2006年1月5日のブログ記事一覧-ミューズの日記
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<あれも聴きたい、これも聴きたい> 掘り出し物CD編・第3話

上の写真をご覧ください。左の偉そうに腕組みをした眼光するどいあんちゃん。
これがかの有名なマニュエル・ポンセの若かりし頃の写真。
それでは右はというと、だっこした愛犬に「ほら、写真を撮ってもらうんだから、あっちを向きなさい。」とでも言っているような晩年のポンセです。
白髪の上品な紳士でしょう。
私たちが良く知っているポンセは右のようなのが多いと思います。
左のような写真は結構珍しいのではないでしょうか。(いずれもオスカー・ギリアのポンセだけを録音したCDのブックレットから引用させてもらいました)

何故今回ポンセを取り上げたかっちゅうと、実は私が最も好きな作曲家だからです。ぜひとも皆さんにポンセの魅力を知っていただきたく取り上げただあヨ。
マニュエル・マリア・ポンセは1882年12月8日メキシコのある町で生まれました。ポンセは12人兄弟の末っ子として生まれ、8歳の時に最初のピアノ曲を作曲し、只者じゃあない才能を発揮しました。
生涯のうちに交響曲は残さなかったものの、管弦楽曲、歌曲、いろいろな器楽曲など数多く残していますが、他に協奏曲として重要なのは、ヴァイオリンの名手ヘンリク・シェリングのために書かれたヴァイオリン協奏曲とセゴヴィアのために書かれたギターのための南の協奏曲の2曲だすなあ。(ピアノ協奏曲もあるが、若いころの作曲で何かまだ変)

我らギターファンとしては、1924年にアンドレス・セゴヴィアと知り合ってから続々と書かれたギター独奏曲が最も身近ですね。ポンセはセゴヴィアとつるんで結構悪いこともやったんだけども、あのバロック時代のリュート奏者、ヴァイスの作とウソこいて、知らん顔して演奏しとったことがある。
そのころはそういうことが流行ったみたいで、ヴァイオリンもかの有名なクライスラーが、自作をラモーの作とか言って知らん顔しとったことがある。(間違ってたら御免)今聴いてみたら何がラモーじゃあ、というような感じだけども、その当時は偉いクライスラーの言うことだぎゃあ。皆信じちまったんだろうなあ。

それに比べりゃあ、ポンセの曲はようできとったなあ。ろくすっぽ音楽の勉強もしとらんかった私らにゃあ、何ともはやかっこいいバロックの曲だと思えちまった。
私ら学生のころヴァイス作曲なんて言って演奏会で弾いとったんやけども、えらいはじかいたもんだ。セゴヴィアとポンセにいっぱい食わされちまったわけだ。
しかあし、そんなこたあ今さらとやかくいわねえ、勘弁してやらあ、と今回はポンセのピアノ曲をぜひとも皆さんには聴いてもらいたい!(決然とした態度)
これがまたええ曲ばっかりなんだわなあ。

ポンセはエストレリータって歌曲があって、そればっかりが有名になっちまったきらいがあるけんど、エストレリータがぶっ飛ぶくらいきれいな旋律、和声の連続。
まさに現代の(というにはちょっと古いか)メロディーメーカー。それがまたみんな泣かせるんだわ。
ギターでよく演奏されるスケルツィーノ・メヒカーノ(メキシコ風スケルツォ)も実はオリジナルはピアノソロというのはよく知っとりゃあすと思うが、実際に聴いたことねえだらあ。(だんだん言葉がきたなあなってきてまった。注意せにゃあ)
その他にも後から後からきれいな旋律が出てきて、びっくりこいてまうことうけあい。

その作風は一種郷愁をそそるって言うか、おいちゃんなんか何だか子供のころを思い出しちまって「おかあちゃあん」って叫びたくなっちゃうんよ。
こんなピアノを弾いてくれるおねえちゃんがいたら、即いちころだわなあ。
こんな素敵なポンセのCDを聴いてみたいおねえちゃんはミューズにいらっしゃい。おいちゃんがかけてあげるからね。

ところでポンセは1948年4月の24日にメキシコシティーでなくなっとるんだけど、私が生まれたのは1948年(昭和23年7月22日)、実は私がポンセの生まれ変わりっちゅうことはまあだ誰にも言っとりゃせんから黙っとてね。お願い!
                      内生蔵 幹

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