消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

民営化される戦争とグローバル企業(1) 広島講演より(9月24日)

2006-10-25 03:25:01 | 世界と日本の今

1、国産化が途上国発展の鍵


「グローバリゼーションを問う」作業とは

 今年の4月から福井県立大学に勤めています。ブログで「消された伝統の復権」というタイトルで福井日記をほとんど毎日書いています。福井の風土を織り交ぜながら歴史で消し去られた人達の権威回復を書いており、楽しい読み物だろうと思っていますので是非ご覧になってください。初めは10人程度の読者しかいなかったのですが、アクセスする方が数百人程度に増えており喜んでいます。早く1日千人を超えることを目標としているところです。

  「グローバリゼーションを問う」という時どうしてグローバリゼーションということにこだわらなければいけないのか、反対しなければいけないのかについて簡単にお話したいと思います。グローバリゼーションは「地球的規模」という意味ですが、あんまりいい言葉ではないのですね。

  分かりやすく言えば、例えば紅茶はスリランカで主に生産されるということを私達は知っている。あるいはコーヒーはジャマイカだと、天然ゴムはマレーシアだということは知っている。つまり、あらゆる特産品がそれぞれの国で作り出されていることは誰でも知っている。でも私達は、知識がそこで終わってしまうのです。もう少しきちんとお話しますと、紅茶が好きだという人が自動販売機で冷えた紅茶を買うという時、そこから一歩進めて考えてほしいのですね。この紅茶の生産地はスリランカなのに、ここの自動販売機で売られている紅茶はアサヒ飲料であり、キリンであり、あるいは伊藤園であるというように、いわゆる日本あるいは先進国の企業のブランド名で売られているのです。

  ここが大事なんですね。つまり、力の強い国によって力の弱い国々は作らされ売らされ価格も決定されている。貧しい国の人々は厳しい労働を強制され一生懸命働くけれどもそこでの資本、利益、知識といったものが全体としてみんなに行き渡らない。儲けも技術もすべて一握りの外国の大きな企業に持っていかれてしまう。こういうことがこの世の中で正しいことなのだろうかと問うことが、「グローバリゼーションを問う」という作業のことなのです。 石油はサウジアラビアあるいはクウェートでとれるとか、日本はアラブ首長国連邦からたくさんの石油を輸入していることも知っている。けれども、ガソリンスタンドに、例えばクウェートでしたら「Q8」ですが、皆さん「Q8」のガソリンスタンドを見たことがあるだろうか。作らされているのは貧しい途上国で、生産物は先進国で販売し消費している。そういったルートを握っているのが先進国の一握りの企業である。そうしたことは少なくとも神様がお許しにならないだろうという問題の立て方。これが、「グローバリゼーションを問う」という作業なのです。

  立地上の不公平を問い直す

 私達日本人は平気で外国へ行きます。1万円札を持っていきます。両替してくれるものだと決めてかかっています。私達日本の銀行は世界各地に展開しています。そして日本には非常にたくさんの人々が世界中から来ています。でも果たして日本にタイの銀行があるのか、インドネシアの銀行があるのかと考えると、日本に来ている方々の母国の銀行が入っていることはありませんよね。一部は入っておりますけれども、こういう立地上の不公平というのは誰が見ても明らかなのです。 世の中というのは紛争が起こりあらゆる戦争が起こるけれども、結果的にはそれがプラスに転じてきた。その後には必ず平等な社会ができてきた。

 つまり紛争は常に抑圧され虐げられた人々の反抗運動から起こっているのであり、その力によって権力側が譲歩していって次第に平等な社会ができてきたのです。しかし、その平等な社会ができた時に私達は生き抜いていけるのか。もし石油が完全に産油国側の力の下に服すことになった時に、石油だけに頼ってきた日本の社会が果たして現在のような大量消費社会を維持することができるのだろうか。私達は今の間にそういったことを想定して、心構えをし、社会が激変しないでソフトランディングする方法を指向していくのが文明人というものではないのか、という問題の立て方が必要です。

  国産の低技術から復興開始

 もしすべての技術が、すべての資本が、労働力が、知識が、あるいは防備が自分達の国だけで使われるとすれば、社会というのは意外に発展が早いのです。例えば、日本はアメリカに占領された。アメリカに占領されたけれども降って沸いたような幸運、隣の国の不幸を幸運と言うと失礼なようですけれど、朝鮮動乱が起こった。朝鮮動乱が起こったためアメリカはいち早く日本を復興させなければならなかった。いち早く日本を復興させて反共国家に仕立て上げなければならない時にアメリカがやったことは、日本を放置つまりほったらかすことであった。

  当時は、皆様の地元の東洋工業(現在のマツダ)とか日産とかトヨタとか、日本の自動車会社には正直言ってろくな技術がなかった。アル・カポネが活躍した暗黒の時代のアメリカの映画を観ていたら、1930年代にはすでにセル一発でエンジンがかかるような車が走っていました。日本では私が運転免許を取る頃、つまり1960年代の頃は、私達はしょっちゅう車の前に回ってエンジンをかけるためにクランクを回していました。私ぐらいの年配の方なら分かってくださると思うのですが。セル一発ではエンジンはかかりませんでした。それほど日本社の技術が低かった。名神高速道路ができた時に、私が「京都-尼崎間をノンストップで走ったんだぞ」と言った時に友人たちは嘘だと言いました。つまり、当時は日本のトヨペットなんかは路肩に車を止めて、とにかくオーバーヒートしたラジエーターを冷やしていました。しかし、外車だけはスイスイ、スイスイ走っていました。

  今の社会だったらその技術差が明らかな時には、アメリカの資本、アメリカの企業のビッグスリーが入ってきて日本で生産をするはずなんです。ところが当時の日本の置かれた状況は、朝鮮動乱で一刻も早く日本の産業を復興しなければならない時なので、アメリカのとった措置は日本に1社たりともアメリカの大企業を入れないことであった。 こういうことが非常に大事なのです。わが日本は非常に技術が低かった。でもすべて国産でやってきた。これは、アメリカと喧嘩してアメリカが入りたいのに俺達は絶対入れてやらない、というように日本政府が強い力を持っていたのではないのです。少なくともアメリカが長期戦略から考えて「アメリカの企業を入れたらだめだ。日本では日本に任せる」ということにしたのだと私は理解しています。ですから、あらゆる分野で国産が可能だったわけです。