それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

架空のインタビュー年末スペシャル:自分総ざらい

2010-12-27 19:39:16 | 日記

―――― この世界に入ったきっかけを教えてください。

M:
幼稚園に入った頃から、「自分」と「家」と「世界」の間の違和感がすごくあって、小学校に入ると、その違和感がいよいよ大きくなってきて、特に「自分」と「世界」の間の違和感は恐ろしいほどの大きさになってて。

そういうことを感じている子供って、おそらくかなりいると思うんだけど、たぶん僕はそれが言うほど大きくなかったから、学校に行くのを止めるとかは言いださなかったんだと思うんです。

ところが、中学に入って思春期がはじまるといよいよ、頼りの「自分」にまで違和感が出てくるようになって、もう自分の居る場所が分からなくなってくるところに、音楽が登場してきた。

高校に入って、音楽というものだけじゃ、もうその違和感をどうにも出来なくなってきたとき、社会科学っていうのが登場して、僕はどうにか違和感に負けることなく生活してこれたのだと思うんです。

大学で研究がいよいよ本格的に始まって、研究で生活していくかどうかの岐路の時に、もう一度、小さい頃から感じてきた「違和感」をどうしたものか考えるようになって。

社会科学の研究が自分にとってものすごくしっくりきたのは、間違いなく自分と「自分」に対する違和感と、「世界」に対する違和感の秘密を解き明かせそうだったからだし、同時に、「研究」という行為がその違和感からの最良の逃避方法だって、幼稚園の頃から身に染みて知っていたんで。

幼稚園の頃から、とにかく家で思索にふける、というか、何かを作ったりしていて、それは間違いなく、違和感のある「世界」からの逃避であって、同時に、自分が自分であることを確かめる唯一の方途だったとのだと思うんです。

だから、ちょっと外に出ると色々なことが刺激になるというか、おそらく自分にとっては外の世界は違和感だらけだから、考えることばかりになってしまう。

そういう外に出る行為というのは刺激的すぎて、自分の精神がハイになるのをコントロールできなくなることがよくあって、ハイになりすぎると今度はローになりすぎるわけで、その兼ね合い、バランスということに気を配りながら生きているというか・・・。

おそらく、僕はそういうバランスをとる生活全体を研究生活と呼んでいるのだと思います。



―――― 一見すると、非常に孤独に見えますが。

M:
孤独というものは、「孤独ではない状態」、つまり誰か一緒にいて心のつながりがある状態の反対のことを指していると思うんです。

一番の孤独は、人の中にいるのに心のつながりが全く無い状態とよく言いますが、自分の研究生活はそういう状態ではなくて。

むしろ、人と話していて、自分の世界の話が全然通じなかった時の衝撃を周到に避けているというか。

自分のこれまでの人生を振り返ると、そういう衝撃だらけなんです。

差異を意図的に生み出そう、アイデンティティを維持しようという動きだけじゃなくて、本当に、話していてコミュニケーション不全になるというか。

だから、コミュニケーションが取れてしまうと、それでもういきなり「親友」のつもりになってしまうというバランスの悪さです。

そういうハイな状態もできるだけ避けようとは思っているのですが・・・。しかし、それも避けてしまうと、いよいよ孤独になってしまう(笑)

ジレンマなのは、本当に世界の「違和感」を感じなくなったとき、僕はおそらく研究の動機が無くなってしまうんじゃないかと思うんです。

つまり、孤独ではなくなって、自分が世界に受け入れられていると強く思いすぎると、おそらくかえって良くないっていう。そういう意味では、ちょっとだけ孤独を維持して行くべきなんだと思うんです。



―――― 今のプロジェクトも大詰めだそうですが。

M:
辛い時期に入って長いこと経ちました(笑)道筋ははっきりしているのですが、精神と体力の勝負といったところです。

毎回、プロジェクトごとに思うんですが、「これはすごい研究だなあ、読んで欲しいなあ」と思う自分と、「たぶん、誰も分からないだろうな」と思う自分と、「そんなに注目しないでほしいな」と思う自分と、色々矛盾しているんです。

だから「研究読みましたよ」って初対面の人から言われると、すごく怖くなる。え、なんで?って思ってしまう。そして、「伝わってる?本当に」って。同時に、「もうちょっと待ってくれ、全貌はまだなんだ」とかも思う。でも、話してもきりがないので、当たり障りのない話に逃げてしまう。

面倒です、自分。いずれにせよ、できるかぎりの力で公にするように頑張りたいと思っています。




―――― 今後の展望などお聞かせください。

M:
架空とはいえ、インタビュー項目がおかしい(笑)

自分にとって少しだけ不安なのは研究のことです。ひとつは、研究が完成してしまったらどうしようという不安と、もうひとつは、研究が完成しなかったらどうしようという不安です。

要するに、どうなって不安なわけです(笑)

自分のプロジェクトは一応、予定では一生分ちゃんと問い続けられるはずなんですが、だとすれば、結局、このふたつの不安はいつもあることになる。

ただ、やっぱり自分のプロジェクトは、非常に細かいプロジェクトの集積ですから、その集積がひとまとりになってもらいたい、という気持ちはいつもあります。

そうしないと、おそらく僕が今考えていることを誰も理解してくれなくなってしまう。

人のプロジェクトって、口頭で聞いても本質的にはなかなか理解できないんです。やっぱり、所詮は他人の頭のなかですから。

だから、どんどん書いていかなくてはならない。しかも、人から見れば何の意味もないようなデータの山から、証拠をどんどん集めながら。そういう作業が自分を支えていると思います。

刺激物フリーな生活を

2010-12-27 18:21:26 | 日記
午後、お茶を飲み過ぎると(2杯くらいで)一時的にかなりの鬱状態に陥るのはどうしてなのか。

昔から刺激物に弱い。

今日の話で最も面白かった話題のひとつが、「終わりなき日常を生きる」の意味反転、についてだったのだが、僕はまさにこの意味反転後の世代の代表だ。

Udon, Once Again

2010-12-27 17:42:14 | 日記
また、うどんを作った。

昨日は家の大掃除をしたのに、うどんを作った。

大掃除はとても楽しかった(ひとりだったけど)。

それを最初に汚すのは、やはり掃除をした人でなくてはならない。

別にそのためではないのだけれど、うどんを作ることにした。



おそらく、僕はうどんが好きなんだと思う。

前回、美味しくなかったと書いたが、やはり納得いってなかった。

自分でだって、きっと美味しいうどんが打てるはずだ。

材料の問題はあるだろう。しかし、うどんはやはり技。

そばと違って香りの勝負ではない。

そりゃもちろん、麦の良い香りってのはあるだろうけれど、むしろ食感とのどごし、噛めば噛むほどじわじわ出てくる甘さが、うどんの持ち味だ。

自分のイメージに到達したい。

そう思っていたら、いてもたってもいられなくなって、もう一度うどんを打つことになった。



前回の反省は以下の通り。

うどんの生地のなめらかさが足りていなかった。

原因として考えられるのは、①踏み方が悪かった、②熟成時間が足りなかった。

水の量はそれほど問題ではなかったと思うのだが。

さらに、茹で方が悪かった。

原因は、①鍋が小さかった。ゆえにお湯が少なかった。②切り方が雑で太かった。③伸ばし方が十分ではなかった。分厚かった。

そして、つゆが駄目だった。

味噌味よりも、醤油味。豚よりも鶏とカツオ。

このすべてを解消すれば、きっと美味しいうどんができるはずだ。

そう思い、うどんを打った。



今回のレシピは、小麦粉500g、水225g、塩25g。

二回の踏む工程のあと、丁寧に手でこねてみる。

出来てきた繊維を確かめるように、ゆっくりこねる。

まるめ終わったら、少し暖かいところで十分熟成させる。



そうこうしていると、Tさんからメールがあってお茶をしようという。

「うどんを作っているから来ませんか」とメールすると、「行きます」と返事が。

僕の無茶なメールに、ありがたい返信。

Tさんは、うどんを作っていると言ってたけど、まさか、うどんを粉から打っているとは思わなかったらしい。

少しだけ驚くTさんをしり目に、生地をのばしにかかる。

3mm程度まで薄く伸ばしたら、折りたたんで、できるだけ細く切る。

それでも結構太い。とはいえ、前回よりはるかに良く出来ている。繊維の感じもかなりなめらかだ。

一番大きな鍋に水をたっぷりはって、ちょっとだけお酢を入れる。こうすると、麺が崩れにくくなるとか。

沸いたら、麺を半分入れる(250グラム分)。これが限界だろう。

12分ほどで茹であがったので、お湯から出し水でしめる。

なめらかで、つやのある麺だ。

その間に温めておいた、鶏と鰹節とネギなどの出汁と併せて、Tさんとともに食べた。

合格点。

ようやく出た合格点。

まだ改良の余地はあるだろうが、これなら自分で打つ意味がある。

うどん、深い・・・。



その間中ずっと、Tさんと格闘技から音楽から何から何まで話す。

とにかく面白い。何でも打てば返ってくる頭の良い人。

僕の無茶苦茶な音楽の話でも文化の話でも何でも大丈夫。

この人はすごい。すごすぎる。

毎回、いろんなインスピレーションをもらう。

今回もとても勉強になった。