消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

野崎日記(309) オバマ現象の解剖(54)サブリミナル(5)

2010-04-12 17:07:47 | 野崎日記(新しい世界秩序)


 四 メガ・チャーチの出現


 米国の福音主義者たちは、「対抗文化」運動を自己の領域に取り込むことに成功した。これは、「文化適合」(cultural contextualization)と呼ばれている。教会音楽にロック(rock in roll)を採用し、非伝統的なスタイルで群衆を集める布教活動が組織されるようになった。小さかった教会が短時間で何万人もの会員を擁する大教会になることが頻繁に見られた。それは、経済の世界で、株式交換を通じるNAMによって、巨大企業が一夜で出現するという現象の宗教版であった。企業合併と同じく、新しく巨大になった教会もまた、メディアを最大限に利用している。

 マーケティング理論や社会学は、「教会成長理論」(Church Growth Theory)といった新しい学問のジャンルを見出した。若者の心を掴む新しい教会音楽は、「コンテンポラリー・ゴスペル」(contemporary gospel)や、「ワーシップ・ソング」(worship song)と呼ばれて、社会的に受け入れられ、若者の心を掴む手段となった。そうした音楽を販売するレコード会社が輩出している。宗教組織は、昔から多かれ少なかれ巨額の資金を吸収するシステムを持ってはいたが、それを明確なビジネスとして明示したのは、キリスト教右派である。新しい宗教が、「ニュービジネス」(new business)になった。そのニュービジネスに政治家たちが群がる。その構図が米国の対外戦争を支えている。にもかかわらず、宗教が聖域であるだけに、政・財・官・学の各界にまたがる強力な人脈の分析はいまだ進んでいない。   

                                                             
 米国の中南西部には、「聖書ベルト」(Bible Belt)といわれる地域がある。文字通り、キリスト教会がひしめく地帯である。そうした地帯の中のヒューストン(Houston)に全米で最大の教会がある。レイクウッド・チャーチ(Lakewood Church)がそれである。司祭はジョエル・オスティーン(Joel Osteen)。彼の熱い説教を聞くために、毎週末、何万人もの人々が集い、周辺道路は、ひどい交通混雑をきたしていた。いまでは、より大きな新教会が繁華街にできてその混雑はなくなったが。

 まだ四〇歳代のオスティーンは、「神は、あなた方に授ける富を豊富にお持ちである」と参集者に語りかける。一九九九年、父の死去によって説教壇に立つようになってからの彼は、参集者数をほぼ四倍に増やした。テレビに頻繁に出演している。毎日曜日、七〇〇万人の人がケーブル・テレビを通して、彼の説教を聴いている。この放送のために、レイクウッド・チャーチは、年間一五〇〇万ドルも使っている。彼は、二〇〇四年秋、Your Best Life Now(『いま、あなたに最高の人生を』)を出し(Osteen[2004])、少なくとも二五〇万部売れた。レイクウッド・チャーチは、二〇〇四年時点で、年間五五〇〇万ドルの献金を集めた。献金も一九九九年の四倍になった(Symonds[2005], p. 46)。

 オスティーンは、ヒューストン市の繁華街にある巨大な建造物のコンパック・センター(Compaq Center)を九〇〇〇万ドルで買収した。このセンターは、地元のプロバスケット・チーム、ヒューストン・ロケッツ(Houston Rockets)の本部であったビルである(12)。

 これを改造して、これまでの教会よりもさらに巨大な教会をオスティーンは作った。二〇〇五年七月にオープンした新教会は、座席数一万六〇〇〇、テレビで放映するフィルムを撮影するハイテク設備を備えている。オステーンは、参集者はすぐにでも、一〇万人に達し、レイクウッドの本部よりも大きくなるであろうと豪語した。

 オスティーンを取材したシモンズ(Symonds)は、彼を「福音主義起業家」(evangelical entrepreneurs)と呼んでいる。事実、オスティーンは、ビジネス・スクールが開発した様々な手法を堂々と取り入れている。オスティーンだけでなく、全米の福音教会が、宗教を成長するマーケットとして、多くの信者を獲得しようとしている。

 「南部バプテスト会議」(Southern Baptist Convention)という会員一六四〇万人の巨大組織がある。この組織は、経営学が唱えるニッチ市場論をそのまま踏襲して、新しい教会を一八〇〇も作った。たとえば、大牧場のカウボーイ向けの教会、オートバイの愛好者のためのバイク向け教会などがそうしたニッチ教会である。

 実際、宗教の影響力が薄れているという常識を裏切るかのように、米国では巨大教会(メガ・チャーチ)が隆盛ぶりを誇っている。それが、米国民の保守的イデオロギー形成の母体となっている。

 メガ・チャーチとは、週末の集会に平均二〇〇〇人以上を集めることのできる教会を指す(Thumma, Scott,"Exploring the Megachurch Phenomena: their charateristics and cultural context, "Hartford Institute for Religion Research, " http://hirr.hartsem.edu/bookshelf/thumma_aticle2.html)。

 サイズだけではない。メガ・チャーチは、従来のものとはまったく異なるタイプの教会である。おそらくは、この新しさがいまの米国のカルチュアーに適合しているのであろう。

 メガ・チャーチが輩出したのは、一九八〇年代になってからである。この年代には、年率五%の比率で巨大教会の新設があった。

 とにかく、メガ・チャーチは、巨大化するのに、それほどの時間を要しなかった。著名なメガ・チャーチの一つ、「アナハイム・ビニャード・チャーチ」(Anaheim Vineyard Church)などは信者ゼロから三〇〇〇人にするのに、五年しかかからなかったと、創設者のジョン・ウィンバー(John Wimber)は語っている(Wimber[1982], pp. 19)。二一世紀に入って、週末には全米で二〇〇万人がメガ・チャーチに通っている。これらメガ・チャーチは、一九八〇年に五〇しかなかったが、今日、八八〇もある。二日に一つの教会が建設されているという(Vaughan[1993], pp.40-41, 50-55)。

 ひとたび、二〇〇〇人の参加者を得れば、その数値だけで、メガ・チャーチの魅力は増す。突然に、群衆が教会に参集しだすと、周囲の人々も興味を持って教会を覗き、そこでの大群衆の雰囲気に魅了されてしまう。社会の関心を集めることに成功すれば、さらに巨大化に拍車がかかる。

 アトランタの「ワールド・チェンジャーズ・ミニストリー」(World Changers Ministries)のクレフロ・A・ダラー(Creflo A. Dollar)は、信者席を八〇〇〇に増設した。それだけで、近隣の人々の耳目をそばだたせ、新聞、ラジオ、テレビで報道され、さらに多くの人々が見にくるという相乗作用を生み出したのである(Came[1995])。

 規模と並んで、メガ・チャーチの地理的位置も重要になる。メガ・チャーチの七五%は、サン・ベルト州(Sunbelt stetes)に立地している。そのまた半数がその地帯の南東部にある。

 一九九二年のデータによると、カリフォルニア州がもっとも多くのメガ・チャーチを擁し、そのあとに、テキサス、フロリダ、ジョージアの各州が続く。つまり、米国で人口の増加率の大きい州の州都にメガ・チャーチが集中しているのである(Vaughan[1993], pp.77-80)。

 不規則に急拡大する町を、米国ではスプロール・シティ(Sprawl cities)という。ヒューストン、オーランド(Orlando)、ダラス、ロサンゼルス、アトランタ、フェニックス(Phoenix)、オクラホマ・シティ(Oklahoma City)などがそうした町である。メガ・チャーチは、そうした州都の郊外に位置し、高速道路を使うと容易にいける場所にある。メガ・チャーチ間では適当な距離が取られている。

 郊外は、開発面で都市の中心部よりもはるかに規制が緩く、多目的な複合ビル建設も可能であり、駐車場もたっぷりと確保できる。そして、米国では、郊外こそが中間階層の集まる地域なのである。

 メガ・チャーチの大半は、既成の宗派の系列教会ではなく、独立系である。宗派に属している教会ですら、本部の教会からは、かなり自立している。メガ・チャーチの二〇%は、「南部バプティスト」(Southern Baptist)に属し、さらに同じ系統である「アッセンブリ・オブ・ゴッド」が九%ある。より緩やかな宗派に属しているメガ・チャーチは一〇%ある。さらに、アフリカ系米国人の属する教会も一〇%ある(Hadaway[1993], p.353)。

 メガ・チャーチは、総じて、派手な活動をする。旧来の控えめなキリスト教会とはその面で大きく異なっている。

 メガ・チャーチの特徴の一つは、教会にきたがらない人、従来の教会に不満を持つ人を、とにかく教会に立ち寄ってもらえる努力をしている点にある。そのためには、いままでに見たこともないような教会であると、人々に認識してもらう必要があった。
 煌々とした明かりで照らされるロビー、御殿のような庭、豪華で座り心地のよい椅子、大舞台、宗教色は最小限の範囲に止めた、まるで劇場である。

 そうした教会のあり方について、宗教の本分から外れているという批判もある。しかし、メガ・チャーチ側からは、「宗教は日常的生活から離れて存在するものではない」という弁明が繰り返しなされる(Goldberger[1995)。

 説教台は、外見は豪華に造っているが、移動可能なプラスティック製で軽量である。そこから語られる聖書の言葉も、実生活に馴染みのある言葉が好んで選ばれる。これも、日常生活を離れて宗教は存在しないという方針の踏襲である。

 現在、カリフォルニア州で最大の教会は、「ウィロー・クリーク・コミュニティ・チャーチ」(Willow Creek Community Church)であるといわれている。この教会が、メガ・チャーチの特徴を典型的に示している。この教会の牧師、ビル・ハイベルズ(Bill Hybels)は、教会を建てる前に近隣の戸別訪問をして、教会がなぜ嫌われているのかを質問して回った。そこで得た結論は、まず教会の持つ威圧性をなくすことであった。説教も、友達に語るようなくだけた口調で、日常生活に関する話題を注意して選ぶのがハイベルズの信念であった。この教会のウェブサイトには、次のようなことが書かれている。

 「私たちは、もっとも今風の言葉、音楽、劇を使って、今日の文化に合う神の御言葉を伝えます。しかし、私たちのメッセージは、聖書と同じ程度に旧いものです。私たちは、すべての教義に関する、歴史的なキリスト教の教えを重視します。イエス・キリストが死で贖って下さったこと、悔い改めることによる救済、神の恵み、受難時の神の御言葉が書かれた聖書を重視します」。

  ハイベルズ自身も語っている。「私たちは、王国の歴史を作りつつある。完全に新しい世代に向けての新しい方法で事に当たっている。私たちは、求道者に好印象を与えるように施設を設計している」と(Chandler[1989])。

 「クレンショー・クリスチャン・センター」(Crenshaw Christian Center)も意図的に巨大施設を設計し、信者の心を捉えている。フラー式の巨大ドームが作られ、内部には信者用の椅子が一万四〇〇個もあるスポーツ広場も持ち、中央に舞台があり、その周囲を椅子がグルッと取り巻いている(13)。アトランタの「ワールド・チェンジャーズ」(World Changers)は、ヒューストンの「アストロドーム」(14)を模したもので、八〇〇〇人が座られる(Winston[1996])。

 レイクウッド・チャーチは、無料のカウンセリング、低価格の大量の食事の提供、性に耽溺する男性向けの「貞節グループ」(fidelity group)を作っている。そして、自助を実現する集会への参加が求められている。多くのメガ・チャーチは、「ディズニー・ワールド」(Disney World)ばりの巨大施設を持つ日曜学校を経営している。古式ゆかしい賛美歌を捨て去り、マスメディアに受けのいいロック風に賛美歌のリズムを変える。そして、離婚、子供の自閉症等々、家庭のあらゆる相談にのる。新参者が入りやすいように、十字架や信者席すらなくす教会もある。教会は古典的な様式から大きなショウ舞台に変えられている。

  それでも、新福音主義者の多くは、従来の教会では満たすことができなかったニーズにメガ・チャーチが応えているのだと弁明する。クレイグ・グレーシェル(Craig Groeschel)は、オクラホマ州エドモンド(Edmond)に「ライフ・チャーチ」(Life Church)という教会の経営に一九九六年に乗り出した。まず、彼がしたことは、地域の教会にいかない人々の調査であった。そこで彼は耳寄りな情報を得た。彼が面接した人々が口々にいったのは、教会は偽善者の集まりであり、退屈な所であるということであった。そこで彼が採用した手法は、伝統的な作法を取り去り、映像を駆使し、ロック・コンサートを開き、教会内にスターバックスのコーヒー・ショップを設置することであった。

 先述の「ウィロー・クリーク」は、コンサルティング業務をおこなうべく、「ウィロー・クリーク協会」を作った。この協会は、九〇の宗派からなる一万五〇〇の教会を会員に集め、マーケッティングや経営コンサルティング業務をおこなった。二〇〇四年の年間所得は一七〇〇万ドルであった。

 この業務を担当しているのは、ハーバード(Harvard)大学MBAのジム・メラド(Jim Mellado)である。創設者のハイベルズは、二〇〇四年に一一万ドルを投じて教会を買収し、そこでの経営問題の専門家を養成すべく、リーダーを派遣した。彼は、スタンフォ-ド(Stanford)大学MBAで、元マッキンゼー(McKinsey & Co.)のコンサルタントであったグレグ・ホーキンズ(Greg Hawkins)をも、教会の経営コンサルタントとして雇っている。この教会の運営ぶりは、ハーバード・ビジネス・スクールのケース・スタディで取り上げられた。

 ハイベルズは、実際的なアドバイスをおこなう。クリスチャンとしてのお金の運用方法について、教会に集まる人々に好んで語る。あるいは、自分たちが必要としないものを売りつけられることへの抵抗方法を説く。日常の悩みについては、Eメールで聴いてやる。要するに、日常の勤務に関する悩み事を明快に解消してしまうのである。これまでの教会の小難しい説教で、消化不良になっていた人々が、そうした単純な明快さに惹かれてこうした新しい教会に参加するのである。

 とにかく、多数の人々を継続的に参加させるべく、メガ・チャーチは、かなりのエネルギーを費やしている。親しみやすい、ゆったりとした雰囲気作りに勢力的に取り組んでいる。自らは積極的に話したがらず、名乗りたがらず、人間関係を作るのが苦手な参加者たちを、教会の雰囲気にとけ込ますべく、たとえば、小グループに分けて、先輩連が親しみやすく話しかけたり、「友達の輪」(Friendship circles)を作ったりしたいる。こうした実例を丹念に収集したのがWuthnow[1994]である。


 あらゆるメディアも動員している。メディアではとくに、家庭問題が取り上げられている。親のこと、夫婦のこと、離婚のこと、子供のこと、生活苦のことなど、日常生活に密着した問題が重点的に取り上げられている。

 ネットワーク化も利用されている。Eメールや電話のホットラインなど、あらゆるIT技術が利用されている。たとえば、「チャペル・ヒル・ハーベスター」(Chapel Hill Harvester)は、電話のダイヤル9を押せば、直ちに葬儀の準備が整えられるといった具合である。信者には、教会の上層部より誕生祝いカードが送られる。

 いずれにせよ、メガ・チャーチの司祭たちは、宗教的なものと世俗的なものとを兼ね備えている。二〇〇四年、テキサス州(Texas)プラーノ(Plano)の「プレストン・ウッド・バプティスト・チャーチ」(Prestonwood Baptist Church)が催したクリスマス祭は派手なものであった。五〇〇人のコーラス、参加者七万人、参加費は、もっとも安いチケットで二〇ドルであった。教会には、一四〇エーカーの敷地に八つの運動場、六つのジムが併設されている。建設費は一億ドルもした。教会の提供するスポーツ・プログラムに、二〇〇四年の一年間で一万六〇〇〇人が参加した。

 メガ・チャーチは、子供たちの心を掴むことを主たる課題にしている。オクラホマ州エドモンド(Edmond)の「ライフ・チャーチ」(Life Church)のメインとなる敷地には、「おんぼろタウン」(Toon Town)がしつらえられている。そこにはロボットの警官が、ルールについて説明をしている。派手派手しいしつらえによって、この教会は、子供の日曜学校への参加者を四倍の二万五〇〇〇人に増やした。

 司祭のスコット・ワーナー(Scott Werner)は、「子供たちがその両親を連れてきてくれるのです」と語った(Symonds[2005], p. 48)。

 メガ・チャーチの司祭たちは、あらゆるメディアを通じて自己宣伝する。用語集に新約聖書の文言を広告として出す。それは、ヒップ・ホップ調であったり、少女ものであったりする。ヒップ・ホップというのは、若者の街頭でのパーフォーマンスをいう。ラップソングやブレークダンス、グラフィティなどがそれである。こうして編集されたキリスト教の音楽は、若者に受けている。つい最近までパンク調のロックに耽っていた若者の次の人気音楽はキリスト教の音楽である。中でも、「スクリーモ」(screamo)という音楽が人気を博している。それは、バイブルの内容を命令口調にして、絶叫調で奏でるものである。

 「焦熱マーケッティンング」(pyro marketing)という手法がある。この手法に則った本作りとして、カリフォルニア州レイク・フォリスト(Lake Forest)にサドルバック(Saddleback)というメガ・チャーチを創設した、リック・ウォーレン(Rick Warren)が二〇〇二年に出した『目標に向かう人生』(The Purpose-Driven Life)という本がある(Warren[2002])。これはノンフィクションもので、二三〇〇万部という超ベストセラーになった。

 次章で説明するが、メガ・チャーチ関係のベストセラーの中でも断トツの売り上げを誇る『置き去りにされし者』(Left Behindというフィクションもある(LaHaye & Jenkins[1995])。これは、「レフトビハインド現象」(Left Behind phenomenon)というものを生み出した作品で、一九九五年の発売以降、六〇〇〇万部もの売り上げを実現している。内容的には、イエス・キリストが天井に戻ったのちに、地上に残された者たちが演じるアクションもので、黙示録的なものが凝縮しており、ページをめくるのももどかしいほど面白いといわれている(Symonds[2005], p. 50)。


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