それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

FNS歌謡祭雑感

2011-12-08 19:35:54 | コラム的な何か
最初から最後まで見れたわけではないが、感想を少し。

昔々ブログで紅白歌合戦は「すべてコラボ」&「その年のヒット曲はなし」に改革せよと書いた。

結果的に、FNS歌謡祭が僕の理想とする音楽番組に最も近づいている。

FNS歌謡祭とともに「僕らの音楽」でもフジテレビは音楽番組のノウハウをさらに高めてきた。

それに加えて、高度な音楽理論を教えるCS番組「憂鬱と官能を教えた学校TV」もフジテレビ系での放送だった。

フジテレビは目下最高度の音楽番組を製作する放送局の印象である。



2011年のFNS歌謡祭では、通常考えにくい組み合わせでの「生」の演奏がなされた。

しっかりしたバックバンドを編成し、細かく大量の楽曲を組み合わせる技術と熱量はすごい。すごすぎる。

TVとはいえ、生で歌い演奏することはアーティストの技量をはっきりさせる。

TVはライブと異なり、音を平面化し奥行きを失わされるため、音程のずれが目立つメディアである。

また、グルーブが出るかどうかはやはりアーティストの底力のみにかかっている。

個別具体的に言うことはしないが、うまいアーティストと下手なアーティストの差ははっきりしすぎていた。

音楽のリアリティにTVが出来るだけ肉薄しようとする姿勢は確かに成功していたと思う。



ただ、疑問に思ったことも幾つかあるので書く。

第一に、組み合わせは面白かったが、せっかくのライブ演奏がそれぞれ短すぎる印象を受けた。

豪華で実力のある組み合わせに割かれる時間が短いと、盛り上がる前に演奏が終わってしまう。

残念な結果に終わった組み合わせが散見された。

もちろん、細かく楽曲をつなげることで視聴者はアガル。

これはDJ的な手法ということが言えるだろう。

しかし、欲求不満も残った。



第二に、予定調和な演奏が多かった。

確かに編曲はかなり大変だったろうと思うものが多かったが、視聴者の想像を超えるようなものはほとんどなかった。

アドリブもほとんどなし。武田何某のサックスはアドリブだったのだろうが、熱量は良いものの、演奏それ自体はあまり評価できないものだった。

生であるだけで十分緊張感があることはわかる。

それは非常に伝わってきた。

しかし、それだけではまだつまらない。

ポテンシャルが高いアーティストにそれを出し切ってもらえないのはもったいない(ポテンシャルのないアーティストもいるだろうが)。



音楽番組が目指すべきは「旭山動物園」だ。

アーティストの本当の性質、特長を生き生き映し出す必要がある。

FNS歌謡祭はあともう一歩だった。

来年にさらに期待したい。

(テレビ東京やTBSで、ライブに強いけど、それほど売れっ子ではないアーティストの本当の特性を生かした緊張感のある音楽番組をうまい具合に作れないでしょうか。)

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