消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

民営化される戦争とグローバル企業(2) 広島講演より(9月24日)

2006-10-26 04:08:03 | 世界と日本の今


途上国のイニシアティブで発展を


 そしてその結果「もはや戦後ではない」と言われたのが昭和31年、つまり1956年。これはすごいことですよ。「もはや戦後ではない」と言うのは、昭和11年(1936年)の工業水準に復帰したと。世界5大工業国家の一員に復帰したと。1945年に戦争で徹底的にやられ被災地となった日本は、当時の世界最貧国であったろうと思います。これがわずか11年で戦前の5大国に復帰できたのです。


 このことのすごさを思い知らなければならないのです。つまり技術も人間も知識もあらゆるものがその国で根付き、普及しておれば、社会の発展というものは非常にスムーズに行くのだということです。逆に言えば、現在の途上国が先進国の力によって、企業によって分断されてしまっている。だから、1つの国の固まりではなくなりばらばらになって、いがみ合いをしてしまって、結局、現在の貧しさがあるのだということを理解してほしいのです。


 だから今大事なことは、はっきり言って「多国籍企業は出て行ってくれ、自分達は自分達でやるから。その代わり自分達の生活できる分野の方に、皆さんお金を払ってくれ」と言うことです。つまり紅茶だったらそれこそ「広島市内でスリランカの紅茶ショップを出さしてほしい。マーケットで売らしてほしい」ということです。これがこれからの人類が取り組むべき課題だと思います。


 何も日本人が偉そうにしてはいけないのですけれども、その時のモデルとして、あのとんでもない貧しさからわずか11年で復帰できたという日本の経験を、世界の人達に知らしむべきだと思います。しかし、先進国の企業や学者が途上国の人達に対し、俺達が教えてやるという態度を取ることはとんでもないことなのです。「ほっとってくれ」というのが、おそらく途上国が今後取り組むべきテーマになっていくはずです。私達もそれに備えてのいろいろな事を、私達の社会の中でシステムを変えていくことを模索する。私はこれが「グローバリゼーションを問う」という作業の最も大事な点だと思います。


 要するに自分達の国で作り、自分達のイニシアティブで売り、その資本は自分達に回収し、その利益は自分達の社会改造に使っていく。間違っても先進国に横取りされてはいけないのだということです。こういったことの世界的なシステムが作り出されるはずであると私は思っています。そのために悲惨な戦争から学んだのだということを是非分かってほしいと思います

 

広島で疎開と原爆を経験


 ちなみに私は広島でお話させて頂くのは非常にうれしいのです。実は私は神戸で生まれ、すぐ戦災で焼け出されまして、広島に疎開しに来ていたのです。疎開して来て、ついこの近くにおりまして、呉の広の近くなのです。そこで私は広島の原爆を見たと思っております。母親は「そんな馬鹿な、覚えているはずがない」と言うのですが。それは私がちょうど2歳位の時です。私は鮮明に覚えているつもりで、広島の原爆を本当に経験したつもりでおります。


 広島に長いこと疎開させて頂きました。疎開というのはつらかったですよ。ほんとにこう小さくなって過ごさなくてはいけなかったのですが、疎開してから神戸に引き揚げてきた時には驚きましたね。天井のない貨車で帰ったのですが、長いこと20時間位かかってやっと神戸に着いて、三ノ宮駅に降りた時には立ちすくみました。何にもなかったですね。ほんとに瓦礫の山であった。

 

国産化はグローバリゼーションの反対


 おそらくその時、私達は世界で最貧国であったと思います。それをわずか11年間で戻したのだということのすごさを分かって頂けるでしょうか。それを日本のすごさだとつまらんナショナリスト達は言うのです。私はそうではないと思います。少なくとも一つの国の一つの地域の人達が力を合わせれば、とんでもないスピードで生活水準は上がっていくと私は思っています。国産というのがキーワードだと思っています。グローバリゼーションというのはその反対なんです。それが人々をダメにしてしまっていると私は理解しているのです。


 世の中の人々と仲良くしようというときは、自分達が作った物をお互いがリーズナブルな条件で交換していくことが仲良くするということです。よそ様の国にズカズカと入り込んで行ってよそ様の労働力を使って物を作るということは、とんでもないことなんです。そういったことは間違っているんだと、基本的に考えなければいけないと思います。