消防士 兼 旅人の日記

消防署での出来事、ダラダラした日常生活を綴ります。

見てるだけならば

2013-11-02 22:04:11 | 救急隊の本音
昨日は6件、平均からすれば少なめ。しかし、消防署にはほとんどいませんでした。

1件にかかる時間が長くて…。病院が見つからないのもあったし、CPA(心肺停止状態)もあったし。少しばかりのモヤモヤを残した1当番でした。


そんな昨日のお話ではないのですが、先日の事案で思ったことを。

いつものように救急指令がかかって出場。道路上で倒れていてけいれんしているとのことでした。

エピ発作?低血糖?意識は?最悪はCPAか?そんなことを思いながら5分かからずに到着。到着間際に人だかりができており、予感はだんだん悪い方へ。

着いてみればCPAであり、すぐさまCPR(心肺蘇生法)を開始。目撃のあるCPAであり、直近で5分もかからずについたのでCPAになってからそんなに時間は経ってないはず。

AEDを装着してみれば除細動(電気ショック)の適応。ショック1度実施して車内収容の準備をしている間にもう1度ショックを実施。

消防隊も少し遅れて現場に来ましたので、協力して車内収容。途中でドクターカーとドッキングしてそのまま救命センターへと言う事案がありました。


CPRを行いつつ、最初に目撃をしていた方から状況を聞く。見ていたことを一生懸命お話してくれる。

人だかりができていたぐらいですので、一人だけではなく何人も現場にいた。変わる変わるその時の状況を伝えてくれてはいました。

どんな状況で倒れ、またその時から時間がどれぐらい経っているとかも判断するうえで重要な情報にはなります。


でも…


誰一人、私達が到着するまでの間、心肺蘇生法をやっていてくれてる人はいなかった。


一生懸命その時のことをお話はしてくれるんです。前述したように、それはそれでありがたいんです。でも、『誰か心肺蘇生法とかやっててくれましたか?』の問いには誰も…。

あれだけ人がいて、結果的にはAEDもちょっと行けばあるような場所に倒れていたんです。それだけ早く蘇生するチャンスはあった。でも、私達が到着するまでの間のロスがあって、確率が少しずつ落ちていった。救急車の中で自発呼吸は戻ったがしっかりしたものではない。意識も戻らないまま。ドクターも、予後は何とも…と。

その後、どうなったかな。


言葉は悪いかもしれませんが、見てるだけなら誰だってできるんです。その時のことを話すことも、その場にいれば誰だってできるんです。

本当に欲しいのはその先の行動。ほんのちょっと勇気を出して、心肺蘇生法をすること。何となくの知識しかないとしても、極論言えば胸だけを押すこともできるはず。

そこまでを求めるのはハードルが高すぎるのかな。でも、仮にそこで倒れている人が自分の大切な人であれば、同じことするだろうか。

他人だったらそこまでしなくても良い?


そこで無念にも倒れ、助けて欲しいと思っているかもしれない。喋ることも、手を差し出すこともできないが、倒れた本人はまだ生きたいと強く思っているかもしれない。まだまだ家族のため、子どものために生きなくてはならないのかもしれない。

倒れた人のバックグラウンドは知る由も無いけど、そんなことを問いかけたくなるような出来事がありました。


明日は休みです