終章 イラク攻撃に向けて作られたレフトビハンド現象
はじめに
USTR(米通商代表部=United States Trade Representative)が毎年の春に発表する『外国貿易障壁報告』(National Trade Estimate Report on Foreign Trade Barriers =NTE)が、米国の通商政策の強力な武器であることは、つとに知られている。しかし、外交政策についても、『世界の宗教の自由に関する年次報告書』(Annual Report to Congress on International Religious Freedom)があることは意外に知られていない。米国にとってのやっかいな国を、米国政府が威嚇する手段として、この報告書が使われているのである。この報告書は、米国防省(U.S.Department of State)によって毎年発行されている。
たとえば、二〇〇五年一一月に出された報告書は、世界一九七か国の宗教の自由に関するものであった。二〇〇五年版で七回目の年次報告書になる。毎年、七月から翌年六月までを調査対象期間にしている。
二〇〇五年の報告書は、ミャンマー(報告書ではBurmaと表記されている)、中国、エリトリア(Eritrea)、イラン、朝鮮(North Korea)、サウジアラビア、スーダン、ベトナムの八か国を「とくに懸念のある国」(Countries of Particular Concern)に指定して、状況の改善を強く求めている。『外国貿易障壁報告書』で指定された国には、「通商法スーパー三〇一条」を発動して経済制裁が科されるのと同様に、『世界の宗教の自由に関する年次報告書』で「懸念のある国」に指定されると、経済を含むあらゆる政策への圧力が科されるのである。
報告書は、朝鮮について、弾圧が続き、事態が悪化しており、「宗教の自由は存在しない」と指摘した。対テロ戦争の同盟国であるサウジアラビアに関しても、宗教的自由の法的保障がまったく存在しないと断言し、政府が公認した宗派以外のものに対する宗教警察の摘発も増えていると指摘した。
当時のコンドリーザ・ライス(Condoleezza Rice)国務長官(Secretary of State of U.S. Dept. of State)は、二〇〇四年に、法律や政策を修正して、宗教の自由を尊重することを目指す措置をとった国もあるとし、ベトナムなどは、このまま改善が進めば、近い将来指定を撤回する可能性があることを示唆した(「世界キリスト教情報」、第七七六信(週刊・総合版)、二〇〇五年一一月一四日、http://cjcskj.exblog.jp/m2005-11-14/)。
サウジアラビアが「懸念のある国」に指定されたのは、二〇〇四年が最初である。これは、対イラク戦争面でサウジアラビアを特別扱いされているのではないかとの世論に配慮したものであろう。
二〇〇四年の年次報告書も紹介しておこう。それは、二〇〇四年九月一五日に発表された。
宗教弾圧をおこなっている「とくに懸念のある国」には、二〇〇三年に引き続いて、朝鮮、中国、ミャンマー、イラン、スーダンの五か国が指定され、さらに、二〇〇四年にサウジアラビアとベトナム、エリトリアが新たに加えられ、指定国は計八か国となった。
また、イラクについては、二〇〇三年版では「とくに懸念のある国」に指定されていたのに、この年、米軍によるイラク占領が実現し、米国が事実上管理する暫定政府ができたことから、イラクには状況変化があったとして、二〇〇四年版では指定が解除された。
さらにこの年、ラオスとキューバが、「宗教的信条、活動を統制しようとする全体主義、独裁主義」(Totalitarian or Authoritarian Actions to Control Religious Belief or Practice )の国とされた。
サウジアラビアは、米国にとって、対テロ戦の遂行上もっとも重要な中東の主要同盟国ではある。しかし、政府が認めたイスラム教の宗派しか宗教活動ができないうえ、モスクでは、政府に雇われているイスラム教指導者たちがユダヤ教やキリスト教を攻撃していると、報告では非難された。ただし、石油利益のためにサウジアラビアを大目に見ているという批判を回避する狙いがあって「懸念のある国」に指定されたのであるが、実際には、なんらの制裁も科されていない。
ベトナムについては、政府が宗教活動を管理し、一部のキリスト者や仏教徒の活動を厳しくとり締まっていると指摘された。
気功集団「法輪功」や新疆ウイグル地区のイスラム教に対する中国の強圧政策も批判されている。
朝鮮については、報告書は「キリスト者が投獄、拷問され、生物兵器の実験の対象にもなっている」とする脱北した人権活動家の証言を掲載した。しかし、そうした証言の信憑性を裏付ける根拠は、明示されなかった。
米国には、宗教担当大臣(Ambassador at Large for International Religious Freedom)がいる。二〇〇四年当時の担当大臣は、ハンフォード(John V. Hanford, III)であった。彼は、年次報告書発表の記者会見で、「世界では、宗教的理由で投獄されている人がもっとも多い」と批判した。
この年次報告書は、一九九八年の「国際的宗教自由法」(IRFA=International Religious Freedom Act of 1998)に基づき、一九九九年から刊行されている(「世界キリスト教情報」、第七一七信、二〇〇四年九月二〇、http://cjcskj.exblog.jp/m2005-09-20)。
しかし、ここで、注意されなければならないことは、「宗教の自由」とは、宗教全般のことではないということである。事実上は、キリスト教徒とユダヤ教徒に限定されている。キリスト教徒とユダヤ教徒たちが、自由に自らの信仰を保持し、伝道する自由をもって「宗教の自由」というのである。彼らが、どれほど非キリスト教徒、非ユダヤ教徒たちを弾圧しても、そうした行為に対して、米国の「国際的宗教自由法」は発動されない。
ちなみに、二〇〇六年の第一一〇連邦会員議会選挙までは、米国史上、ユダヤ教徒とキリスト教徒以外に上院はおろか、下院でも連邦議員になった人はいなかった。この年の選挙で、ミネソタ州選出のキース・エリソン(Keith Ellison)が初のイスラム教徒、ジョージア州選出でアフリカ系米国人のハンク・ジョンソン(Hank Johnson)とハワイ州選出のメイジー・ヒロノ(Mazie Keiko Hirono、 日本名、広野慶子)が初の仏教徒として下院の議席を得た(渡辺[二〇〇九]、三〇三~〇四ページ)。
そして、二〇〇五年八月一九日、子ブッシュ(George Walker Bush)米大統領は、朝鮮の人権問題を担当する特使(President Bush's Special Envoy for Human Rights in North Korea)にジェイ・レフコウィッツ(Jay Lefkowitz)元大統領副補佐官(Deputy Director of Domestic Policy)を起用すると発表した。同氏は熱心なキリスト教保守派として知られ、ジュネーブの国連人権委員会(United Nations Commission on Human Rights)の米代表団メンバーも務めてきた。今後、人権問題や宗教の自由の改善を朝鮮に求めていくという(時事通信、二〇〇五年八月二〇日付)。
見られるように、ブッシュ大統領の外交政策、とくに、彼のいう「ならず者国家」(Rogue States)に対する外交は、米国流キリスト教の伝道の自由を要求することを大きな梃子にしたものであった。こうした米国大統領府の外交姿勢に大きな影響力を発揮したのが、米国のメガ・チャーチであった。
以下、米国の新しい宗教的傾向である、米国に対抗する国の指導者たちを「反キリスト」(the AntiChrist)として糾弾するメガ・チャーチ(Megachurch)とその司祭たちの政治的イデオロギーを紹介する。