それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

エクソダス5

2012-09-16 08:33:06 | ツクリバナシ
T先輩との特訓が始まって、もう1か月が経とうとしている。

それはタカシが思っていたよりも、ずっときついものだった。

特訓が始まる少し前、ユーチューブのリンクが2つメールで送られてきた。

どちらのリンク先にも、何やら外国人がステージで10分強のスピーチをする映像があった。

T先輩は、これらの内容を1週間以内に英語一段落で要約し、さらに自身の感想を一段落書くように、とあった。

さらに、その後、有名な英語圏の新聞のネット記事が、これまたメールで送られてきた。メールの追伸には、次回、タカシが書いたレポートの添削に加えて、この記事について英語で議論するから、とあった。



初回は散々だった。

要約も間違っていたし、そもそも英作文の基礎の基礎の基礎から注意された。フォントなどの形式から、主語の選び方まで。

しかも、全て英語でだった。おかげで初回は2時間も英語で話すはめになった。

T先輩はタカシによくしゃべらせた。

彼はとにかくタカシにどんなことでも理由を尋ねた。

「なぜ、こう書いたのかな?」

「なぜ、そういう結論に達したのかな?」

なぜ、なぜ、なぜ・・・。もういい加減にしてくれ、とタカシは思った。

しかし、先輩は言う。

「日本人は理由を重んじない文化を持っている。小さい頃、小学校では必ず『言いわけするな』と言って先生に怒られた。

しかし、残念ながら、こうした先生たちは『言い訳』と『理由および根拠』というものを混同していたんだね。

英語で話す場合、必ず理由を求められる。理由がなければ議論にならないからだ。

日本人同士の議論というのは、テレビでやっていても、たいてい噛み合っていないだろ?

もちろん、英語でもそういうことは起こる。けれど、日本人は噛み合っていないということすらよく分かっていないことがある。」



タカシは開始30分でクタクタになった。リスニングもところどころあやふやだった。

T先輩はタカシのあやふやを許さなかった。

結局、タカシはもう一週間、同じ課題をやらされることになった。つまり、不合格だったのである。

悔しいけれど、仕方がない。出来なかったのだから。

それに出来なくても恥ずかしくはない。T先輩しか見ていないのだし、そもそもこれは単位が出る授業ではない。

T先輩は好意でやってくれているのだ。先輩に大いに感謝しなくてはいけない。



その次の週、また英語で議論した。

始める前、タカシはとても憂鬱だった。作文もスピーキングも、何もかもあまりにも出来ないからだ。

しかし、継続は力なり。タカシは開始1時間半、突然、頭のギアが英語に入る感覚に陥った。

傍目には分からないかもしれないけれど、少しスムーズに話せるようになった。

もちろん、その次のレッスンでは、もう頭は元に戻っていて、また一時間半の準備時間が必要だった。

けれど、ほんの少しずつ、何かがタカシのなかで変わっていく気がしていた。

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