それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

エクソダス2

2012-09-14 11:02:40 | ツクリバナシ
初めて受けた英語の試験は散々だった。

コンピュータに向かって朝から何時間もテストを受けたのに、点数は必要な点数を40点も下回った。

おかげでタカシは絶望的な気持ちになり、英語が出来る人間がどうして出来るようになったか考えた。

帰国子女、才能、語学留学、ハーフ・・・自分が英語が出来ない理由を周りのせいにすると、少しだけ安心すると同時に、どす黒いものが自分のなかに湧き上がっていくのを感じた。

英語が出来るかどうかが環境要因だとしたら、最初から不平等なのであって、もし留学がプラスのキャリアになるのだとしたら、突き詰めると、最初から生涯賃金もある程度決まってくる、などと無茶苦茶なことを考えた。

しかし、そんなことは英語だけの話ではない、とすぐに気がついた。

すべてのことがそうだ。

そのことを呪っていても、今は前に進めない。

こんな嫌な国から出ていかないと。そうしないと、一生ここに住まなくてはいけなくなる。

タカシには明確な将来設計はなかった。そして、留学したからそのまま外国に住めるというような能天気な考えもなかった。

ただ、とにかく息がつまりそうだった。

街の空気がどこに行っても、ひどく重苦しく、誰もが悲しく沈んだ顔をしているようにみえた。

この国は、もう自分ではどうにも出来なくなっている、とタカシは思った。だからこそ、外に行かなくてはいけないと、ただ漠然と考えた。

しかし、この英語の点数ではどうにもならない。

これでは留学への切符は手に入らない。

仮に行けたとしても、どうせすぐに引き籠りになってしまう。

いずれにせよ、とにかく英語をなんとかしなくてはいけなかった。



英語のスコアはいずれも満遍なく悪かったが、リーディングだけが唯一マシな方だった。

考えてみれば、今まで受けた英語教育では、ほぼリーディングしか習っていない。

英作文も冗談みたいに短い文章を書いただけだったし、会話も適当に日本人同士が日本人に分かる日本語の英語で話しただけだったし、もう何もかもが今の自分には役立たずにしか思えなかった。

相談するしかない。タカシはそう心に決めた。

もう自分ではどうしようもない。どういうわけか、参考書を買って勉強する気にはなれなかった。

もちろん、すでに参考書の幾つかは見繕ってみたのだが、こんな状態の自分に役に立つのか、はなはだ疑問だった。

とはいえ、相談する相手は限られていた。

昔、ゼミでお世話になったT先輩しかいない。

T先輩は博士課程で勉強していて、タカシとは5歳以上も離れていた。

さっそく先輩にメールをした。

出来るだけ簡潔に事情を説明し、そして、問題点を箇条書きにした。

これらについてアドバイスが欲しい、と最後に書き添えた。

T先輩が比較的早くメールの返信をくれたのは、やや意外なことだった。

彼はゼミでティーチング・アシスタントをやっていた時も、それほど熱心に参加するわけでもなく、ただなんとなくそこにいるような感じだったからだ。

ただ、ゼミの発表の相談を持ってきた生徒には、長い時間をかけて指導をしていた。

文面には、

「了解。とりあえず、一度話を聞こう。

明後日もし時間があれば、研究室に2時にどうぞ」

とだけあった。

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