2006年10月28日のブログ記事一覧-ミューズの日記
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<あれも聴きたい、これも聴きたい> 序奏とふぁんだんご

 まずは皆様方には、上に掲げましたる「ふぉとぐらぁふ」をとくとご覧頂きたく御願い上げ奉り候。
かの夏目漱石も一度住まいおりし「えげれす」こと英国は倫敦(ろんどん)に生を受けたる「ぎたりすと」、その名を「じゅりあん・ぶりぃむ」と申す者。今より三十年以上遡りたる遥かいにしえ、自らの力を世に問わんとて、上に掲げし「ふぉとぐらぁふ」の「れこぉど」なるものを売り出したることなど、記憶に留めおかれし方々もさぞ多かれと存じ上げ奉り候らえども、いまどきの若き方々にはあまり知られざることなりと推察いたし候故、自らはあつかましきことなりと存知候えども、今日ここにご紹介奉らんと筆を取りたる次第にて候。

さて奏でましたる演目は、まず始めに、かの地、「伊多利」に生を受けたる「ぼっけりぃに」なる者の手による「ぎたぁ五重奏曲」なる音曲。つまり「えすぱにあ国」こと西班牙(すぺいん)の出生にして、女体のごとく中のくびれたる胴に六本の弦を張り、奏でんと欲する時はそれを小脇に抱え、自らの手指にて古今東西の様々なる音曲を掻き鳴らすと云われる「ぎたぁ」なる楽器と、馬の毛を用いた弓にて胴に張りたる四本の弦を擦り、これまた東西の音曲を自在に奏でるという「びおろん」などと申す楽器四本にて編成されし集団とが、今まさにその腕前を相競わんがごとく丁々発止と奏でんとする珍しきも美しき音曲にて候。
次も同じく「ぼっけりぃに」なる者が作りし「ぎたぁ五重奏曲」の一部を、演者「じゅりあん・ぶりぃむ」氏自らが「ぎたぁ」と「はぁぷしこぉど」なる、これまた古き時代の鍵盤楽器のために編纂し直したる「序奏とふぁんだんご」なる音曲にて候。
そして最後は「はいどん」と申す大そう高名なる作者の手による「ぎたぁ四重奏」なる音曲なれど、これもかの「はいどん」氏が活躍せし御世には、いまだ「ぶりぃむ」氏の得意とせし「ぎたぁ」は存在せず、「りゅぅと」と申すわが国の琵琶によく似たる胴に極めて多くの弦を張り、奏でる時はばちを用いず、奏でる者自らの手指にて掻き鳴らすという面妖かつ複雑なる楽器のために書かれし音曲にて候ところ、かの「ぶりぃむ」氏が「ぎたぁ」に移し変えて奏でたるものと申し候。

世の風聞によるところ、かの「ぶりぃむ」氏は類まれなる「りゅぅと」の名手なるも、いかなる魂胆ありしかと問えば、「ぶりぃむ」氏曰く、「りゅぅと」なる楽器は、ただ一人にて奏でし時は良けれども、他の楽器、特に此の度の如く「びおろん」など複数の楽器と同時に奏でんと欲する時は、その「りゅぅと」なるもの音量の不足なるが故に致し方なく「ぎたぁ」にて代用するものなりと申し候段、くれぐれも御許し願い上げ奉り候とのこと。
しかしながら、その腕前たるや、その若き年に相応しからず、見事なること鬼神のごとく、聴く者の心を揺り動かさんとする様天晴れ至極。ことにその「はぁぷしこぉど」なる楽器と奏でし「序奏とふぁんだんご」なる音曲にては、その編纂の腕前といい、自ら奏でたる指さばきといい、誠にもって見事なり。今や天下に二人と並ぶもの無きやと存じ上げ奉り候。

その「ぶりぃむ」氏の奏でる「ぎたぁ」なるものの響き、時には大きく、時には小さく、時には激しく、また時には優しく。移ろいゆく時の流れにまかせ、寄せては帰す波のごとく、聴く者の心に迫りくること比類なく、まさに血沸き肉踊るとはこのことなりとの風評、巷にてつとに高まりしところ、これまた天晴れなりと申す者多く、かの「序奏とふぁんだんご」なる音曲を、自らも奏し仕らんと挑みし若者が我も我もと現れ、瞬く間に世に広まりしものと推察申し上げ奉り候。
その中において、いと珍しきことなれど、かの「村治佳織」嬢も、今春、江戸は「浜離宮 朝日ほぉる」において、この「序奏とふぁんだんご」なる音曲を披露せしところ、彼女を人目見んとて、はるか遠方よりつめかけたる溢れんばかりの聴衆、皆その腕前のあまりの見事さに割れんばかりの拍手歓声の嵐が巻き起こりたる風評は、既に皆様のお聞き及びのところと存知上げ奉り候。かくなる上は我らが「村治佳織」嬢の、今後のさらなる御活躍を願わぬ者無しと存じ上げ奉り候。

また先に申し上げたる「はいどん」なる者の手になるところの「ぎたぁ四重奏曲」なる音曲も、「ぶりぃむ」氏の見事なる編纂術と、またも天晴れなる見事な腕前、さらに氏の類稀なる感性故、世に同じ音曲に挑み、披露したるもの多かれと雖も、皆「ぶりぃむ」氏の足元にも及ばざりしものなりと申すもの多く、誠にもって「じゅりあん・ぶりぃむ」氏、今や天下に並ぶべきもの無き「ぎたぁ」の上手なりと申し上げ奉りたく、ここに言上奉り候。
皆様におかれましても、是非是非一度なりとも若き「えげれす」の名手、「じゅりあん・ぶりぃむ」氏の腕前をお耳にされていただきたく、ここに御願い上げ奉り候。
内生蔵 幹(うちうぞう みき)


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