2006年10月5日のブログ記事一覧-ミューズの日記
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<あれも聴きたい、これも聴きたい> 歴史記録としてのレコード、CD

以前にもこの原稿の中ですこしぐちったことがあるが、この原稿を書かせてもらうようになって、レコードやCDを棚から出してきては解説書などを確認するのだが、録音に関するデータが一切記載されていないケースが意外と多くて困る。中でも最も困るのが、録音年月日が記載されていないことだ。次に録音場所、そして使用した楽器、できれば録音機材なども記載していただけると大変良いデータとなるんだが、そこまで記載されたレコードやCDはなかなか少なく、滅多に無い。
そうなると、このレコードに記録されている演奏が(正にその演奏家の芸術家としての歴史記録だと思うのだが)、その演奏家の何歳の頃のものなのか、どこで、どんな楽器を使ってなされたのか、謎に包まれてしまう。
これを出されたレコード会社の方々には、そんなことはまったく興味がないのかもしれないが、その演奏家を愛し、また新しい録音を楽しみにしている我らファンとしては何か割り切れない物足りなさを感じる。

特にこのような原稿を書こうとすると、そのあたりが大変重要なことになってくるので、私なんぞはどうしているかというと、まずそのレコードを購入したのがいつ頃なのか、必死で思い出してみる。(今にして思うと、そのジャケットの裏に、購入の日付、店の名等を自分で記入しておけば良かったと思っている-中にはいくらかそうしたものもあるが)そしてそのレコードが発売になった時やそのレコードをレコード店の棚に見つけた時の驚き、手に入れたときの喜びの気分など、思いをめぐらしてみる。(しかしこれは1枚1枚のレコードに、自分なりに結構な愛着があるので、そんなに困難なことではない)またそれがギターを始めた中学のころなのか、それとも高校に入ってからなのか、または大学に入った当初、第1回、第2回の新人演奏会へ出る前なのか後なのか、とにかくいろいろ思い出してみる。そしてそこから発売の年をおおよそ導き出し、またそこから録音の年代を推定するようにしている。

しかし、そうなると、自分がそのレコードを買った時が、そのレコードの初出の時なのかどうか、再発だったのではないかを明確に把握していなくてはならない。ついうっかり自分が買った時に初めて発売になったと思っていたら、実はそのレコードは、10年も前に発売になっていたということもあるかもしれない。しかも何枚かのレコードとして出されたものの中の、売れそうな曲ばかり集めて新しく出されたものかも知れない。日本の場合特にそれが多く、初出の時の曲の組み合わせが何だったのか、もはや知りえないようになってしまっている。しかも永久に没にされてしまう曲も後を絶たないから本当に困る。

曲の組み合わせもそうであるが、ジャケットそのものの写真や絵なども変わってしまう。せっかく初出の時はしゃれた装丁で出ていたレコードが、再発になった途端、何の変哲もない写真や、内容とまったく関係がない名画かなんかに取って代わられ、しかもレコード会社の無知な連中の勝手な選択により、貴重な演奏が没にされ、やつらの考える売れ筋の曲だけが組み合わされて世に出てくることも多い。まったくもって困った現象と言わざるを得ない。(クラシックギターのレコードなんぞで、曲の組み合わせを変えさえすれば売れ行きが伸びるものなのかどうか、そこのあたりを一度伺ってみたいものだ)

だが、もっと困る問題もある。余計なお世話という企画である。
セゴヴィアはご存知のように、その長い生涯に大変沢山の録音を残してくれている。以前、そのセゴヴィアの残した貴重な録音を集大成したと称して、全て作曲家別、或いは独奏曲や協奏曲別などジャンル別に編集しなおしてシリーズとして出されたことがある。この企画にはまったくもって困った。

セゴヴィアのレコードのジャケットは、特にDECCAから出されていたものは全てといってよいほど良い悪いは別にして、ジャケットの装丁に愛着とともに懐かしい思い出がある。学生の頃でもあり、おこずかいに事欠いていたころとて、欲しくても買えなかった憧れのジャケットというものが沢山あった。そんなレコードを店の棚に眺めつつ、「いつか自分の自由になるお金が持てるようになったら、こいつら全部一遍に買ってやる!」と思ったものだった。その時の私にとっては、そのレコードの中身とジャケットのデザインとは不可分のものであり、手に入れる時はそのジャケットであって欲しかったのだ。
なのにである。そのセゴヴィアの演奏が録音の年代メチャクチャ。作曲家や演奏曲目によって、無理やり分けられ、あたかもセゴヴィアの演奏記録を完璧に纏め直したかのごとくにして発売になった。そりゃああまりにも余計なお世話ってものだ。購入意欲がまったくもって失せてしまった。(もっともそんな全集も、出すからにはそのような編集の仕方を良しとする方がどこかにおられるのかも知れないが)
確かにそのCDの解説には、録音年代などが従来のものよりは克明に記載されていたと思う。しかし私はセゴヴィアの数十年に渡る演奏記録の中から、ポンセの曲ばかり集めて聴かせてもらおうとは思っていない。協奏曲ばかり集めて聴かせて欲しいと思ったことは一度もない。そんなことをしたら録音状態が曲によってばらばらになり、ステレオもモノラルもゴチャまぜ、曲によって音色も違ってしまうのに加え、セゴヴィアのそのレコードを録音した年齢の記録がゴチャゴチャになってしまうではないか。(若い頃と晩年の演奏が1枚のCDの中に混在し、セゴヴィアのある年齢、ある時期における歴史の記録となっていない)しかも例の私達が若い時に憧れたジャケットデザインがどこへ行ってしまうのか、めちゃくちゃになってしまう。

優れた演奏家の優れた演奏記録は、後になって再発する時も、当時の内容、デザインをぜひとも踏襲していただきたい。そしてその解説には、録音期日、録音場所、発売年月等、そして出来うるならば使用楽器など、その他レコード録音に関するデータを記載していただきたい。それらの記述がまったくないレコードやCDは、あたかも中国の海賊版CDのようで、著しく記録(レコード)としての価値をおとしめている。
内生蔵 幹(うちうぞう みき)


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