消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

新著予告

2010-04-13 23:42:22 | information

本山美彦の待望の新著二冊がこの春、
                                           堂々と上梓される。


本山美彦
  『オバマ現象を解読する─金融人脈と米中融合
  ナカニシヤ出版、400ページ、2500円、ソフトカバー
 2010年4月末刊

本山美彦
 『韓国併合と同祖神話の蹉跌─雲の下の修羅
  御茶ノ水書房、80ページ、900円、ハードカバー
 2010年5月刊

 詳しくは、後日お知らせします。


                                
編集部


 

 


野崎日記(310) オバマ現象の解剖(55) サブリミナル(6)

2010-04-13 22:21:36 | 野崎日記(新しい世界秩序)


  五 保守的新福音主義


 メガ・チャーチは、表面の派手さに比し、教義面では、かなり保守的である。宗派に属するメガ・チャーチですら、本部よりも保守的である(Stevenson[1993], pp. 6, 8)。というよりも、メガ・チャーチは二〇〇〇年にわたる神学の発達を無視し、オドロオドロシイ黙示録に重点を移す。世界は、ハルマゲドンに突入しつつあり、サタンが、甘い笑顔で近付いているとなど、あらゆるオカルトが利用される。しかし、福音主義者たちの企業的宗教活動は、当然、互いの市場を食い合うことになる。

 メガ・チャーチの経済活動について詳細に分析した、ペンシルバニア州立大学社会学教授のロジャー・フィンクとロドニー・スタークの著作がある。『米国の教会化、一七七六~二〇〇五年、わが宗教経済の勝者と敗者』がそれである(Finke & Stark[2005])。

 その研究によれば、米国には既成宗派の確実な低落傾向が読み取れる。カトリックにおいて、新ローマ法王はカトリックの膨大な宣伝をおこなっているが、世界的な凋落傾向に歯止めを掛けることができないでいる。米国では、カトリック教徒が増加している。しかし、これは、主としてメキシコ人移民によるものであり、従来からの米国民に限れば、カトリック信者は減少傾向を辿っている。カトリック神父による相次ぐセクハラ事件がこの傾向に拍車を掛けている。資金不足から、カトリック教会やカトリック学校の閉鎖が続いている。

 二〇世紀の米国を主導したプロテスタント正統も同様の衰退傾向を辿っている。その衰退ぶりはある意味において、自動車メーカー、GMの惨状の宗教版である。統一メソディスト教会(United Methodist Church)や監督教会(Episcopal Church)などの、かつて主流であった大宗派は、この数十年間信者数を減少させてきた。この一〇年間だけでも一〇〇万人は減少させた。今日、プロテスタントの主流派に属する信者は人口の一六%前後であるとされる。

 それに対して、新たに台頭してきた新福音主義派の教会は、難しい教義を説教せず、オカルト的雰囲気を醸し出し、現代の文化風潮にも寛容である。バチカンのような絶対的な支配力もなければ、官僚組織もない。入会の敷居は低い。

 現在、米国の白人の福音主義者の数は、米国人口の四分の一は占めているといわれている。ただし、福音主義者の定義は曖昧である。聖書が神の言葉であると信じる人が福音主義者とされているが、この定義だけでは曖昧模糊としたものである。南部のバプティストや非主流派、ルター派(Lutherans)やメソディスト派も福音主義者である。黒人のプロテスタントも二五〇〇万人いて、自らを福音主義者だとしている。

 保守的な新福音主義的クリスチャンが激増したことによって、米国の政治的社会的風土は劇的に変化した。これまでの米国のエリートは、プロテスタント主流派であった。しかし、今日、ブッシュ大統領や下院議長(House Speaker)のデニス・ハスタート(Dennis Hastert)など議員の新福音主義者は一二人は下らない。

 重要なことは、共和党右派に新福音主義者たちが増えていることである。共和党系司祭たちは、市場経済的には革新的だが、政治的には保守である。一九六〇、七〇年代の著名な福音主義者であるビリー・グラハム(Billy Graham)は、リチャード・ニクソン(Richard M. Nixon)大統領の精神的アドバイザーであった。

 ジェリー・ファルウェル(Jerry Falwell)の登場が、この傾向をさらに推し進めた。一九八〇年代初め、彼は、保守派の政治的スローガンである「道徳的多数派」(Moral Majority)運動を展開したのである。今日の新福音主義者の政治的目標は、このスローガンを継承・拡張することである。その目標が企業国家米国(Corporate America)へと拡張された。

 富者は、日本の密教のように、認知された。富者は、天国に入ることが難しいといったイエスの言葉は、無視された。

 実際、オスティーンやけばけばしいクレフィオ・ダラー(Crefio A. Dollar)などは、「金持ちになる教義」(prosperity gospel)なるものを説いている。クレフィオ・ダラーは、ジョージア州(Georgia)カレッジ・パーク(College Park)の「国際世界変革教会」(World Changers Church International)の司祭である。彼らは物的繁栄を称揚する。そして、神は人々が豊かになることを欲していると説教する。オスティーンはいう。ブロンドの妻、「ビクトリア(Victoria)が金のないときに、意匠をこらした家を買ってくれとねだった。私はそんなことはできないと答えた。彼女は信念を持っていた。きっと私たちはそれを手に入れることができると。そして、彼女が信じたように、その数年後、私たちはそうした家を手に入れた」。

 気恥ずかしくなるような、こうしたカネ賛美が、宗教の世界で堂々と話されるようになった。

 ダラーは、ロールスロイスを二台持ち、「ガルフストリーム3」という自家用ジェット機で移動する。「私は自分の説教通りに行動している。神は、私が豊かになることを願い給う」。四三歳のダラーは淡青のストライプの入ったスーツにフランス風カフスをつけた服装でそのように語る(Symonds[2005], p. 50)。

 毒々しい物質主義は、シンクレア・ルイス(Sinclair Lewis)の小説中の人物、エルマー・ガントリィ(Elmer Gantry)かタミー・ファイエ・バッカー(Tammy Faye Bakker)のような宗教的金儲け主義の亡霊(specter of religious hucksterism)を彷彿とさせると嘆く福音主義者もいるにはいる。そのひとりが先述のウォーレンである。ベストセラーを出したウォーレンはいう。「私たちは、教会を企業に変えるのが目的ではない」。彼は、巨額の印税を得たが、それを私物化せず、依然として質素な生活を継続し、印税のすべてをサドルバック・チャーチに寄贈して一〇年になる。

 カリフォルニア州パサデナ(Pasadena)の「フラー・セオロジカル・セミナリ」(Fuller Theological Seminary)の理事、コーションズ・カート・フレディクソン(Cautions Kurt Frederickson)も警告する。「私たちは、司祭が最高経営責任者(CEO)になろうとし、あまりにも市場志向的になりすぎることを警戒しなければならない。丁度、ウォルマート(Wal-Mart)を警戒するのと同じ意味でメガ・チャーチを警戒しなければならない」と。

 メガ・チャーチは、「ブランド・ロイヤルティ」(Brand Loyalty=消費者が好む高い商標)を獲得している。たとえば、ウィロー・クリークの名がブランドになっている。このメガ・チャーチの名は、著名ブランド二五〇のうち、上位五%にランクされている。これは、ナイキ(Nike=スポーツ・シューズで世界のトップ・メーカーになった。ジョギング用シューズは一九七二年から製造開始)やジョン・ディア(John Deer=本社、イリノイズ州モリーン(Moline)、一九五八年設立。世界最大の農業機械メーカー。John Deer(一八〇四~八六年)によるグレート・プレーンズ(Great Planes=大平原)で使う鋼製の鋤(plow)の開発にさかのぼる)と並ぶブランドである。

 ちなみに、消費者が選好するするブランドに関する調査方法は、エリック・アーンソン(Eric Arnson)によるものである。この手法をマッキンゼー社(McKinsey)が買い取り、その手法を同社は「ウィロー・クリーク」に無償で提供したのである(Symonds[2005], p. 48)。

 メガ・チャーチは、フランチャイズを設立している。「ライフ・チャーチ」(Life Church)は、オクラホマ州に五つの教会を展開させている。さらに、アリゾナ州(Arizona)の州都フェニックスへの進出も計画しているという。司祭のグレシェル(Groeschel)は、フェニックスには効率的な教会がほとんどないとの市場調査の結果を得て、直ちに現地調査をしにアリゾナに飛んだのである。

 先述のアトランタのダラー司祭は、アフリカ系米国人であるが、彼は、ナイジェリア(Nigeria)や南アフリカ(South Africa)など五か国に教会を展開させている(Symonds,
p.50)。

 信者数の激増によって、巨大教会には莫大な現金が流れ込んでいる。伝統的なこれまでの教会は、せいぜい二〇〇人程度の信者した獲得できていなかった。そのために、年間予算も一〇万ドル程度でしかなかった。ところが、巨大教会は平均四八〇万ドルの予算を確保している。これは、巨大教会に関する数少ない研究者のひとり、ハートフォード・セミナリー(Hartford Seminary)の調査による。この巨額の収入で巨大教会は建築ラッシュに沸いている。

 カービヨン・カードウェル(Kirbyjon Caldwell)という司祭がいる。彼は、ウォートン(Wharton)のMBAである。彼は、一九九〇年代半ば、神学校(seminary)に入る前にファースト・ボストン(First Boston)の社債を売り払い、その収益で貧民支援組織を作った。ヒューストン近郊の貧困にあえぐ一万四〇〇〇人を組織して、「ウィンザー・ビレッジ・ユナイテッド・メソディスト・チャーチ」(Windsor Village United Methodist Church)を作った。彼自身が司祭長になった。この施設は、元は、Kマートのものであった。彼は、これを買い取り、教会と民間企業とをミックスしたような施設に改造した。従業員は二七〇人である。キリスト教学校はもとより銀行まで経営している。老人施設、小売店、公立学校を要する巨大センターの建設すら計画している。

 メガ・チャーチを核として、教会間のネットワークも作られている。それは、「疑似宗派」(quasi-denominational association)の様相を呈している。たとえば、「カルバリ・チャペル」(Calvary Chapel)や「ビニャード・クリスチャン・フェローシップ」(Vineyard Christian Fellowship)などは、数百の教会と連携している。その中には複数のメガ・チャーチも含まれている。司祭や経営陣が、頂点に立つメガ・チャーチから送り込まれている(Parrot & Perrin[1991])。「サドルバック・チャーチ」は、「娘教会」(daughter church)と呼ばれる身内の教会を二七持っている(Vaughan[1993], p. 112)。「ウイロー・クリーク」は、一九九二年時点ですでに七〇〇の関連教会を持っていたが、それからわずか四年後の一九九六年には一四〇〇に激増させている。異なる宗派が七〇あった(Gilbreath[1994])。

 それは、ピラミッド組織ではなく、近代経営組織と同じようなソフトな横組織であり、説教内容、ビデオ、教材、聖歌隊等々の資源の共有に重点を置いた組織である。ただし、こうした教会間の連合はつねに流動的であり、離合集散を繰り返している。先の「カルバリ」には、一九九一年の一年間、七六の新しい教会の加入があったが、去ったのも三五あったという報告もある(Brasher[1992], p.15)。