消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

まる見えの手 11 米国大手医療保険会社が日本で病院経営に乗りだす(1)

2006-10-08 00:33:14 | 時事
 医療機関と医師が保険会社の下僕になる

 日本に「マネージド・ケア」(管理医療)が導入されると、医療機関は、医療を提供するだけの商品供給者になる。しかも、その価格は保険会社によって決められてしまう。医療サービスという名の医療商品の内容は保険会社がこと細かく指定する。

 
 保険会社がまず企業に保険を売る。保険料が安ければ安いほど、保険は売れる。契約する企業も安いほど助かる。保険会社は安く売るために、安い価格で医療サービスという商品を売ってくれる医療機関や医師を捜しだす。あるいは、薄利多売ということで、大量の契約(大量の患者)を提供できるシステムを作りだそうと、なるべく多くの企業や個人の保険契約者を確保しようとする。

医療サービスという商品を安く提供する羽目に陥った医療機関は、医師の数、看護師の数、受付の数をぎりぎりまで減らそうとする。

 こうして、医療内容が悪化する。市場競争に晒されれば、医療の効率が上がるというのは嘘だ。医療機関にとって巨大な保険会社は上得意である。大きな力をもつ大手保険会社のいいなりにならなければ経営が成り立たない。

 日本は、国民皆保険である。これはすばらしい制度であり、日本の財産である。米国が逆立ちをしても真似のできない貴重なものである。それを日本政府は、医療費の高騰を理由に捨て去ろうとしている。というよりも、医療に市場原理を導入するとして医療保険を民間会社に委ねようとしている。市場原理を口実として、「公」の世界を「私」の世界に開放しようという米国企業の圧力に押されての日本の医療政策の大転換が起ころうとしている。

 マネージド・ケアになれば、人々は個々に、医療保険を商品として提供する民間保険会社から購入しなければならない。従業員を雇う企業も、従業員福祉の一貫として民間の医療保険会社と保険契約を交わし、従業員と保険料を折半しようとする。

  このようなシステムが作りだされると大変なことが起こる。国民皆保険の場合は、治療の判断をするのは現場の医師である。公的に認可された医療内容であるとの制約はあるものの、認可されているものであれば、どのような治療も許される。医師や医療機関が実際に講じた医療サービスの内容の保険点数を計算して、国、共済、企業の保険組合に申請して、料金を請求する。

つまり、出来高払いである。こうした制度は、保険が公的なものだから可能になる。出来高払いであるために、医療機関はなるべく保険の点数を上げるために、多くの治療を施す。公の機関が、つまり、公的機関の保険担当部局が医療内容に適切さを監視する。あるいは、保険点数の見直しをする。もし、医療保険が民間でおこなわれるようになってしまえば、医療費を支払う民間企業では業務の煩雑さに耐えきれなくなる。そもそも、出来高払いなど民間会社が許容できるものではない。

 民間会社に医療費の支払いが任されたら、医療機関による医療費の請求を管理し、請求される医療費の値下げ圧力を加えることになるだろう。

 国民皆保険の制度では、患者が医療機関を選んでいた。民間医療保険システムという管理医療の下では、保険会社が医療機関なり医師を指定する。個人は治療を受ける医療機関を選択できなくなる。安くていいものが市場競争では勝つというのは神話である。医療に当てはめれば、安い医療サービスは、病院の維持コストを下げることによって、つまり、病院関係者の数を減らすことによって、そして、肝心の医師の給料を引き下げることによって、要するに、医療内容を著しく下げることによって、可能となるだけの話である。 医師にもいろいろの層がある。高度な医療を提供できないが、いろいろな患者を診ることのできる一般内科医がいるし、一般的なありふれた病気にはタッチせず、高度な技術を要する医療だけに専念する専門医がいる。

管理医療体制が始まれば、まず、高度な医療のみを提供する専門医の収入は減るだろう。医療保険の販売価格を安くするために、大手保険会社が契約内容から高度医療を外してしまうことが多いからである。高額所得者対象の医療保険なら専門医の治療を認めているであろう。しかし、すべての患者に、必要ならば高額治療を認めていた国民皆保険制度の下に比べると、管理医療システムの下では、高額治療を認められる患者が激減するからである。

 カネさえ払えば、どのような高度な治療をも受けられるというのは、一部の金持ちの特権である。貧乏人は顧客として止まるこてゃできない。結局、高額医療を提供できる専門医の患者数は総体として減少し、専門医の収入が激減するであろう。