2006年10月のブログ記事一覧(3ページ目)-ミューズの日記
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<あれも聴きたい、これも聴きたい> 古川忠義in富士通テン

 先日このブログでも紹介されましたが、古川忠義さんのコンサートが中津川の高峰楽器で行われた翌日(9月22日)、神戸にある富士通テン株式会社の本社の中にあるスタジオf(エフ)において、同じく古川さんのライブが行われました。これは富士通テン株式会社が社員のために年4回開催している「ハートフルコンサート」の一環として行われたものでした。
 富士通テンはさすがに音響機器メーカーだけあって、この他にもいろいろな音楽活動を行ったり講演したりしておりますが、今回はミューズサロンでおなじみの古川忠義さんの登場。
でも富士通テンでのライブともなると使用する機材が思いっきり贅沢。なんとTDスピーカーの最高峰712zを4本並べての公演となった。

 まず最初は富士通テンの音響部の方達のリクエストで、村治佳織さんや福田進一さんがやっているような、ガットギターの音をコンデンサーマイクで拾って、シンプルにPA(SR)するやり方をお客さんに見せてほしいとのことで、古川さんもクラシックの小品を数曲演奏。このときは712zを1本だけ使用して、いかにTDスピーカーが生音を損ねず増幅するかということをアピールしましたが、当の富士通テンの方達もこれにはびっくりされていましたね。(富士通テンといっても何千人もいる会社なので、TDスピーカーのことを良く知らない方も多い)
マイクを通してスピーカーから音を出した時と、マイクを絞ってしまった時と、音量は違ってもその楽器の音色は全く変わりません。聴きに来られていたみなさんも、一瞬目の前で何が起こっているのか理解できないというような感覚を味わったようでした。

次は古川さんのエレアコの音を、斜め後にセットした712z2本から。両サイド少し後ろに置いた712z 2本からカラオケ。まあなんと美しい音のライブになったことか。
普通のギターのライブコンサートで聴くPAの音とは遥かに次元の違う世界が広がります。
そのあたりを私が司会、紹介役を仰せつかって少しばかりのお話をさせていただきましたが、その後は古川さんにお任せ。いつものように軽妙にしてユーモアあふれる暖かいトークと超絶技巧の連続。オンパレード。いつもなら静かにコンサートに聴き入ってしまう会場が大いに沸き大喝采。主催の広報や音響の方々も我を忘れて引き込まれてしまったと後で述べておられました。それほど今回のハートフルコンサートは大盛況のうちに終了。

なんだか1時間20分ほどでは物足らなくて、もっとやってくれないかなあといった感じで、終了後も皆さん座っていた席を去りがたいといった感じだったようです。
おかげでこんな楽しいコンサートができるのなら今後もどおんどんバックアップしていこうというお話がテンのかなり上の方からも上がってきたと聞いています。
今回のコンサートは東京から現代ギターの編集長の江部さんも取材に駆けつけてくれましたので、そのうちに記事になって登場することと思います。
内生蔵 幹(うちうぞう みき)


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<あれも聴きたい、これも聴きたい> イェラン・セルシェルの登場
 皆さんは、イェラン・セルシェルというギタリストが世に登場した時のことを、覚えておいでだろうか。スエーデンの出身で、28年前の1978年。第20回パリ国際ギターコンクールにおいて、例の11弦ギターでもって優勝を勝ち取ったわけだが、その時の演奏を、濱田滋郎さんが解説をされていたと思うがNHK-FMの放送で、しかも私は車の中で初めて耳にした。
その時彼は大胆にも、バッハのリュート組曲の第4番を弾いたのだが、こともあろうに世界で1番権威のあるとされるコンクールにおいて、わざわざバッハの曲を選ぶとはなんと大胆なことをする人だろうと思った。第一、バッハなんてよほど上手く弾いたところで、コンクールの審査員達をうならせることことなど不可能に思えたからだ。つまりコンクール栄えしないと思った。しかし、そこから聞こえてくるバッハは、私が今までに聴いたギターで演奏されるバッハの中で、最もバッハとして納得できるものであった。バッハとして聴いて何の違和感もなかった。ギター特有の変な癖が無い為ギターを意識させることがない。しかしギター以外何物でもない。そして最もバッハらしいバッハがそこにはあった。

それまでギターで演奏されたバッハでは、最初に聴いたのがやはりセゴヴィアだった。だが当時中学か高校で、音楽の知識について殆んど素人に近かった私の耳にも、セゴヴィアのバッハは何か変だった。普通認識しているバッハとは大きく隔たっていた。「ギターで弾く時は、バッハもこんな風に弾くのかぁ」と思ったが、そこには何か釈然としないものがあった。次に聴いたのはイエペスであった。しかも有名なシャコンヌ。あのイエペス自らの画期的な編曲、運指に感動した。楽譜を手に入れて自分でも大真面目に練習した。とにかくそれまでのセゴヴィアの流れを汲む編曲、運指方法とは根本から違っており、おかげでそこから多くのものを学び取ることができた。だから私はシャコンヌはイエペス版でしか練習したことがない。しかし暫くするとどうもおかしいと感じるようになってきた。これはやはりイエペスのバッハだ。イエペスの版で演奏する限り、誰が弾いてもイエペスになってしまう。考えようによっては、イエペスの抱いていた意向と反して、最もギター臭いバッハになってしまう。それは、ギターの長所も欠点も自分の意思とは関係なく、丸出しになってしまうもののような気がしてきて、段々いやになってしまった。

次はジュリアン・ブリームのバッハだった。これはリュート組曲の1番と2番が裏表になったLPだったが、このレコードには心底衝撃を受けた。バッハがこんなにかっこいい音楽だとは知らなかった。これこそ本物のバッハだと思った。音を聴きながら、自分の持っている楽譜との相違点を考え、ブリームの運指をひとつひとつ拾ってみた。しかしとにかくこれでバッハに対するひとつの目標ができたと思った。ところが、次にジョン・ウィリアムスがバッハのリュート組曲を全曲2枚組みのレコードに録音したものを聴いて、そこではたと困ってしまった。同じイギリス人であるブリームとジョンが、同じバッハのリュート組曲を弾いてくれたわけであるが、まったく違う音楽になってしまっている。楽譜が違うのかと思えるほどに違うのだ。例えば組曲なんだから、クーラントやメヌエット、そしてガボット、さらにサラバンドやブーレ、ジーグなど、おおむね舞曲で構成されているわけであるが、その舞曲が二人の演奏を聴いてみると、リズムも違えばアクセントも違う。当然装飾の仕方はまるっきり違い、はたまた曲のスピードもまったく違う。こりゃあどういうわけだ。何が何だかわからなくなった。自分の感覚で聴けばブリームの演奏の方に軍配が上がるが、その時のブリームの演奏は、あまりにも他の演奏家のものと異なりすぎている。かといってジョンの演奏はなんだか平坦で面白くない。バッハの音楽の繊細感があまり感じられず、いつものように、ただバリバリ弾いているだけのように聴こえ、きっとこんなんじゃないよなぁと言った感覚が支配的であった。そんな状態がずっと続いていた時、突如現れたのが、今回取り上げたセルシェルだったのだ。当然聴き方、好みは人それぞれなので、なんとも申し上げられないが、私はセルシェルのバッハ、リュート組曲第4番を聴いた時、やっと違和感なくギターでバッハを聴かせてくれる人が現れたと感じ、正直言ってほっとした。
管弦楽や室内楽、パイプオルガン、チェンバロ(ピアノ)、ヴァイオリン、チェロ、フルート、そして合唱と、いずれのバッハを聴いた耳で聴いても違和感なく聴くことができるバッハに初めて出会うことができたと感じた。勿論私はバッハはおろかバロック音楽や古楽器演奏といったものを、本気になって研究したことはないので、どこまでセルシェルのバッハが真のバッハたりうるか、自信の程は心細い限りではあるが、今のところ、ギターということに限っていうと、他にあまり目ぼしい演奏家は見当たらない。やはりセルシェルの演奏が私には1番バッハらしく聴こえる。

その後、セルシェルは何度も来日し、私も何度も演奏会に足を運び、時には食事をご一緒させて頂いたこともある。その時の演奏もやはりバッハが最も精彩を放っていた。
セルシェルはものすごいテクニシャンでもないし、またそのような名技性を要求されるような曲もあまりプログラムには入ってこない。しかしバッハに限って言えば、誰よりもしっかりしたテクニックで、音楽の真髄を表現して見せてくれる。それは目をつぶって聴いていると、今聞こえてくるのがギターであることを一瞬忘れてしまうほどだ。
セルシェルはそのほかにも、ソルなど古典音楽にもその適正ぶりを発揮して素晴しい演奏を残しているが、私の希望としては是非、ジュリアーニの協奏曲などを録音して欲しいと思っている。彼の音楽性、テクニックからいって、きっとその曲の決定版が生まれるのではないかと期待できるからだ。恐らく録音済みのアランフェス協奏曲なんかよりはずっと合っているのではないかと思う。
この写真にあるセルシェルのグラモフォンへのデビューレコード、これには期待したバッハは入っていないが、今でも私の最も大切なお宝レコードの中の1枚である。収録曲を紹介しておくと、A面がバイオスの「大聖堂」と「ワルツ 第3番」ポンセの「南のソナチネ」、B面は全てダウランドの作品7曲で埋められている。
内生蔵 幹(うちうぞう みき)

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一昨日の10月6日(金)には尾尻雅弘さんのコンサートがミューズサロンで開かれました。

尾尻さんは2003年に「ギターのパガニーニ」とも呼ばれるレゴンディ(1822頃~72)の世界初のレコーディングをして2枚組の「レゴンディ・ギター作品全集」を出されていますが、今回はブラジルの作曲家・ハダメスニャタリ生誕100周年を記念して「ブラジルの魂/ニャタリ・ギター作品集」(2枚組)を出されると言う、これまた世界的にも初めての快挙を成し遂げられました。
そのCD発売記念と言う事で今回ミューズサロンで演奏をしていただくことになった次第です。
ニャタリはクラシック音楽だけではなくポピュラー音楽にも数多くの作品を残しただけに、どの作品もクラシック、ジャズ、ブラジル音楽などいろんな要素が融合していて魅力にあふれるものばかりです。ただし、ギター界ではあまり取り上げられない人なので私自身今回のCDで初めてその曲を知る事になりました。勿論、生の演奏も初めてです。

尾尻さんはもともとはロックギターをやっていた人で、1981年ジャズギターを学ぶため米国バークリー音楽大学に留学され、卒業後、マンハッタン音楽学校にてM.バルエコ氏に師事されたと言う珍しい経歴を持っています。何故クラシックギターを始めたのですか?と訊くと、クラシックギターの現代曲に興味をもったから、と言うお答えが帰ってきました。
そんな尾尻さんによるニャタリ、ラルフ・タウナー(この人もジャズ系ギタリスト兼作曲家)、チック・コリア、武満のビートルズナンバーなどのプログラムには大変興味がありました。

当夜のプログラムは下記の通り:
1.ハダメス・ニャタリ(1906-1988):プチ・スイート
    Ⅰ‐パストラル、Ⅱ‐トアーダ、Ⅲ‐フレヴォ
2.ラルフ・タウナー(1940-  ):ラの組曲
   Ⅰ‐オレアンダー・エチュード、Ⅱ‐ホーンテッド、
   Ⅲ‐ジョイフル・ディパーチャー
3.ハダメス・ニャタリ(1906-1988):
   3つの演奏会用エチュード
   Ⅰ‐サンバ形式によるトッカータ第1番、Ⅱ‐同第2番、Ⅲ‐ブラジル風舞曲
4.チック・コリア(1941-  ):チルドレンズ・ソングス(ヘンダーソン・尾尻編)より
    第1番、第2番、第5番、第11番、第14番
5.武満徹(1930-1996):ギターのための小品(1991)
   「12の歌」~イエスタデイ(レノン=マッカートニー) 
        オーバー・ザ・レインボー(アーレン)
6.エグベルト・ジスモンティ(1947-  ): 水とワイン(リースケ編)
7.ハダメス・ニャタリ(1906-1988):
   ブラジリアーナ第13番
     Ⅰ‐サンバ・ボサノヴァ、Ⅱ‐ワルツ、Ⅲ‐ショーロ

なかなか聴くことの出来ない魅力あるプログラムでしょ?

また、尾尻さんは7弦ギターを演奏されます。ウィリアム・ジョン・ギルバート作の特注品で尾尻さんのアイデア満載の世界で1本しかないギターなんです。7弦にはバスギターの9弦目の弦を使用しているそうで、重低音が出ます。そして良く鳴るギターなんです。そのギターでの演奏はミューズサロンに尾尻さんのギターが鳴り響いていると言う感じでした。

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<あれも聴きたい、これも聴きたい> 歴史記録としてのレコード、CD

以前にもこの原稿の中ですこしぐちったことがあるが、この原稿を書かせてもらうようになって、レコードやCDを棚から出してきては解説書などを確認するのだが、録音に関するデータが一切記載されていないケースが意外と多くて困る。中でも最も困るのが、録音年月日が記載されていないことだ。次に録音場所、そして使用した楽器、できれば録音機材なども記載していただけると大変良いデータとなるんだが、そこまで記載されたレコードやCDはなかなか少なく、滅多に無い。
そうなると、このレコードに記録されている演奏が(正にその演奏家の芸術家としての歴史記録だと思うのだが)、その演奏家の何歳の頃のものなのか、どこで、どんな楽器を使ってなされたのか、謎に包まれてしまう。
これを出されたレコード会社の方々には、そんなことはまったく興味がないのかもしれないが、その演奏家を愛し、また新しい録音を楽しみにしている我らファンとしては何か割り切れない物足りなさを感じる。

特にこのような原稿を書こうとすると、そのあたりが大変重要なことになってくるので、私なんぞはどうしているかというと、まずそのレコードを購入したのがいつ頃なのか、必死で思い出してみる。(今にして思うと、そのジャケットの裏に、購入の日付、店の名等を自分で記入しておけば良かったと思っている-中にはいくらかそうしたものもあるが)そしてそのレコードが発売になった時やそのレコードをレコード店の棚に見つけた時の驚き、手に入れたときの喜びの気分など、思いをめぐらしてみる。(しかしこれは1枚1枚のレコードに、自分なりに結構な愛着があるので、そんなに困難なことではない)またそれがギターを始めた中学のころなのか、それとも高校に入ってからなのか、または大学に入った当初、第1回、第2回の新人演奏会へ出る前なのか後なのか、とにかくいろいろ思い出してみる。そしてそこから発売の年をおおよそ導き出し、またそこから録音の年代を推定するようにしている。

しかし、そうなると、自分がそのレコードを買った時が、そのレコードの初出の時なのかどうか、再発だったのではないかを明確に把握していなくてはならない。ついうっかり自分が買った時に初めて発売になったと思っていたら、実はそのレコードは、10年も前に発売になっていたということもあるかもしれない。しかも何枚かのレコードとして出されたものの中の、売れそうな曲ばかり集めて新しく出されたものかも知れない。日本の場合特にそれが多く、初出の時の曲の組み合わせが何だったのか、もはや知りえないようになってしまっている。しかも永久に没にされてしまう曲も後を絶たないから本当に困る。

曲の組み合わせもそうであるが、ジャケットそのものの写真や絵なども変わってしまう。せっかく初出の時はしゃれた装丁で出ていたレコードが、再発になった途端、何の変哲もない写真や、内容とまったく関係がない名画かなんかに取って代わられ、しかもレコード会社の無知な連中の勝手な選択により、貴重な演奏が没にされ、やつらの考える売れ筋の曲だけが組み合わされて世に出てくることも多い。まったくもって困った現象と言わざるを得ない。(クラシックギターのレコードなんぞで、曲の組み合わせを変えさえすれば売れ行きが伸びるものなのかどうか、そこのあたりを一度伺ってみたいものだ)

だが、もっと困る問題もある。余計なお世話という企画である。
セゴヴィアはご存知のように、その長い生涯に大変沢山の録音を残してくれている。以前、そのセゴヴィアの残した貴重な録音を集大成したと称して、全て作曲家別、或いは独奏曲や協奏曲別などジャンル別に編集しなおしてシリーズとして出されたことがある。この企画にはまったくもって困った。

セゴヴィアのレコードのジャケットは、特にDECCAから出されていたものは全てといってよいほど良い悪いは別にして、ジャケットの装丁に愛着とともに懐かしい思い出がある。学生の頃でもあり、おこずかいに事欠いていたころとて、欲しくても買えなかった憧れのジャケットというものが沢山あった。そんなレコードを店の棚に眺めつつ、「いつか自分の自由になるお金が持てるようになったら、こいつら全部一遍に買ってやる!」と思ったものだった。その時の私にとっては、そのレコードの中身とジャケットのデザインとは不可分のものであり、手に入れる時はそのジャケットであって欲しかったのだ。
なのにである。そのセゴヴィアの演奏が録音の年代メチャクチャ。作曲家や演奏曲目によって、無理やり分けられ、あたかもセゴヴィアの演奏記録を完璧に纏め直したかのごとくにして発売になった。そりゃああまりにも余計なお世話ってものだ。購入意欲がまったくもって失せてしまった。(もっともそんな全集も、出すからにはそのような編集の仕方を良しとする方がどこかにおられるのかも知れないが)
確かにそのCDの解説には、録音年代などが従来のものよりは克明に記載されていたと思う。しかし私はセゴヴィアの数十年に渡る演奏記録の中から、ポンセの曲ばかり集めて聴かせてもらおうとは思っていない。協奏曲ばかり集めて聴かせて欲しいと思ったことは一度もない。そんなことをしたら録音状態が曲によってばらばらになり、ステレオもモノラルもゴチャまぜ、曲によって音色も違ってしまうのに加え、セゴヴィアのそのレコードを録音した年齢の記録がゴチャゴチャになってしまうではないか。(若い頃と晩年の演奏が1枚のCDの中に混在し、セゴヴィアのある年齢、ある時期における歴史の記録となっていない)しかも例の私達が若い時に憧れたジャケットデザインがどこへ行ってしまうのか、めちゃくちゃになってしまう。

優れた演奏家の優れた演奏記録は、後になって再発する時も、当時の内容、デザインをぜひとも踏襲していただきたい。そしてその解説には、録音期日、録音場所、発売年月等、そして出来うるならば使用楽器など、その他レコード録音に関するデータを記載していただきたい。それらの記述がまったくないレコードやCDは、あたかも中国の海賊版CDのようで、著しく記録(レコード)としての価値をおとしめている。
内生蔵 幹(うちうぞう みき)


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先日10月1日(日)にはワンコイン講座『ラスゲアードとフラメンコのリズム』が行われました。
講師は名古屋で最も活躍しているフラメンコ・ギタリストの池田浩さん。池田さんはフラメンコ公演でも音楽監督・製作をつとめたり、クラシック、ジャズ、ボサノヴァ、津軽三味線、日本舞踊、インド音楽、アボリジニ音楽等の様々なジャンルとのコラボレーションにも力を注いでいる多才なギタリスト。ミューズでもフラメンコギターの講師を務めていただいています。

その池田さんによるラスゲアードとフラメンコのリズムについての講座とあってサロンはほぼ満席。中にはギター持参での参加者もいてギターを縦に立てて実践していただきました。また池田さんのセニョーラがこれまた人気のフラメンコダンサーで当日はパルマ(手拍子)の参加でアシストいただきました。ギタリストのカトウノさんもアシストしてくれました。

先ずはクラシックギタリストが苦手なラスゲアードの説明。iの指で行う2連、親指と人差し指で行う3連、amiで行う4連、または連続ラスゲアードなどいろいろなパターンについてギター持参の人はギターで、ギターのない人は自分の左腕の上で指を動かしてみました。
その時の注意事項として、
1.爪の甲で弾かない、爪の先で弾く事
2.指を伸ばしきらない事
の2点に注意するようにするとの事です。

また、フラメンコのリズムはいくつもありますが、代表的なものとしてブレリアスが紹介されました。12拍子なんですが、3、6、8、10、12拍目にアクセントが来ます。これを12拍子で数えるとなかなか速く手を叩く事が出来ません。そこで大きく3拍と2泊で数える事、大きくリズムに乗るコツを教えていただきました。そうすると速く手拍子が打てるんですね。
また、ウラ拍の打ち方も実践しました。普通はウラを打つのは難しいですね。しかし、フラメンコダンサーは速いテンポでもウラにパルマを入れる事が出来ますよね。そのコツも教えていただきました。そうすると皆さんが結構速いテンポでもウラ打ち出来る様になってしまいました。参加者の皆さんも『楽しかった!』『いい勉強になった!』と喜んでいただきました。

時間の関係上今回はブレリアスまでで終わりましたが、またいつかリズムだけの講座をやっていただければと思っています。お楽しみに・・・。


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