消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

まる見えの手 14 米国大手医療保険会社が日本で病院経営に乗りだす(4)

2006-10-11 00:47:30 | 時事
 激増するであろう無保険者

 管理医療システムの下では、保険会社が患者のために医療機関に支払う料金はコストである。収入は契約者から得る保険金積立である。当然、この差額に基準が設けられる。この差額が小さいと自社の株価が下がり、他の競争相手から買収されてしまうかも知れない。どうしても、差額を大きくしなければならない。

 とすれば、病人と保険契約を結ばないことである。彼らはつねに医療費が加算で保険会社の利益をを食ってしまう。保険会社は、健康な人間で、なるべく病気にならない人との契約に邁進する。それも金持ちであればあるほどよい。

 残念ながら、総じて、高収入の人は健康である。低所得者層は病気になりやすい。こうして、低所得者層が保険の恩恵を受けることができなくなる。

 そのためには、大企業との大口保険契約を結ぶのがもっとも手っ取り早い。大企業に勤務している人は健康な人が多いからである。優良でない企業には見向きもしない。そして、そうした従業員には高い保険商品を売りつける。低所得者層はそうした高額商品を買えない。こうして、無保険者が増えてしまう。

 あるいは、保険会社が企業と契約してくれていたお陰で、病気になり、入院治療を受け、保険料を支払ってもらった従業員が、病気が治って職場に復帰しようとしても、企業側が次回の高額治療の負担に怯えて、職場復帰を認めない事態も想定される。

これもまた無保険者の誕生場面である。
 保険会社が病院経営に乗りだせば、人口密集地域にしか病院を展開させなくなってしまうであろう。そうすれば、現在よりも無医村地区が増え、無医村地区の住民は、とてつもなく高い保険契約を保険会社と交わさなければならなくなるだろう。当然、無医村地区の住民に無保険者が増える危険性がある。

 いま原油価格が異常な高騰ぶりを示している。これは、相次ぐM&Aによって、大手石油会社の数が減少し、原油市場で寡占化が進んだからである。つまり、寡占化が進み、カルテル結成が可能になった段階で、大手石油会社は原油の増産を辞めた。表向きは中国の旺盛な原油需要が石油市場を圧迫しているとの立場を崩していないが、実際には、高騰する原油価格を横目に増産に踏み切っていないのである。OPEC(石油輸出国機構)もまたこのカルテルに協力している。寡占化が原油の高騰を生みだのである。

 同じことが病院にもいえる。今後、病院と保険会社のM&Aが急速に進むであろう。市場を寡占化するためである。M&A路線を突っ走る企業は、市場がはやしてその株価が高くなる。株価が高くなれば競争相手を吸収合併する手段としての株式交換がやりやすくなる。株式市場が積極的にM&Aをおこなう企業を応援する。

 こうして、多くの病院や保険会社が大病院、大保険会社の軍門に下る。
多くの病院、保険会社を吸収してしまった会社は、吸収した病院を閉鎖する。こうして、競争相手をなくし、寡占状態を作り上げてから、保険契約料をつり上げる。高騰する保険支払いに根を上げる人たちが続出する。そして、無保険者がここでも生みだされる。

 米国の巨大な病院チェーンが日本に参入する日は近い。そうなれば、収益の上がる医療分野は米国の大手株式病院に根こそぎもっていかれてしまうであろう。そのときには、日本の公的医療保険制度は骨抜きになっているであろう。米国の病院株式会社と医療保険会社が、本国で叩きだされた損失を日本で償うのである。

 保険会社が、管理医療システムを主張する理由の一つに、病院の適正なコストを監視するということがある。実際には、そうしたきれいごとはあまりないのであるが、無保険者になるとこの言葉の意味が生きてくる。

 無保険者は、適正な治療費の高さを知り得ない素人である。無保険者はかかった費用のすべてを要求される。素人であるがゆえに、法外な料金を吹っかけられる可能性がないとはいえない。虫垂炎で手術入院すれば一六〇万円も請求されることなど米国ではザラにある。保険会社相手であったら三〇万円弱で済むものに、その五倍も請求されるのである。払えない患者は自己破産する。

まる見えの手 13 米国大手医療保険会社が日本で病院経営に乗りだす(3)

2006-10-10 00:43:40 | 時事
保険会社の社員が医師に指図する

 医師は、医療の知識から治療内容を選ぼうとする。しかし、自分が選択した治療内容が、保険会社から認められたものであるか否かの知識を併せもっていないことの方が多い。建前的には、保険会社が医師に選択すべき治療内容を指令しているのではない。

 
医師は自らの意志で治療内容を決定できる。しかし、保険会社が認めていない治療内容を医師が選択すれば、その治療には保険が支払われないのだから、医療機関が医療費を保険会社に対して請求できないことになる。
どの治療が保険の対象になるのか、どれが対象外であるかのアドバイスをする人が必要になる。そうした人が、「病例管理者」として保険会社から治療現場に派遣され、彼らが警官よろしく、医師の治療内容を監視する。

 病例管理者は、患者をも管理する。患者が医師の処方通りに行動しなければ、結果的に回復が遅れ、その分、治療費がかさみ、保険による支払いも増え、保険会社の大きな負担になるからである。患者のなかには、必ず、要注意人物がいる。短期間で病気を治す意志をもたず、生活態度に問題のある患者などがそれである。そうした人を保険会社から派遣された病例管理者があれこれと面倒をみるのである。入院の是非の判断、入院日数の短縮などもこの管理者の仕事である。したがって、管理者は、医師と患者との間をいききする。

 こうして、医師も患者も保険会社から監視される。態度の悪い患者は保険契約から外される。というよりも、保険料金の支払いがかさむ患者はリストアップされ、保険会社と契約できなくなる。こうして、管理医療制度の下では、保険会社の思惑一つで大量の無保険者が生みだされる。

 営利会社が病院を経営するのだから、採算の悪い部門は切り捨てられる。医学に素人の病院経営者が勝手に人員削減に走る。これで医療現場が混乱しても、自分の営業成績がよくなれば特別ボーナスを保険会社からもらえる。こうした場合、まず現場が崩壊する。  病院の食堂も、患者本位ではなく、利益本位になる。まず外部の大手外食チェーンが食堂に入りこむことになるだろう。病院が外部から物品を安く購入し、それを入院患者に高く売ることも考えられる。入院している患者には価格の適正さなど知る由もないからである。

 しかし、最大の問題は、治療が長引き、したがって、保険料金が際限なく大きくなる重病患者に対して、保険会社が一方的に保険契約を打ち切るといった問題も発生し得るということである。打ち切りの理由はいくらでもつけられる。 「医学的必要性を認められない」という理由で十分である。そして、患者が死ぬ。

 気力と資金力のある人なら、打ち切り措置は不当だとして裁判所に訴えることはできるだろう。しかし、それには気の遠くなるような時間と資金と訴えの正当性を証明する資料作りなどの膨大な労力がいる。多くの人はそうしたことに気後れして泣き寝入りしてしまうであろう。

 担当医が毅然とした態度を示してくれるとまだ救いがあるが、おそらくは、保険会社の従業員に成り下がった医師には雇い主の企業に反抗する気力はなくなっってしまっているであろう。もっとも恐ろしい事態がこれである。

まる見えの手 12 米国大手医療保険会社が日本で病院経営に乗りだす(2)

2006-10-09 00:38:24 | 時事
民間保険会社が病院の経営に乗りだす

 管理医療システムを効率よく運営するには、医療保険を販売する民間保険会社が直接に病院経営に乗りだせばよい。医師は保険会社の従業員であり、保険会社から給料をもらうのだから、雇い主の保険会社は会社命令として提供すべき医療サービス、そして医師の給料をも決めてしまう。

 医師残酷物語がここから始まる。医者が競争にさらされる。同僚より安いコストで治療できると特別手当がつく。コストばかりかかる医者は減俸処分にする。神風医療が横行することになるだろう。なるべく短い時間にできるだけ数多くの患者を診なければならなくなるからである。

 保険会社と医師とのトラブルも激増するであろう。利益を上げなければならない保険会社の姿勢と、医師の良心をもつ医師との間には、当然、深刻なギャップができる。良心的な医師ほど、雇い主の保険会社に楯突くであろうし、当然、彼は首になるであろう。再就職しようと別の保険会社を探そうにも、経営に文句をいう医師などいらないとしてどの保険会社もそうした医師との雇用契約を渋るようになる。医師会が医師の労働組合になってくれるならまだしも、おそらくは、無理であろう。医師の失業時代が始まり、医師は、誇りを踏みにじられて安価な労働提供者になってしまう可能性が非常に高い。

 安い医療保険を提供できる大手保険会社は、赤字に悩む自治体から公立病院の経営を委託されるようになる可能性もまた高い。病院を売却するなり、経営を委託するなりすれば、病院を保有していた自治体は、本当に財政的に助かる。しかし、その結果は、日本の医療制度の死である。

 同じようなことは、公立大学にもいえる。今後、日本の自治体は、競って自己が運営していた公立大学を手放すことになるだろう。医療と教育の民営化が、「日米投資イニシアティブ」で高々と謳われているのは、そうした事態の到来を米国企業がじっと待っているからである。米国の保険会社は、本国の米国で国民の批判にさらされ、活動が窮屈になってきたので、日本に逃げてこようとしているのである。そして、市場原理を振り回すだけの売国奴が米国保険会社の日本への進出の露払いを「構造改革」として懸命に実施し、米国政府から感謝されているのである。

 民間保険会社が、病院を経営するようになれば、医師や看護師の外部評価がだされるであろう。

 大学の講義で、受講生が講義の善し悪しを評価する制度になったことと、それは似ている。どんなにいい講義、どんなに実力のある学者が懸命に受講生の学問意欲を掻き立てようと努力しても、

無内容な紋切り型の分かりやすい講義を幻灯をまじえて、つまり、学生の目をみて話さなくても、幻灯に映しだされる写真が、強烈なインパクトを与えれば、その講師は学生から高い評価を与えられる。 学生のレベルが低くなればなるほど、そうしたパーフォーマンスにばかり、関心がいき、講義内容の質は問われない。 問われないといっても、一つの出来事には複数の解答があり、その解答の正しさも時と場合によって異なるなどと複眼的なことをいえば、 「馬鹿か」と判定されて、そうした講師の評価は低くなる。学問形成に参加する意識のない学生ほど、講義のもつ学問の香りを敬して遠ざける。学問レベルの高い講師は、失意の思いで大学を去る。学生による教師評価は、こと志に反して、大学の活性化につながらず、大学の知的レベルを大幅に下げる結果になってしまっている。

 病院で患者から医師が評価を受けるようになれば、大学よりももっと悲惨なことになるだろう。技術が低いのに、カリスマとして人々から憧れられる医師がかならずでてくる。そうした大衆人気のある医師を保険会社はマスコミに登場させ、自らが経営する病院にはこんなに患者から高い評価をもらった医師を多数揃えているのです。ですから、皆様、我が社の保険と契約して下さい」ということに必ずなる。

 
外部評価は医師の切磋琢磨を生みだすためでなく、保険会社のシェアを伸ばす手段として多用されるはずである。 こうして、日本全国を包含するだけでなく、世界各地に展開する巨大医療チェーンが成立するはずである。そうした巨大チェーンはことの性質上、管理医療を提供する大手民間保険会社の経営によるものとなるだろう。

まる見えの手 11 米国大手医療保険会社が日本で病院経営に乗りだす(1)

2006-10-08 00:33:14 | 時事
 医療機関と医師が保険会社の下僕になる

 日本に「マネージド・ケア」(管理医療)が導入されると、医療機関は、医療を提供するだけの商品供給者になる。しかも、その価格は保険会社によって決められてしまう。医療サービスという名の医療商品の内容は保険会社がこと細かく指定する。

 
 保険会社がまず企業に保険を売る。保険料が安ければ安いほど、保険は売れる。契約する企業も安いほど助かる。保険会社は安く売るために、安い価格で医療サービスという商品を売ってくれる医療機関や医師を捜しだす。あるいは、薄利多売ということで、大量の契約(大量の患者)を提供できるシステムを作りだそうと、なるべく多くの企業や個人の保険契約者を確保しようとする。

医療サービスという商品を安く提供する羽目に陥った医療機関は、医師の数、看護師の数、受付の数をぎりぎりまで減らそうとする。

 こうして、医療内容が悪化する。市場競争に晒されれば、医療の効率が上がるというのは嘘だ。医療機関にとって巨大な保険会社は上得意である。大きな力をもつ大手保険会社のいいなりにならなければ経営が成り立たない。

 日本は、国民皆保険である。これはすばらしい制度であり、日本の財産である。米国が逆立ちをしても真似のできない貴重なものである。それを日本政府は、医療費の高騰を理由に捨て去ろうとしている。というよりも、医療に市場原理を導入するとして医療保険を民間会社に委ねようとしている。市場原理を口実として、「公」の世界を「私」の世界に開放しようという米国企業の圧力に押されての日本の医療政策の大転換が起ころうとしている。

 マネージド・ケアになれば、人々は個々に、医療保険を商品として提供する民間保険会社から購入しなければならない。従業員を雇う企業も、従業員福祉の一貫として民間の医療保険会社と保険契約を交わし、従業員と保険料を折半しようとする。

  このようなシステムが作りだされると大変なことが起こる。国民皆保険の場合は、治療の判断をするのは現場の医師である。公的に認可された医療内容であるとの制約はあるものの、認可されているものであれば、どのような治療も許される。医師や医療機関が実際に講じた医療サービスの内容の保険点数を計算して、国、共済、企業の保険組合に申請して、料金を請求する。

つまり、出来高払いである。こうした制度は、保険が公的なものだから可能になる。出来高払いであるために、医療機関はなるべく保険の点数を上げるために、多くの治療を施す。公の機関が、つまり、公的機関の保険担当部局が医療内容に適切さを監視する。あるいは、保険点数の見直しをする。もし、医療保険が民間でおこなわれるようになってしまえば、医療費を支払う民間企業では業務の煩雑さに耐えきれなくなる。そもそも、出来高払いなど民間会社が許容できるものではない。

 民間会社に医療費の支払いが任されたら、医療機関による医療費の請求を管理し、請求される医療費の値下げ圧力を加えることになるだろう。

 国民皆保険の制度では、患者が医療機関を選んでいた。民間医療保険システムという管理医療の下では、保険会社が医療機関なり医師を指定する。個人は治療を受ける医療機関を選択できなくなる。安くていいものが市場競争では勝つというのは神話である。医療に当てはめれば、安い医療サービスは、病院の維持コストを下げることによって、つまり、病院関係者の数を減らすことによって、そして、肝心の医師の給料を引き下げることによって、要するに、医療内容を著しく下げることによって、可能となるだけの話である。 医師にもいろいろの層がある。高度な医療を提供できないが、いろいろな患者を診ることのできる一般内科医がいるし、一般的なありふれた病気にはタッチせず、高度な技術を要する医療だけに専念する専門医がいる。

管理医療体制が始まれば、まず、高度な医療のみを提供する専門医の収入は減るだろう。医療保険の販売価格を安くするために、大手保険会社が契約内容から高度医療を外してしまうことが多いからである。高額所得者対象の医療保険なら専門医の治療を認めているであろう。しかし、すべての患者に、必要ならば高額治療を認めていた国民皆保険制度の下に比べると、管理医療システムの下では、高額治療を認められる患者が激減するからである。

 カネさえ払えば、どのような高度な治療をも受けられるというのは、一部の金持ちの特権である。貧乏人は顧客として止まるこてゃできない。結局、高額医療を提供できる専門医の患者数は総体として減少し、専門医の収入が激減するであろう。

まる見えの手 10 政治力を梃子とした米大手保険会社(3)

2006-10-06 00:26:43 | 時事
  AIGの礎を築いた創業者は、コーネリアス・バンダー・スターである。カリフォルニア出身のスターが、1919年、東京経由で上海に降り立ったときにもっていたのは、ポケットの中の330円だけであったという。当時、東洋のパリと呼ばれ繁栄を極めたこの上海で、27才のスターは小さな損害保険の代理店を開いた。「アメリカ・アジア保険」(AAU)である。

 まもなくスターは生命保険事業にも着手。当時上海に進出していた西欧の保険会社がだれも手をつけなかった、現地の中国人向けに生命保険を売るビジネスとして、「アジア生命保険」(ALI)を設立した。

 その後、東南アジア各地だけでなく、母国米国やラテンアメリカ諸国にもネットワークを広げ、1967年、グループ全体の持株会社の「AIG」を設立、社長にはグリーンバーグが就任した。

 グリーンバーグはもともと、米国内の他の損害保険会社で、33才の若さで副社長を務めていた。1960年スターに誘われてAIGへ入社、当時、AIG傘下に入って間もない「アメリカン・ホーム保険会社」(AHA)の経営危機を立て直し、その後のグループの経営方針の基礎を築き上げた。

 1984年にAIGの株式をニューヨーク証券取引所に上場し、本業以外にも航空機リースやデリバティブ、さらに年金や資産運用といった新事業に進出した。2000年代に入ると、米国では個人向け資産形成分野の大手「サンアメリカ」および生命保険大手の「アメリカン・ゼネラル」を傘下に加え、とくに生命保険と退職後サービスの分野で規模を拡大した。

 そして2005年3月、AIGの3代目のCEOに、マーティン・J・サリバンが就任した。サリバンは1971年の入社以来生粋のAIG育ちである。 現在、AIGは、日本で損害保険の分野において、「AIU保険会社」を筆頭に、損害保険通販の「アメリカンホーム・ダイレクト」、JTBとの合弁会社「ジェイアイ傷害火災保険株式会社」の3つをもっている。生命保険では、「アリコジャパン」と「AIGスター生命保険株式会社」(旧千代田生命)、「AIGエジソン生命保険株式会社」(旧東邦生命)と、生保・損保それぞれ3つずつある。さらに、日本法人の「AIG株式会社」があり、日本におけるグループ各社のビジネスを統括している。 上海で産声をあげた創業者、スターのビジネスが日本に上陸したのは1946年。この年、「連合軍総司令部」(GHQ)の要請を受けて日本駐留米軍の資産の保険を開始したのが、スターの損害保険会社の1つ「AIU保険会社」である。AIUは、1950年には日本人向けの営業も開始した。現在では、外資系の損害保険会社としては日本最大であるとともに、米国を本拠とするAIU全体にとっても、日本は米国外単一市場としては最大の市場となっている。

 日本のAIUでまずヒットしたのが、示談代行付の自動車保険であった。1960年代の自動車ブームの中で、保険料が高かったにも関わらず、高所得者層を中心に非常に多くの契約を獲得した。「示談代行」は、他には無いサービスだったからである。

 そして、直後に、海外旅行保険に進出し、成功させた。1971年には、大同生命と共同で、経営者保険という商品も作った。生命保険で病気をカバー、AIUで怪我をカバーするという、生保・損保タイアップ商品を日本で初めて作ったのである。

 そして、「アメリカンホーム保険会社」が、1960年に日本で損害保険の事業免許を取得した。1982年には日本初の傷害保険の通信販売の認可を得て、日本の損害保険市場にダイレクトマーケティングという手法を最初に導入した。現在では、「アメリカンホーム・ダイレクト」という社名になっている。

 AIGの生命保険事業が日本に上陸したのは1973年である。スターの最初の生命保険事業「アジア生命保険」(ALI)が、1951年に「アメリカン・ライフ・インシュアランス・カンパニー」(ALICO=アリコ)と改名され、まず、カリブ海と中近東、そして、アフリカ諸国に進出し、70年代にはヨーロッパと日本に進出した。現在アリコは、世界50以上の国や地域で活動している。アリコにとっても、日本は最大市場である。

 日本では、新たなメンバーとして2001年4月に「AIGスター生命保険株式会社」が、2003年8月に「AIGエジソン生命保険株式会社」が加わった。 日本のAIGは、2万人の社員を抱えている。さらに1万5000の代理店があるので、すべてを入れると、5万とか6万人になる。

AIGの沿革を年表にしておこう。 規制緩和がAIGの道を掃き清めたことがここからも分かるであろう。

   以上、ざっとみただけでも、米国の「民主化」外交の拡大と軌を一にして地域展開をAIGがしてきたことが分かるであろう。アジア通貨危機、さらにIMFによるアジアへの介入、こうした米国によるアジア社会への介入とアジア地域での保険業務の拡大とはけっして無関係ではないだろう。同社の渉外担当副理事長が、米国の軍事作戦の担当者であるのも、むべなることである。



まる見えの手 09 政治力を梃子とした米大手保険会社(2)

2006-10-05 00:20:36 | 時事

 1998年3月から、日本は「セキュリタイゼーション」を積極的に進める方針であると宮澤は述べた。セキュリタイゼーションとは、銀行がもっている不良債権を証券化して投資家に買ってもらうことである。そうすることで銀行の重荷は軽くなる。日本には、こうした市場がまだ発達していない。この面では、米国の投資銀行に期待したい。

 1998年6月に大蔵省から独立した金融監督庁を新設して、金融機関の透明性を高めることも語られた。これまでは、行政機関と金融機関とが癒着していた。行政による過剰介入があった。そして、解決されなければならない問題を先送りしてしまった。この弊害は早期に改められなければならないとしたのである。

 消費者主権」という言葉も出された。消費者が主人でなければならない。

  貯蓄や投資に関して数多くの選択肢が与えられなければならない。選択肢を与えるのが、日本の金融機関であろうと、外国のものであろうとどちらでもよい。日本の消費者の利益になればそれでよいのであると宮澤は発言した。 官に頼ってはならない。頼れば必ず規制が伴う。日本が採用しなければならない最重要なことは、「ディスクロージャー」と「トランスバランシー」である。前者は「透明性」、後者は「官から民へ」を意味する。

 「日米安保宣言」の重要性にも宮澤は触れた。それが、アジアの平和を維持するからであると。しかし、中露の接近という政治状況に、日本も参加すると明言することによって、中露敵視姿勢をもつ米国を牽制することも忘れてはいなかった。この点において、宮澤と、後の小泉内閣との格差は歴然としたものであった。

 この宮澤講演に対して、銀行救済の緊急措置のために時間をくれという宮澤の発言を徹底的に無視し、金融改革の約束は守れと迫った。さらに、アジア通貨危機の責任は日本の円安政策にあると検討違いのことをまくし立てた。

 グリーンバーグは、日本が輸出依存型経済から脱却すべきであることをもっとも強く主張した。日本がこのまま輸出依存型経済を続けるのなら、米国は、それに対抗して保護主義に傾くであろうとの脅迫的な言辞を弄した。米国を成長のエンジンとするのではなく、日本が成長のエンジンになるべきである。つまり、日本が世界の輸出を吸収すべきであるとした。

 そして、無茶苦茶な議論を吹きかけた。 「1995年には1米ドルにつき約90円だったドル/円レートが1997年には約130円に下落したことがアジアの金融危機を引き起こす火種になったのであり、これについて言及いたします」。 中国元は1994年に対ドルレートを切り下げた。しかし、当時の人民元は兌換性はなく、アジア各国も人民元にリンクしていたわけではなかった。アジアはドルにリンクしていた。そこに日本の大幅な円安があり、これがアジア各国を直撃したというのである。つまり、アジアの通貨危機は日本の円安が引き金になったというのである。

 実際には、1995年の円高が異常なことだったのである。これは投機以外のなにものでもなかった。この異常事を正常な基準として捉える強引さ、そして、アジア通貨危機に直撃されて日本円が売られるようになったのである。こうした異常事態を無視し、グリーンバーグは、論理の方向を反対に設定した。アジア通貨危機の結果、円安が進行したのに、円安の進行がアジア通貨危機の原因だというのである。 

東南アジアの輸出の30%は日本向けである。これを日本が吸収しなくなれば、そうした輸出は米国に向かうであろう。そんなことになれば、米国は歴史的な貿易赤字に苦しむことになる。そうならないためにも、日本は円レートを対ドル100円程度にまでもっていくべきである。日本は輸入大国になるべきである。消費税も法人税も大幅に減税すべきである。18%という高貯蓄率も、もっと消費を高めて引き下げられるべきである。そうでなくては、米国で台頭しつつある保護主義が米国を支配することになってしまうであろう。それも短期間で台頭してしまうであろう。そうならないためにも、日本は内需拡大路線を早期に確立すべきである。

 さて肝心の銀行システムの改革については、すぐに荒療治をやれと迫ったのである。

 「われわれとしましては、何年にもまたがるのではなく、米国で大きな成功をおさめましたパターンを真似て進めるように望むものです」。


 つまり、不良債権の早期処分を急げというのである。弱い銀行は一挙に清算してしまえ、整理信託公社を創設し、そこに銀行整理の権限をもたせるべきだというのである。

 そして、過去、日米間で交わした協定を遵守せよと迫る。

 「規制撤廃と市場アクセスは不可欠な問題です。米日両国間で議題上がった問題は、長年日本と取引を交わしてきている私が記憶する限りでも多岐にわたっています。最終的に合意に達した通商協定は、交渉されたままの形で承認され実施されるべきです。問題が起こるたびに協定の再交渉をすべきものではありません。協定を交わした限り、それに従うべきです。これもまた現在進行形の問題です。日本の官僚制度は、この国で取引する米国や他の外国企業にとって難題でした。 以上述べたようなことが当面の問題です。それらは東南アジアの危機によっていっそう高まりました。また落日を続ける日本の経済ゆえに高まったものでもあるのです。ここでマクロ経済政策に転換があれば日本は一助を果たすことになり、アジアも安定化され、われわれもまた深いな問題の進行をくい止めることができるでしょう」。


 銀行システムが機能麻痺に陥っているので、緊急対策を講じる時間的余裕が欲しいといっている宮澤に対して、約束を即刻履行しろと迫っているのがグリーンバーグ発言である。そして、悪名高いIMFの指令を反省することもなく、グリーンバーグは日本はIMFを全面的に支持せよと迫ったのである。

 読者諸氏はこの発言を「そうだそうだ」と頷いて受け止められるだろうか。私など、「なんと失礼なことをいけしゃーしゃーというものなのか」と怒りを覚えてしまう。これでは、宗主国が植民地に、暴君が忠実な家臣に命令しているようなものである。逆に日本側が米国にこの種の発言をしたことを想像してみよ。米国の政財界人がどれだけ怒り狂うであろうか。このような失礼な物のいい方に対して、いつの間に日本人は怒らなくなってしまったのだろう。

「お前の経済政策は根本的に間違っていて、アジア諸国が迷惑している、官僚制度を含めて経済体質を抜本的に改めよ」と一介の財界人が外国の元首相に命令しているのである。
 AIGの会長は米国を代表しているという自負がグリーンバーグにはあったのであろう。

事実、AIGは米国を代表しているとみなしてもよい。 2003年6月23日、AIGの渉外担当副理事長のフランク・ウィズナーが、「米外交問題評議会」(CFR)の編集者、バーナード・ガーズマンのインタビューに答えた内容は米国国家そのものの発言であった。

 フランク・ウィズナーは、米外交問題評議会と「アジア・ソサエティー」の「インド・南アジア問題共同タスクフォース」共同議長であった。インタビューで、ウィズナーは、アフガニスタンでの国家再建の試みが失敗すれば、「困難な時代における平和維持の請負人としての米国の信用が損なわれ、対テロ戦争の連帯を築くわれわれの能力も損なわれる。安定化のための勢力としての行動能力も、状況への懸念を共有する諸国の連帯をとりまとめる能力も、損なわれてしまう」と語った。

 それこそ、一介の企業経営の一員が、米国の戦略の責任者として発言しているのである。

 そのタスクフォースは、『アフガニスタン・レポート』を発表した。そこでは、米国は、ハミッド・カルザイの暫定政府への支援を強化すべきだし、カルザイ政権の基盤を強化するのに必要な軍事、外交、経済的措置を強化すべきだと提言されている。

 米国は、是非ともカルザイ政権が憲法を制定し、2004年に選挙をおこなえるようにカルザイを支援すべきである。2003年8月から「北大西洋条約機構」(NATO)の支援も受けねばならない。米国がアフガニスタンで失敗すれば、その挫折の亡霊に取り憑かれて、イラクでの再建と撤退もままならなくなる。アフガニスタンが無秩序に陥っていけば、アフガニスタンに限らず、問題を抱えている地域での安定化をどう図るかという、大きな設問への答えがうまく出せなくなってしまう。

 米国は、人的・財的資源を増やすべきである。アフガニスタンに駐留する外国部隊である国際治安支援部隊(ISAF)の規模は非常に小さい。したがって、ISAFの規模をある程度増加させ、訓練を受けたアフガニスタン兵の数を増やし、アフガニスタン経済に血を通わせるために年間10億ドル強の援助をおこなうべきである。

 ブッシュ政権は、これまで、平和維持活動に乗り出すことに非常に消極的で、米国の軍事力を、戦争遂行のために温存したいと考えていたが、最近では、その考え方を改めている。現在、米国は、アフガニスタンに9000名規模の兵力を残留させている。われわれは、アフガニスタンをめぐってより大規模な国際的連帯を取りまとめるべきだし、活動のあり方についてもより積極的なルールを導入し、カブール以外での活動も手がけるようにすべきだ。この夏からNATOが指揮統制権をもてば、これも実現するだろう。われわれは歩を進めていくにつれて、平和維持のこれまでの定義にとらわれることなく、現地の安定のために何が必要かを着実に学びつつあると思う。

 いかなる政権であっても、複数の危機に同時に対処していくのは大変なことだ。アフガニスタン、中東和平、北朝鮮、その上にイラクと、米国のように複雑な行政構造をもつ政府にとって、現実的な選択肢が何であるか焦点を絞り込むのは並大抵のことではない。しかし、ワシントンはアフガニスタンでわれわれの重大な利益が危機にさらされていること、より多くの資源を投入する必要があることを理解しているようだ。われわれは、遅まきながら、アフガニスタンに本腰を入れてコミットしようとしていると私は考える。

 信頼に足る政治基盤をカルザイ政権が築き、軍閥勢力の力を弱める必要がある。武装解除も必要だし、法による支配が通用する地域を拡大していくべきだし、アフガン国軍の整備も急がなければならない。国際社会、とくにアフガニスタン周辺の地域国家は連帯して、カルザイ政権が成功できるように支援しなければならない。援助も必要だ。今後5年間にわたって、総額150億ドルの支援をおこなうべきだ。

 レポートでは、米国が、今後5年間にわたって毎年10億ドルを援助し、国際コミュニティーが毎年20億ドルの援助を取りまとめるように提言している。

 米国のアフガニスタン関与は長期的なものになるだろう。1990年代にアフガニスタンからわれわれが手を引いたことの帰結が、何だったかを忘れてはならない。アフガニスタンが9.11にいかに大きな役割を果たしたか、いかに麻薬取引の問題を作りだしたか、タリバーンという体制の過激化がいかに大きな問題を作りだしたかを忘れてはならない。 AIGの渉外担当副理事長がこのように米国の代表者であるかのような口ぶりで、しかも外交問題評議会の機関誌編集者に語ったのである。

 日本の財界人がこのような発言をするであろうか。米国では財界人が軍事面でもイニシアティブをとっている。それを誰も不思議には思わない。こうした国が、企業をまったく支えないなどありうるだろうか。米国こそ、官民が癒着しているのである。「日本の官僚制が癌である」などとよくもいえたものだ。


まる見えの手 08 政治力を梃子とした米大手保険会社(1)

2006-10-04 00:10:28 | 時事

 日本経済は政治主導で自主性がないといわれる。それは、官が指図して民がそれに従い、「護送船団方式」の言葉に表されるように、民が官の保護を受けるというイメージで語られる。官に依存するのではなく、企業が自らリスクをとって果敢に市場経済に対処しなければ日本経済の未来はないとの文脈で、米国贔屓のエコノミストたちがしたり顔でとくとくと語る場面によくでくわす。米国企業は、官などを当てにせず、雄々しく市場経済に立ち向かっているというニュアンスもそこには込められている。

 しかし、事実はそうではない。米国の企業は、日本の企業など足下にも及ばないほど、官を利用しているのである。米国の企業が活躍しやすいように、げんこつで他国市場の明け渡しを迫るのが、米国の官であり、政である。米国には、よく「回転ドア」人事といわれるように、財界と政界をいったりきたりするエリートが結構多い。業界のボスが関連省庁の長になるのがむしろ普通のことである。そうでないことの方が珍しい。財務長官は必ず金融界からだされる。農務省はアグリビジネス出身の長官を戴く。

 日本では、財務大臣に大銀行の会長が就任すれば大問題になってしまう。米国の企業は、自分たちの利益を生み出すために、政治を支配しようとする。政治を動かすことができる経営者が、業界のトップになる。そうした事態を誰も不思議には思わない。にもかかわらず、米国企業は政治から独立しているとまでいわれてしまうのである。これは、まことに奇妙きわまりない神話である。

実際には、米国では財界のボスが政治に口だしをする。 一例を「アメリカン・インターナショナル・グループ」(AIG)という保険会社の会長であったモーリス・グリーンバーグの発言にみよう。

 田中直毅が理事長を勤めている「21世紀政策研究所」というシンクタンクがある。この研究所は、日本経済団体連合(経団連)が1997年3月に創設したものである。 この研究所が、米国の「日本協会」との協賛で、1998年3月5日に開いたニューヨーク・セミナーで、元首相の宮澤喜一衆議院議員が「日本経済の現状」という基調講演をおこなった。当時、宮澤は、「自民党緊急金融システム安定化対策本部長」であった。この宮澤講演にコメントしたのが、グリーンバーグであった。

 
以下にみられるように、グリーンバーグの発言は米国の政治家とみまがうほどの米国の対日基本姿勢を率直に述べたものであった。日本の財界人だったら、まるで自分が日本の対外政策の基本線を作っているかのような発言はしなかったであろう。グリーバーグはまさに米国の対日政策の担い手のように、語ったのである。

 宮澤元首相の講演内容を要約しておこう。 日本の金融システムの危機を脱する施策を担う「緊急金融システム安定化対策本部長」として、宮澤は、日本の金融システムが深刻な危機に陥っていることを強く語り、しばらく、緊急避難を試みる日本の政策を許容してほしいと米国に要望した。

 1997年11月以降、大型の金融機関の倒産が相次ぎ、国民は不安感に駆られて、よしんば銀行が倒産しても、預金の全額が保護されているにもかかわらず、預金を解約して、自宅の金庫に現金をしまい込むという異常な行動にでている。こんなことは、戦後の日本では初めてのことである。金融機関同士も疑心悪鬼になって、互いが互いを信頼せず、相互に信用を与えなくなった。国際金融市場で借り入れようとしても、日本の金融機関は「ジャパン・プレミアム」といって、他の国々よりも一段と高い金利を取られるようになってしまった。

 金融機関の整理・淘汰(リストラ)を促すべく、政府は、金融機関の自己資本比率を政府が定める水準に適合するように、早期是正措置を1997年の夏頃から実施するようになった。しかし、その結果は、銀行による貸出の回収を加速させてしまった。しかも、銀行が保有する他社株の価格が下がるという打撃を受けた。保有株は銀行の資本の一部を形成しているのであるが、その価格が下がるということは、銀行の自己資本が小さくなることを意味する。そのために、ますます政府の定める自己資本比率に達することが難しくなった。それがさらに、銀行による貸出回収(貸しはがし)に拍車をかけてしまった。中小企業のみならず、大企業も資金調達が困難になってしまった(クレジット・クランチ)。それがまた株価を下げてしまい、金融機関の資本不足を加速するという悪循環に日本経済は陥ってしまった。

 加えて、1997年7月からアジア通貨危機が発生した。これは、中国が人民元を3分の1も切り下げて、アジアの他国の輸出市場が中国の安い輸出価格によって奪われてしまったことに端を発したものである。対抗的に、各国は自国通貨の対ドル相場を切り下げた。その結果、各国の輸出品価格が下落し、輸出競争が激化した。アジアの輸出先は日本と米国である。日本は未曾有の経済危機に苦しんでいるために、アジアからの輸入を充分吸収することはできない。そうはいっても、米国に向かえば、米国の貿易収支赤字がさらに深刻になってしまおう。とすれば、日本は財政再建を先延ばしにして、金融緩和、内需刺激策に踏み切るしかなくなるだろう。金融機関には公的資金を投入して、金融機関の救済に乗りださなければならないだろう。それは、市場経済の原則から外れることを意味する。

 「こういう措置をとることが、止むをえなかった日本の現状を、先進各国にもまた国際機関にも理解してほしいと考えています」。 預金者保護のために、2001年4月まで預貯金を100%保護するために、17兆円の公的資金を用意している。金融機関には資本を増強するために、13兆円を短期間だけ投入する用意をしている。

 日本企業の資金調達は圧倒的に銀行を通じるものである。自己資本規制や取引先の破綻によって、先述のように、日本の銀行の貸し渋りは甚だしくなっている。そのために企業の資金調達が困難になっている。そうした弊害をなくすために、公的資金を銀行に注入しなければならないのである。

 以上、みられるように、日本経済の惨状を「資産デフレ」と理解して、日本の金融組織の中核である銀行を救済しようと宮澤はいうのである。すべての銀行を救済するのではなく、市場から退場を宣告された銀行の倒産は止むをえないこととして放置するが、立ち直る可能性があるものは早期に救済しようというのである。

 日本経済の強さが銀行にあり、その組織をたたきつぶすことによって、つまり、日本経済を銀行を基礎とする間接金融から、株式を基本とする直接金融に変えてしまおうという米国の圧力に敢然と抗する議論を展開したのが宮澤演説であった。 当時は橋本内閣の時代であったが、この段階までは、日本の政治的指導者たちは、まだ米国のいいなりにはならなかったのである。宮澤講演の重要性はここにある。

 ただし、宮澤も親米の政治家である。米国政治家の気に入りそうな文言をいくつか列挙している。 セキュリタイゼーション」、「金融監督庁の新設」、「消費者主権」、「日米安保宣言」などがそれである。


まる見えの手 07 保険会社本位の「マネージド・ケア・システム」日本上陸?(2)

2006-10-03 00:05:09 | 時事

 1994年のクリントン大統領による国民皆保険の導入の試みは失敗し、国民の保険離れはますます増大してきている。医療費の急騰を抑えるためのマネージド・ケアも功を奏していない。

 HMOの失敗は大きい。保険でカバーできる範囲が著しく狭くなる傾向があるからである。その結果、かなりの割合で医療保険未加入者が存在し、 その割合が増加傾向にある。人口の約 15%が医療保険未加入者である。これは、HMOの冷淡さが生み出したものである。

 1997年の主演男優・女優アカデミー賞をとった「恋愛小説家」 という映画がある。  ヘレン・ハント演じる貧しきヒロインは、 喘息もちの息子と暮らしている。 息子は、1月に4、5回、 発作を起こす。しかし、ヒロインは、息子に喘息の治療を受けさせない。ジャック・ニコルソン演じる恋愛小説家が窮状をみかねて、 知り合いの開業医を治療にいかせる。

医者は、 喘息の原因であるアレルギー因子を特定するための検査をおこなう。 それは皮膚を針でちょっと引っかくだけの極めて簡単なものだった。

「なぜこの検査を今までしなかったのか」 と訊ねる医者に対して、ヒロインは答えた。アレルギーの因子を特定するための検査が、「支払いの対象外だ」と自分がそれまで入っていたHMOの医者がいったからであると。医療保険に入っていないので、息子の治療には高い実費を払わなければならなかった。高額の治療費はジャック・ニコルソンが支払い、 それをきっかけにして2人は親密になった。

 このように、HMOは治療内容が細かく決められているが、整合的でない場合が多い。この映画のように、もっとも基礎的な治療ですら保険の対象外になっていたりするのである。1997年以降、米国はHMO規制論が強くなっている。 病院と医師を、自己のマネージド・ケアのシステムに動員できるかが医療保険会社の競争力となる。そのためには、保険の加入者を増やさなければならない。そのためには保険料を安くしなければならない。安くするために、医療機関側のコスト削減を迫る。医療機関側もコスト削減をするためには、大手医療保険会社が紹介してくれる患者数が多くなければならない。ここに、医療分野で競争原理が働き、医療費の節約ができるというのが建前である。

 しかし、実際には、契約した保険内容では受診できない医療サービス分野が増え、保険の適用範囲が、保険会社ごとに異なるという不便さから保険加入者が減少しているというのが米国医療保険の現状である。 日本では、政府管掌健康保険にせよ、共済保険にせよ、民間企業の健康組合保険にせよ、医療内容は同一であり、国民皆保険の制度は単一の制度のように機能している。

 しかし、米国では、医療保険会社のネトワーク毎に内容が異なる。受診できる医療機関も異なる。結果的に、米国市民は、医療保険制度面で悲惨な状態に追いやられているのである。 こうした情況下で、米国の大手医療保険会社が、医療保険が急成長しそうな日本市場を狙うようになったのである。

 後に詳述するAIG以外の保険会社が、1990年代後半から積極的にM&Aを推し進めた事例を若干みておこう。  猛烈に同業他社を買収し、猛烈な社員の首切りをおこなったのが1982年に設立された若い会社の「コンセコ」である。この会社は、内部の成長によるよりも、 買収により外部的な成長を追求する方が容易かつ安上がりであると割り切っている。

 コンセコは買収を繰り返し、 保険事業を短期間のうちに拡充し多様化してきた。 高株価を維持しており、 これが買収を支える原動力となった。高株価を維持するためにも買収戦略がとられたのである。

 買収によって重複することになった社員は削減される。買収した会社の経費は初年度中に半分にカットされ、 会社の目的に合わない商品は廃止になる。

 後に、巨人「AIG」に買収されることになった「エジソン生命保険」をもっていた「GEキャピタル」もM&Aで巨大化した会社である。  日本では、「東邦生命」との提携で注目を浴びたGEキャピタルの歴史は古く、1932年に「GE」の販売金融を担当する子会社として設立された。 60年代にGEグループ依存からの脱却を目指して多角化を開始した。いまや、GE全体の収益の約4割を稼ぐ収益部門であり、世界最強のノンバンクと呼ばれる。

 保険についても、 1993年買収を通じ急速に事業を拡大してきた。 GEキャピタルは、個人向けの生命保険部門に限れば、1996年末には全米第8位の地位を占めた。特定の保険領域に特化した強みをもつ保険会社を買収する方針をとってきた。コンセコのような抜本的な被買収会社の事業組替えや人員カットには消極的な会社である。

 「トラベラーズ」もM&Aを通じて保険分野に参入した。1997年12月に「ソロモン」を買収し話題をまいたトラベラーズは、金融コングロマリットである。 会長のサンフォード・ワイルは、1970年代に証券会社「シェアソン」を設立し、それを81年にアメックスに売却。自らアメックスの社長に就任したが、 会長とそりがあわずアメックスを退社。1988年、 証券会社「スミス・バーニー」を傘下にもつ「プライメリカ」を買収。93年7月には、 アメックスからシェアソンを買い戻し、巨大証券「スミス・バーニー・シェアソン」を作った。93年12月に、 不動産関連投資の失敗で苦しんでいた保険会社「トラベラーズ」を買収した。このときの、トラベラーズの生命保険料収入は、全米第9位であった。そのさい、ワイル率いるプライメリカは、 社名をトラベラーズに変更した。 保険会社トラベラーズは、 1995年1月に、 全米の生命保険会社で第2位の「メトロポリタン」と共同で「メトラヘルス」を設立し、 同じ95年の10月に、「ユナイテッドヘルスケア」に売却した。1996年には、 「エトナ」の損保子会社を買収し(第11位)、自社グループの損保会社群 (第15位) と統合して、 全米第7位の損保会社「トラベラーズ-・エトナ損害保険グループ」を作り上げた。 同社の株式は上場された。

 M&Aの失敗例もある。「
プルデンシャル」がそれである。米国最大の生命保険会社、「プルデンシャル」は、 1980年代に「ベーチェ証券」 (現プルデンシャル証券)の買収など、積極的なM&Aで、金融革命の旗手としてもてはやされていた。 しかし、1990年代に入り、そのプルデンシャル証券で不正販売問題が発生、 成長にブレーキがかかった。  プルデンシャルは、その後、 自らの保険販売でも大規模な不正販売が発生し、多額の賠償金負担を背負い込んだ。 格付の低下にも見舞われた同社は、不採算部門の切り離しを実施せざるをえなくなった。 モーゲージ子会社 (95年)、 カナダ子会社 (96年) などを売却し、 M&Aブームのなか、つねに売り手の立場に回らざるをえなかった。

 こうした仁義なきM&Aによる拡大路線が、そのスローガンのいうように、医療改革につながるとはとてもではないが信じられない。王者、巨大保険会社の使い捨て可能な医療関係者が激増するのではないだろうか。そして、無保険者が際限なく増えていく。米国で成功したから新しい医療保険が日本で登場するのではない。日本の政府を恫喝して新保険制度を作らせ、その果実を独り占めにして、日本で稼いだ資金をもって米国内での地位向上争いをするのが、米国の保険会社である。




まる見えの手 06 保険会社本位の「マネージド・ケア・システム」日本上陸?(1)

2006-10-02 23:54:45 | 時事

 1990年代後半から現在まで、保険業界で世界的なM&Aブームが続いている。保険を商品として売るだけでは保険会社が生き残られなくなったからである。競争の条件が劇的に変化したからである。

 規制緩和という名の下に、医療機関がコスト競争をするようになったし、医療保険会社が、世界の医療機関と医師を自己の傘下に収めるべく、組織化するようになった。単一の制度に医療が従うのではなく、医療保険会社のそれぞれ異なるシステム内に医療機関が統合され、システム同士が覇を競い合っている。動員できる医療機関が多いほど、保険会社の競争力が強くなる。医療機関の取込み合戦が展開している。つまり、保険分野では規模の利益が露骨に現れるようになった。とにかく大きくならなければならない。

大きくなって、できるかぎり医療機関と医師を傘下に擁しなければならない。そうした事情から、世界的なM&Aが横行するようになったのである。

 1997年1月、 フランスの2大保険グループ、 「アクサ」と 「UAP」 が合併し、 資産規模で世界最大の民間保険グループが誕生した。アクサがフランス最大の保険会社UAPを買収した。つまり、小が大を飲み込んだのである。

 UAPは、それまで、国有会社であったが、民営化された瞬間に、内外で買収を繰り返してきたアクサに買収されてしまった。

 次いで、1997年10月から98年初にかけて、 フランス第2位の 「AGF」を買収しようと、イタリア最大の「ジェネラリ」とドイツ最大の「アリアンツ」が争った。その結果、 AGFの本体はアリアンツに、 AGFのドイツ子会社等がジェネラリに買収されることとなった。

 こうした買収劇の背景には EUの統合と統一通貨ユーロの誕生がある。 統合市場では、加盟国のどの保険会社も、域内全域で保険を販売することができるようになり、保険会社はとにかく大きくなることを選択したのである。

 この年、米国でも保険関連のM&Aが、 過去最高水準に達した。

  米国は、生命保険料で世界の22%、損害保険料で世界の40%を占める保険大国である (日本は生保 42%、損保 15%)。 生保会社の数も多く、1988年には2300強、1996年時点でも1700社弱あった (日本は44 社)。

 その保険市場で上位グループへの市場集中が強まった。 生保上位100グループの総資産が、業界全体に占める割合をみても、 92年末の86%から、 96年末の93%へと急上昇した

 生保では、成長性の高い個人年金分野が買収の一番人気である。 生保にやや遅れてM&Aの動きが強まった損保では、 事業の地理的な拡大を目的とする案件が多かった。

 マネージド・ケア」のシステムの勢力が強まったことも、M&A横行の大きな理由の1つである。マネージド・ケアの日本語訳は、「管理型医療」である。

 米国の公的な医療保険制度は、65歳以上の高齢者を対象とした「メディ・ケア」と低所得者向けの「メディ・ケイド」の2種類しかない。前者は、2005年時点で、3800万人、後者は、3300人弱が受給者である。つまり、人口の 26%だけが公的保険でカバーされているのにすぎない。

 したがって、65歳未満で、低所得でない74%の人々は、民間の医療保険制度に加入しなければならない。 マネージド・ケアが出現する前の米国の民間医療保険制度は、保険の加入者およびその家族は、全米のどこの病院・医者でも診療を受けられ入院できるものであった。この面だけについてみれば、日本の公的医療保険制度と同じであった。加入者にとっては、有り難いものであった。しかし、実際の医療費の支出面では患者にも保険会社にも問題の多いシステムであった。まず、加入者は、治療を受けると、全額の実費を個人で支払い、その費用を保険会社に請求するという、やっかいな手続きを踏まねばならなかった。保険会社は、患者に請求された医療費が妥当なものか否かの判断を事後的におこなわなければならなかった。そうしたシステムでは、医療機関側に、出来高を大きくするために、過剰な診療、投薬、検査の誘惑にかられ、事実、医療費の高騰に保険会社は苦しめられていた。

 米国の経済にとって医療費の増加は深刻な問題である。 米国の国民医療費のGDPに対する割合は、2000 年には 18%に、 2030 年には 32%に達し、先進国のなかで断トツに高い。

 医療費が高騰すれば、医療保険料も同じく高騰する。その結果、 中小企業の雇用主は従業員のために保険料を支払うことができなくなり、 無保険者の割合がますます増加する。 無保険者は、医療費の全額が自己負担になるわけだから、 気軽に開業医を訪れにくい。 疾病の初期に医療を受けない人は重症化する確率が高く、重症化して初めて救急治療室に運び込まれる場合には、 結局高額の医療を受けざるを得ない。 その高額の医療費を払えないために自己破産する人が激増している。

 「議会予算局 」(CBO) は、 1%の保険料の引き上げが約20万人の無保険者を生じさせると見積もっている。  米国の医療には効率化、 すなわち医療の質を落とさずに医療費を削減することが求められている。 どうすれば医療は効率化できるか。 その1つの答えがマネージド・ケアという仕組みである。  マネージド・ケアには、次の3種類がある。

 
その1つは、「HMO」と呼ばれる「会員制健康維持組織」である。

 
保険会社は病院・医者のネットワークを作る。ネットワーク内の医療機関が保険加入者に対しておこなった医療にのみ保険会社は費用を負担する。 また会員ごとに「ゲート・キーパー」と呼ばれる町の担当医が決められ、 専門的な治療が必要な場合には担当医の紹介を通じて総合病院で治療が受けられる。 救急の場合にはどの病院で治療を受けても保険金は支払われるが、 救急の定義自体がHMOによって異なるため、 まず電話でHMOの指示に従わねばならない。

 保険会社は患者1人当たりに想定される医療費を、 実際にかかった費用とは関係なく、 前払いで病院に対して支払う場合が多い。 その場合病院は毎月保険会社からほぼ一定の額を受け取り、 治療にかかる費用は保険額内で賄うことになる。無駄な医療をなくし、 保険料を安くしようというのもこの制度の狙いの1つである。

 場合によっては、1つの病気で2人の医者に診てもらわなければならないこともある。全米で650強HMOがあり、加入者数は7500万人である。

 POS」というHMOを改良したタイプの保険もある。 HMOに比べて会員による病院・医者の選択の幅が広い。HMOと同じく、保険加入者には担当医が設定される。 ネットワーク内の医療については、HMOと変わりはない。ネットワーク外の医療も受けることができるが、 その場合は一定程度会員が自己負担しなければならない。  PPO」というのもある。 病院・医者のネットワークはあるが、担当医は設定されない。 保険会社は病院に対して一定数の患者を保証する。その見返りに、病院は保険会社の協定料金を受け入れ、 医療費の削減を約束する。このディスカウントによって保険料を安くできるという趣旨である。PPOは、2005年時点で1000弱あり、加入者は1億人強である。

 ちなみに、従来の「出来高払い診療報酬支払方式」は、FFSと呼ばれ、保険会社は病院・医者に対して、 実際にかかったすべての費用を支払う制度である。FFSがもっとも割高の保険料である。  1997年頃までは、FFSが大半であったが、 その後、HMO、 POS、 PPOの割合が急増しており、 97 年ではFFSの割合は 20%を下回った。 HMO、 POS、 PPOを合わせてマネージド・ケアという。 マネージド・ケア とは医療サービスの利便性、 医療費、 医療の質を総合的に管理する組織や制度のことである。  マネージド・ケアは、 消費者と病院の間を仲介する点に特徴がある。保険会社は自社の保険商品をより魅力的なものにするために、 効率的な医療を提供できる病院と提携し、 提携している病院に対してコスト削減と質の向上を促す。 このことによって病院の間に競争原理が働く。 マネージド・ケアは競争原理を通じた医療サービスの効率化に不可欠なものであると考えられている。 ただし、米国の保険制度の柱になったマネージド・ケアであるが、低額の保険料を維持するために、医療コストを極力削減されなければならず、そのことが、医療の質の低下を招いた。医者と患者の双方に、治療が十分なものでなくなったという不満が昂じている。

 1998年7月の『ニューヨーク・タイムズ』の世論調査によれば、回答者の85%が医療保険制度については抜本的な改革が必要であると答えており、HMOについては、回答者の58%が医者の診療の妨害をしていると答えている。1980年代に保険医療費抑制のために普及したマネージド・ケアは、コスト削減への過剰な努力のために医療の質の低下と医者、患者の反感を買うことになったといえる。


 画像の表の出所


まる見えの手 05 権力者が操業する米国の投資ファンド(4)

2006-10-01 23:47:40 | 時事

 ルービンシュタインとともにカーライルを創設した人に、スティーブン・ノリスがいる。ノリスによれば、カーライルとビン・ラディン一族は、カーライルとブッシュ一家と結びつきをもつよりも古いという。ブッシュ一族とビン・ラディン一族のつきあいも古く、ビン・ラディン一族は、ブッシュ一族の石油会社の出資者でもあった。 

カーライルの創始者の一人、ノリスは、1990年代初めに、サウジアラビアの王子で、世界的大富豪のアルワイード・ビンタラルと親しくなった。ノリスは、当時、深刻な経営難にあった「シティバンク」にビンタラル王子を紹介し、王子からシティバンクに5億9000万ドル投資させた。これは、それまでのカーライルが成立させた最大の契約額であった。カーライルはこの成功で、サウジ王室にさらに接近した。そして、サウジ王室を通して、ビン・ラディン一族との接触に成功したのである。

 
ビン・ラディン一族は、とくに軍関係の契約に強い。「サウジアラビア・ビンラディン」という建設会社(バクル・ビン・ラディン会長)は、米軍が中東に軍事基地を作るときにもっとも多くの受注をものにし、大きな成長をした。 カーライルはサウジアラビアのビジネスに積極的に参加することとなった。長年サウジアラビアで軍事的な活動を担ってきたビンネル社を買収。この会社は、外敵から国家を守るためではなく、王室の支配に対する国民の反乱から王室を守るために存在するサウジアラビア国軍を指導していた米国の軍事請負会社であった。

 ますます軍事会社の色彩を強めるカーライル・グループが、日本に上陸したのが、2001年8月。小泉政権ができてからであった。「カーライル・ジャパン」がそれである。然といえば当然のこととして、2002年6月19日、子ブッシュが、来日、小泉首相との会談後、日本政策投資銀行の小林総裁と会っている。そして、その年の10月1日、日本投資銀行はカーライル・ジャパンに40億円の投資をすると発表した。 これは奇妙な決定であった。2001年度補正予算で、小泉内閣は1000億円の投資枠を「改革先行プログラム」用に設定した。これは企業を再生させるための投資ファンドに投資するというプログラムである。このプラグラムの趣旨に照らせば、日本政策投資銀行の決定はおかしなことになる。カーライルは、兵器、通信、航空といった軍事的成長分野に投資する企業であり、けっして倒産寸前の企業の再生資金を投資するファンドではない。

 たとえば、カーライル・ジャパンのホームページで、日本上陸後の「バイアウト」(買収)企業を拾ってみよう。


 2002年2月には、「アサヒセキュリティ」を買収した。この会社は、現金集配、入出金管理、機械警備を業務とする。この会社については、2005年3月に「豊田自動織機」へ全株式を譲渡、つまり、転売されている。  2003年9月には、「キトー」を買収した。巻上機及びクレーン等の製造・販売を業務とする会社である。

 2003年12月には、「コーリンメディカルテクノロジー」(旧、「日本コーリン」)を買収した。
血圧計、生体情報モニター等の医療機器の製造・販売を業務としている会社である。これは、2005年6月に「オムロン ヘルスケア」に転売された。 

2004年10月、「ウィルコム」(旧、「DDIポケット」)を買収した。この会社は、PHSを活用したモバイル通信(データ・音声)サービスを業務としていた。 これは、カーライル・グループ、京セラが組んで、「KDDI」の子会社DDIポケットを買収したものである。DDIポケットは、その中核サービスである定額モバイルデータ通信サービスAirH" (エアーエッジ) の加入者数が年々増加するなど、モバイルデータ通信分野におけるトップ企業として業績は順調に推移していた。こうしたDDIポケットによるPHS事業、とくに、法人向けモバイルデータ通信市場の拡大余地が大きいと判断したカーライルが、京セラとコンソーシアム(共同事業)を組み、KDDIの資本参加を実現させたのである。

 この買収は、レバレッジド・バイアウトの形態を取った。
レバレッジド・バイアウトとは、買収先のDDIポケットの資産を担保として国内外の金融機関から借りて買収する方法のことである。そして、DDIポケットは清算された。

 2004年12月、「株式会社リズム」を買収した。ステアリング、サスペンション等自動車部品の開発設計・製造・販売を業務としている。

 2005年9月、「株式会社学生援護会」を買収した。求人広告、求職・採用支援、人材派遣事業を内容とする会社である。これは、2006年7月に「株式会社インテリジェンス」と合併させた。

 2005年10月、「クオリカプス」(旧、「シオノギクオリカプス」)を買収した。医薬品・健康食品向けハードカプセル等の製造販売を業務とした会社である。

 見られる通り、グループが買収した日本企業は、「日米投資イニシアティブ」で米国側が執拗に規制緩和を要求した、通信、医療、人材派遣の分野である。それに、外資が殺到してきた日本の自動車分野から争奪戦の対象となっていた自動車部品がこのグループに買収された。これまで、規制下にあり、外資に開放されていなかった分野が、外資に開放されたとたんにこれら分野の企業を買収したカーライル・グループが、米国の政治家の交渉力をフルに利用したことは明白である。

 これは、大門美紀史が喝破したように、日本ではなじみのないカーライルの名に信用をつける政策投資銀行という、国策会社の「お墨付き」が必要だったのであろう。日本企業再生という建前の下に、外資投資ファンドを育成するために、日本の半ば公的資金が使われている。 日本政策投資銀行の出資を得て、同グループは、日本におけるバイアウト投資専用ファンドである第1号ファンド「カーライル・ジャパン・パートナーズLP」を2001年に設立し、総額500億円のファンドとして出発した。

 そして、同グループは、2006年7月、後続ファンドとして、総額2156億円の「カーライル・ジャパン・パートナーズ II LP」という買収ファンドを新設した。
 同グループの発表によれば、従来の500億円のファンドは主に製造業を対象にしていたが、新ファンドは金融業や小売業にも投資対象を拡大するという。 これは、日本国内最大の買収ファンドである。日本上陸後、わずか5年で最大のファンドになった。先進国ではもっとも国内の個人貯蓄の少ない米国の投資ファンドが、国内の個人貯蓄では先進国最大の日本の、年金基金や機関投資家の出資によって、最大の買収ファンドになったことをどのように理解すればよいのだろうか。