2006年1月17日のブログ記事一覧-ミューズの日記
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<あれも聴きたい、これも聴きたい> 宝物CD編

こんなジャケットのCDをご覧になったことはあるだろうか。
このジャケットを見るたび、私は何か胸にこみ上げるものをどうすることもできません。今から何年前になるでしょうか、その時私は会社で仕事をしていました。私の仕事は外に出る仕事なので、その時いつもは既に出かけているはずの時間でした。 そんな時かみさんからの電話です。
「七戸さんが亡くなったんだって」
一瞬何を言っているのかわかりませんでした。
「なんて?」
「だからあ、七戸さんが夕べ亡くなったんだって」
どうしてそんなことが・・・。彼とは当時既に10何年来の友人で、私が名古屋にいるころは企画を引き受け、ギター製作家の加納さんのご自宅で彼のコンサートを開かせていただき、その時のアルベニスのグラナダが素晴しい演奏で、しばらく名古屋でもグラナダを何とかあのように弾きたいと、流行ったものでした。

彼とはよく「電話で二重奏の練習しようかあ」と冗談を言い合った仲でした。
私が大阪へ来てからも、知り合いの喫茶店で彼のサロンコンサートを開かせてもらい、その夜自宅にも泊まってもらって、夜遅くまで語り合ったものでした。そして次の日、奈良でコンサートがあるというので、大阪市内のある駅まで車で送っても行きました。そしてある年、暮れ近くだったと思います。滋賀県の守山駅の近くの小さなホールでコンサートがあるから来てくれないかとの連絡が彼からありました。「勿論」と言って、その日はかみさん共々車で行きました。その時の演奏はまったく彼らしい、何かひっそりとした中にも味わいの深い、また信じられないくらいの美音を奏でていました。

その時の楽器がかの有名なグレッグ・スモールマンです。
それまで彼はよく野辺さんの楽器を使っていましたが、いつしかスモールマンを手に入れ、それをまったく自分の楽器として手中に収めていたのです。ほんとに美しい音でした。あれほど美しいギターの音を聴いたことは、それまで一度もありませんでした。その日、演奏後「打ち上げに来てよ」と誘われましたが、その時なぜか主催者の方に遠慮して断ったら、彼は「なんでよお」と怪訝な顔をしていました。
しかしその「なんでよお」という言葉が私にとっては彼の最後の言葉になってしまいました。

翌年たしか3月だったと思います。先ほどの電話が会社にかかってきたのは。今ではあの時私がいつものように一緒に行っていれば、彼も死なないで済んだのかもとさえ思えてしまうほどです。その後2ヶ月ほどしてやっと彼の自宅を訪ねることができ、位牌に手を合わせた後、奥さんに「主人のギター弾いてやってくれますか」と言われ、ケースから取り出して音を合わせ弾いてみましたが、いくら頑張ってもあの美音は出ません。信じられないくらいにあの音が出ません。楽器が自ら私を拒否しているようでした。「この楽器でどうしてあんな甘いいい音が出せたんだろう」

その後半年ほど経って奥さんから連絡があり、七戸さんが亡くなる直前神戸に行っていて、そこから「六甲山の上から眺める神戸の街がとても素敵だ。いつか一緒に来よう」との電話があったことを思い出し「そこへ私も一度行ってみたい」とのこと。六甲山のふもとにホテルを予約して、かみさんと三人で山頂へ行きました。
「ここが主人が来たところですか?」その時奥さんはとても感慨深げでした。
その七戸さんの奥さんが、生前七戸さんの残した録音をなんとか集めてCDにし、送ってくれたのがこの写真のCDです。
今日はとても文章が長くなってしまいました。すみません。  内生蔵 幹


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