2005年12月のブログ記事一覧(5ページ目)-ミューズの日記
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メキシコから帰国して英会話に苦労した話をしましたが、英語にも大分慣れて海外出張もバリバリこなし始めた頃に、母が肺がんであることが発覚しました。
しかも愛知県がんセンターでは『あと半年の命です』と宣告されてしまいました。しかし、1~2ヶ月経つと『この癌細胞は進行が遅い種類である事が分かりました』と言われました。もうその時はぶん殴ってやりたい気持ちでしたね。人の寿命を宣告するのにもう少し責任を持って欲しいと思いましたね。『あなたにとっては日常茶飯事なのだろうが、あと半年と宣告される側にはどれ程ショックなことか・・・』そして結局はその後3年に亘る闘病生活が続きました。抗癌剤の副作用で『パーキンソン症候群』が発病して半身がだんだんと動かなくなり、母は『なんでこんな事になってしまったのだろう!』と嘆く毎日でした。そしてとうとう私が39歳の秋に母は永眠してしまいました。この3年半程は私も家族も仕事以外にプライベートの時間を持つことはありませんでした。しかし、最後に親孝行の真似事が出来たと思っています。

その反動でか私は40歳になってからいろいろと活動を始めました。
その一つにマリンスポーツがあります。ゾリステンの榊原さんのお誘いで一柳さん親子とその漁師仲間が船を出してくれて名古屋港から少し走った離れ小島にバーベキューをしに行った事がきっかけでした。ジェットスキー、モーターボート、バナナボートと乗せて貰いました。そして、今までマリンスポーツには全く興味のなかった私が一辺に目覚めてしまいました。『マリンスポーツってこんなに楽しいんだ!』と、浜松に帰るとすぐにスキューバ・ダイビングのライセンスを取るためスクールに通い始めました。そうしたら家内も取ると言って一緒に通い始めるではありませんか?水が恐くてプールにも入れない人が・・・。驚きました!

まあ、めでたく二人ともライセンスを取るとダイビング・ツアーの始まりです。あちらこちらと行きましたね。そして、メキシコ時代に覚えた8mmの撮影を今度はビデオに変えて、水中撮影を始めました。写真は沖縄で珊瑚に出たり入ったりするカクレクマノミを撮影しているところです。もう、水中は別世界ですからね、被写体には事欠きません。水中でも人の後ろから、横から、はたまた前に回って前方からとフィンを懸命に動かして動き回って撮影しました。お陰でエアーの無くなるのが早いのなんのって!また、ツアーの全体も収めるので編集が終わるとダイビング仲間が我が家に集まっては上映会です。飲みながら映像を見ては笑ったりけなしたりして話が弾みます。そして、ライセンスもアドバンスを取り、とうとうダイブ・マスターまで取得しました。今思うと私にとっていい時代のひとコマだったですね。

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