それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

五月病の無い世界

2012-03-11 00:42:15 | イギリス生活事件簿
ラケルとアレックスと話しているうち、五月病の話になった。

なったというか、僕が五月病の話をした。

が、全然五月病が伝わらない。

「日本では春になると、みんな鬱になるんだけど、ならない?」

皆、「ならないよ、冬じゃなくて?」と言ってくる。

「冬は問題じゃないよ、春が危険なんだよ。」

しかし、彼らは理解しない。というか、五月病なんて概念がヨーロッパには無いらしい。

イギリス代表エースも来たが、やはり理解しない。



五月病の無い世界!!

毎年毎年五月病になるというか、3月くらいから早くもなってしまう僕にとっては信じられない世界。

そんな世界があるのか。

と考えていたが、引っかかる。違う。何かが違う。

そもそも五月病なんて存在するのか?本当に五月病なんてものがあるのか?

『いや、あるよ。五月病になるって、みんな言ってるよ。』(僕の心の声)

ねえ、それって五月関係あるの?

『春だから、あれだよ、なんか・・・、そう、性的な目覚め、高揚と不安のコンビネーション、』

本当にそうかな、五月病って自然環境からの影響なのかな?

もしかするとそうじゃなくて、五月病なんてものは、僕らが「五月病は存在する、春はそれに罹る」と思いこんでいるから罹っている気がしているだけじゃないのかな。

あるいは、僕ら自身が五月病に罹ることを欲望しているんじゃないのかな。

『どういうこと?』

分からないけれど、要するに五月病なんてものは本当は存在しないんじゃないかってこと。

五月病はあくまで僕らの幻想と欲望の産物なんじゃないかってこと。

あれ?それにしても、最近、どうしてこんなに鬱々として寂しんだろ・・・(嘘です)。

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