消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

まる見えの手 12 米国大手医療保険会社が日本で病院経営に乗りだす(2)

2006-10-09 00:38:24 | 時事
民間保険会社が病院の経営に乗りだす

 管理医療システムを効率よく運営するには、医療保険を販売する民間保険会社が直接に病院経営に乗りだせばよい。医師は保険会社の従業員であり、保険会社から給料をもらうのだから、雇い主の保険会社は会社命令として提供すべき医療サービス、そして医師の給料をも決めてしまう。

 医師残酷物語がここから始まる。医者が競争にさらされる。同僚より安いコストで治療できると特別手当がつく。コストばかりかかる医者は減俸処分にする。神風医療が横行することになるだろう。なるべく短い時間にできるだけ数多くの患者を診なければならなくなるからである。

 保険会社と医師とのトラブルも激増するであろう。利益を上げなければならない保険会社の姿勢と、医師の良心をもつ医師との間には、当然、深刻なギャップができる。良心的な医師ほど、雇い主の保険会社に楯突くであろうし、当然、彼は首になるであろう。再就職しようと別の保険会社を探そうにも、経営に文句をいう医師などいらないとしてどの保険会社もそうした医師との雇用契約を渋るようになる。医師会が医師の労働組合になってくれるならまだしも、おそらくは、無理であろう。医師の失業時代が始まり、医師は、誇りを踏みにじられて安価な労働提供者になってしまう可能性が非常に高い。

 安い医療保険を提供できる大手保険会社は、赤字に悩む自治体から公立病院の経営を委託されるようになる可能性もまた高い。病院を売却するなり、経営を委託するなりすれば、病院を保有していた自治体は、本当に財政的に助かる。しかし、その結果は、日本の医療制度の死である。

 同じようなことは、公立大学にもいえる。今後、日本の自治体は、競って自己が運営していた公立大学を手放すことになるだろう。医療と教育の民営化が、「日米投資イニシアティブ」で高々と謳われているのは、そうした事態の到来を米国企業がじっと待っているからである。米国の保険会社は、本国の米国で国民の批判にさらされ、活動が窮屈になってきたので、日本に逃げてこようとしているのである。そして、市場原理を振り回すだけの売国奴が米国保険会社の日本への進出の露払いを「構造改革」として懸命に実施し、米国政府から感謝されているのである。

 民間保険会社が、病院を経営するようになれば、医師や看護師の外部評価がだされるであろう。

 大学の講義で、受講生が講義の善し悪しを評価する制度になったことと、それは似ている。どんなにいい講義、どんなに実力のある学者が懸命に受講生の学問意欲を掻き立てようと努力しても、

無内容な紋切り型の分かりやすい講義を幻灯をまじえて、つまり、学生の目をみて話さなくても、幻灯に映しだされる写真が、強烈なインパクトを与えれば、その講師は学生から高い評価を与えられる。 学生のレベルが低くなればなるほど、そうしたパーフォーマンスにばかり、関心がいき、講義内容の質は問われない。 問われないといっても、一つの出来事には複数の解答があり、その解答の正しさも時と場合によって異なるなどと複眼的なことをいえば、 「馬鹿か」と判定されて、そうした講師の評価は低くなる。学問形成に参加する意識のない学生ほど、講義のもつ学問の香りを敬して遠ざける。学問レベルの高い講師は、失意の思いで大学を去る。学生による教師評価は、こと志に反して、大学の活性化につながらず、大学の知的レベルを大幅に下げる結果になってしまっている。

 病院で患者から医師が評価を受けるようになれば、大学よりももっと悲惨なことになるだろう。技術が低いのに、カリスマとして人々から憧れられる医師がかならずでてくる。そうした大衆人気のある医師を保険会社はマスコミに登場させ、自らが経営する病院にはこんなに患者から高い評価をもらった医師を多数揃えているのです。ですから、皆様、我が社の保険と契約して下さい」ということに必ずなる。

 
外部評価は医師の切磋琢磨を生みだすためでなく、保険会社のシェアを伸ばす手段として多用されるはずである。 こうして、日本全国を包含するだけでなく、世界各地に展開する巨大医療チェーンが成立するはずである。そうした巨大チェーンはことの性質上、管理医療を提供する大手民間保険会社の経営によるものとなるだろう。