベか… (K市のSです。)
2011-02-08 15:48:04
クールペはかつて勤めていた山梨県にある県立美術館でみたことがあります(題は忘れました…が、鹿とか海の絵だったような…)。時代の常識に囚われない素晴らしい才能と方向性ですよね。確かソルボンヌ大の法学部学生だったはずです(卒業はしていないようです)が、それは辞めて正解。
さて、革命若しくは社会主義者としてのクールベですが、確かにマルクスと同世代ですが、「生まれながらの共和主義者を」を自称したと聞いていますし、帝政からの勲章を断り「それより自由が欲しい」としたようですから、どちらかと言えば柔軟な無政府主義。同時代だとドイツのマルクスよりも、フランスのピエール・プルードン辺りの影響が強いのではないでしょうか。もちろん、プルードンとマルクスは相互に影響しあっていますし、クールペのバリ・コミューン参加の時にはプルードンはなくなっていますから、Ⅰ0才ほど年上のプルードンと直接の親交はなかったかもしれませんが、教条主義を嫌い、他方ときにエキセントリックな主張をするこの二人には共通項があると思いますが、どうでしょうか。
返信する

コメントを投稿