それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

ルパン新シリーズの音楽を考える前に、ルパンの音楽について再考してみる

2012-03-21 23:08:24 | コラム的な何か
今から書くことは、菊地成孔がルパンの新シリーズの音楽を担当することになったというニュースから私が感じたことについてである。

現時点では、まだ彼の音楽がどのようなものになったかは分からないのであって、彼が担当することをどうのこうの言える状況ではない。

そこでここでは、ルパンの音楽とは何だったのか、それ以降、それに準じたサントラは無かったのか、という点について考える。



大野雄二のルパンの音楽はもちろん素晴らしいが、ファンによってやや神格化され過ぎていると感じている。

何といってもルパンの音楽と言えば、「ルパン三世のテーマ」だ。



ルパンのテーマは確かに素晴らしい。もちろん、ルパンのテーマと一口に言っても年代によって編曲が異なり、それぞれ趣向が凝らされている。

コード進行はかなりシンプルだが、メロディが非常に耳に残る。

見落とされがちだが、次の点は非常に重要だ。ルパンの音楽を考えるには、70年代全体のサントラの流行を追う必要がある。

70年代はファンクやジャズが日本の歌謡曲の文脈と混ざる形で、テレビのサントラに流入した時期である。

ドラマだけでなく、子供向けのアニメや特撮ものにもこの流れははっきりと現れた。

ルパンもそうした音楽のひとつだった。

日本でサントラ化したブラックミュージックと、70年代のヒーロー像はきわめて相性がよく、その結果、日本人の記憶に強く残る音楽がいくつも作られたのであった。

つまり、大野雄二のルパンの音楽は非常に素晴らしいことには違いないのだが、あくまでそれは70年代の日本のTV音楽産業固有の文脈から切り離しては考えられない。

だから、「大野雄二の『ルパン三世のテーマ』は超えられない」という主張は、「私は70年代の日本のTV音楽の一文脈が大好きです」という意味であって、それ以上でもそれ以下でもない。

音楽をその時代の文脈から切り離して完全に独立したものとして比較するなら、全く別の楽理的な基準が必要になる。

そのことを前提にして新シリーズの音楽を聴くべきである。



さて、もうひとつ考えなければいけないのが、ルパン音楽に準じたようなサントラはそれ以降存在しなかったのかどうかである。

「ルパン音楽に準じた」とは、すなわちブラックミュージック、とりわけジャズやファンクをベースにしたアニメのサントラで、特に耳に残るものはあったかどうか、という意味である。

管見の限りで思いつくのが、『カーボーイビバップ』のサントラである。

このサントラはこのアニメだけでなく、色々なTV番組の音楽として使用されてきた。

いわゆる主題歌にあたる「Tank!」は非常にキャッチーなビックバンド・ジャズで、多くの人が一度は耳にしたことがあるかもしれない。

カーボーイビバップはアニメそれ自体もルパンにやや似ていた。ハードボイルドなストーリー、細見でしなやかだが、めちゃくちゃ強い、でも結構痛い目にも合う主人公、セクシーなヒロインなどなど。

Tank!はコード進行やリズムの複雑さで言えば、「ルパン三世のテーマ」よりも高度だ。もちろん、高度だから良いというわけではない。しかし、Tank!はそのキャッチーさの点でもルパンの音楽に決して引けを取らないものだったと言ってよい。





カーボーイビバップの音楽の担当は、その業界では有名な菅野よう子だ。

多くのアニメのサントラを手掛け、いずれもきわめて高いレベルとして評価されてきた。

彼女はブラックミュージックのみならず、クラシックだろうが、テクノだろうが何でも書ける。いわゆる音大出身にしばしば見られる万能作曲家タイプである。

この万能作曲家タイプはどの音楽業界にも存在する。

このタイプに共通する弱点はオリジナリティだ。何でも書けてしまう、どんな音楽でもすぐに再構成できてしまうがゆえに、オリジナリティに苦しむ。

彼女のサントラはいずれも信じられないくらい高いレベルで、しかも信じられないくらい格好いい。しかし、元ネタが結構あからさまなことがある。

意図していないとは言い難いレベルでそっくりなことがある。

けれども、彼女のすごいところは元曲よりもつねにちょっと格好良く仕上がっているということだ。



では、「Tank!」は「ルパン三世のテーマ」ほど有名だろうか?

いや、有名ではない。

そもそもカーボーイビバップがそこまで有名ではない。

さらに俯瞰で考えてみれば、誰でも知っている歌謡曲自体、もう随分少なくなった。

つまり、70年代と今とではもはやTV音楽の意味が異なるのである。

だから、今からどんなアニメの音楽を作ろうが、誰でも知っているような音楽になることは滅多にない。

あり得るとしたら、ジブリ映画の音楽くらいだ。



だから、結論はこうだ。

誰がルパンの音楽を担当しようが、別に大したことはない。

大したことはないというか、もうどんな音楽でも「ルパン三世のテーマ」と同じような社会的意味を持つようなことはない、ということだ。

それは作曲者の能力の問題ではなくて、TV音楽における社会的文脈がすっかり変わったせいである。

だから、菊地成孔にプレッシャーをかけようと思っている諸君は再考する必要がある。

それはお年寄りが「今の若者はダメ」というのと同じことなのだ。

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