それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

カナダの思い出

2010-12-19 22:47:46 | 日記
僕は北海道の人間だ。だから、と言うわけでは全くないが、「水曜どうでしょう」が好きだ。

好きだと言うのはおこがましい。僕に「どうでしょう」を教えてくれたのは彼女であって、僕がこの番組を好きになったのはずいぶん後のこと。

そのなかでも「ユーコン川160キロ」という企画が一番好きだ。

この企画は、カナダのユーコン川でカヌーを漕いで160キロ下るというもの。

人間がひとりもいない大自然のなか、カヌー初心者が懸命に漕ぐ姿と、辛そうだがユーモアたっぷりのキャンプの様子が描かれている。



この企画を好きになったのは、僕がカナダに留学していたときだ。

カナダのとても辛い日々のなかで、この番組にとても癒された。

カナダで初めて長期の海外生活をしたとき、本当に辛かった。それは僕の好きなことが一切封じられてしまっていたからだ。

料理、研究、音楽。

ホームステイほど窮屈なものはない。このどれも出来なかったため、僕は頭がおかしくなりそうだった。

ただひたすら、英語の勉強をしていた。

英語の勉強だけをするというのは、まるで自分が自分で無くなるような体験だった。

少しずつ自分が何のために生きているのか分からなっていく。実存の危機だ。

そのなかにあって、心の拠り所がこの「どうでしょう」の企画だった。

同じカナダにこんな素晴らしい場所があるのか。そして、こんな体験ができるのか。

実はこの川は比較的近い場所にあるらしい(ただし、行くには小型飛行機などに乗らなくていけないが)。

それを思っただけで、この番組の映像のリアリティは何倍にもなったものだ。



その辛い日々のなかで、忙しく英語の勉強しているなかで、僕は少しずつではあるが自分の研究を続けていた。「どうでしょう」の力を借りながら。

それによって、ようやく当時抱えていた研究のスランプを乗り越えることができ、さらに、英語の壁をひとつ越えたのであった。

それが今につながっている。

僕の研究生活の転機となったカナダの留学は、もう二度と戻りたくない時期のひとつなのだが、本当に必要不可欠だった。

そして何より、「水曜どうでしょう」の「ユーコン川160キロ」もまた無くてはならない存在だったのである。



話とは全く関係ないけれど、今日Tさんと一緒に行った「日曜焼き」(変な翻訳)の料理の写真をつけます。

初めてお店で食べた「日曜焼き」。

イギリスの鶏肉やラム肉を日曜日焼く習慣です。美味しかった。特にチキンが良かった。

ラムは去年僕らが焼いた奴の方がおいしかったですょ。




夢、その答え

2010-12-19 00:04:18 | 日記
昨日、今日と夢を見た。昔のことの夢を見た。

受験競争している夢だった。その前も中学生くらいの頃の夢だった。

僕は競争には向いていないと思いながら目覚めた。

研究しながら、少し昔のことを思い出している。

こころの奥のところに、色々な記憶が眠っているのだなと思う。

でも僕は今を生きている。記憶を掘り起こす趣味はない。

ただ夢を見ながら、ひとりで研究する年の瀬というのも悪くないのかもしれない。

記憶のなかの沢山のコンプレックスと改めて対峙した後でも、僕は今の僕でいいのだと言いきれるだろうか?

留学して分かったことは、この疑問に答えるのはロジックではなく、確信のみだということ。

やるべきことをやって、そこで出てくる確信のみがその答えだ。その確信のみが。