消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

まる見えの手 05 権力者が操業する米国の投資ファンド(4)

2006-10-01 23:47:40 | 時事

 ルービンシュタインとともにカーライルを創設した人に、スティーブン・ノリスがいる。ノリスによれば、カーライルとビン・ラディン一族は、カーライルとブッシュ一家と結びつきをもつよりも古いという。ブッシュ一族とビン・ラディン一族のつきあいも古く、ビン・ラディン一族は、ブッシュ一族の石油会社の出資者でもあった。 

カーライルの創始者の一人、ノリスは、1990年代初めに、サウジアラビアの王子で、世界的大富豪のアルワイード・ビンタラルと親しくなった。ノリスは、当時、深刻な経営難にあった「シティバンク」にビンタラル王子を紹介し、王子からシティバンクに5億9000万ドル投資させた。これは、それまでのカーライルが成立させた最大の契約額であった。カーライルはこの成功で、サウジ王室にさらに接近した。そして、サウジ王室を通して、ビン・ラディン一族との接触に成功したのである。

 
ビン・ラディン一族は、とくに軍関係の契約に強い。「サウジアラビア・ビンラディン」という建設会社(バクル・ビン・ラディン会長)は、米軍が中東に軍事基地を作るときにもっとも多くの受注をものにし、大きな成長をした。 カーライルはサウジアラビアのビジネスに積極的に参加することとなった。長年サウジアラビアで軍事的な活動を担ってきたビンネル社を買収。この会社は、外敵から国家を守るためではなく、王室の支配に対する国民の反乱から王室を守るために存在するサウジアラビア国軍を指導していた米国の軍事請負会社であった。

 ますます軍事会社の色彩を強めるカーライル・グループが、日本に上陸したのが、2001年8月。小泉政権ができてからであった。「カーライル・ジャパン」がそれである。然といえば当然のこととして、2002年6月19日、子ブッシュが、来日、小泉首相との会談後、日本政策投資銀行の小林総裁と会っている。そして、その年の10月1日、日本投資銀行はカーライル・ジャパンに40億円の投資をすると発表した。 これは奇妙な決定であった。2001年度補正予算で、小泉内閣は1000億円の投資枠を「改革先行プログラム」用に設定した。これは企業を再生させるための投資ファンドに投資するというプログラムである。このプラグラムの趣旨に照らせば、日本政策投資銀行の決定はおかしなことになる。カーライルは、兵器、通信、航空といった軍事的成長分野に投資する企業であり、けっして倒産寸前の企業の再生資金を投資するファンドではない。

 たとえば、カーライル・ジャパンのホームページで、日本上陸後の「バイアウト」(買収)企業を拾ってみよう。


 2002年2月には、「アサヒセキュリティ」を買収した。この会社は、現金集配、入出金管理、機械警備を業務とする。この会社については、2005年3月に「豊田自動織機」へ全株式を譲渡、つまり、転売されている。  2003年9月には、「キトー」を買収した。巻上機及びクレーン等の製造・販売を業務とする会社である。

 2003年12月には、「コーリンメディカルテクノロジー」(旧、「日本コーリン」)を買収した。
血圧計、生体情報モニター等の医療機器の製造・販売を業務としている会社である。これは、2005年6月に「オムロン ヘルスケア」に転売された。 

2004年10月、「ウィルコム」(旧、「DDIポケット」)を買収した。この会社は、PHSを活用したモバイル通信(データ・音声)サービスを業務としていた。 これは、カーライル・グループ、京セラが組んで、「KDDI」の子会社DDIポケットを買収したものである。DDIポケットは、その中核サービスである定額モバイルデータ通信サービスAirH" (エアーエッジ) の加入者数が年々増加するなど、モバイルデータ通信分野におけるトップ企業として業績は順調に推移していた。こうしたDDIポケットによるPHS事業、とくに、法人向けモバイルデータ通信市場の拡大余地が大きいと判断したカーライルが、京セラとコンソーシアム(共同事業)を組み、KDDIの資本参加を実現させたのである。

 この買収は、レバレッジド・バイアウトの形態を取った。
レバレッジド・バイアウトとは、買収先のDDIポケットの資産を担保として国内外の金融機関から借りて買収する方法のことである。そして、DDIポケットは清算された。

 2004年12月、「株式会社リズム」を買収した。ステアリング、サスペンション等自動車部品の開発設計・製造・販売を業務としている。

 2005年9月、「株式会社学生援護会」を買収した。求人広告、求職・採用支援、人材派遣事業を内容とする会社である。これは、2006年7月に「株式会社インテリジェンス」と合併させた。

 2005年10月、「クオリカプス」(旧、「シオノギクオリカプス」)を買収した。医薬品・健康食品向けハードカプセル等の製造販売を業務とした会社である。

 見られる通り、グループが買収した日本企業は、「日米投資イニシアティブ」で米国側が執拗に規制緩和を要求した、通信、医療、人材派遣の分野である。それに、外資が殺到してきた日本の自動車分野から争奪戦の対象となっていた自動車部品がこのグループに買収された。これまで、規制下にあり、外資に開放されていなかった分野が、外資に開放されたとたんにこれら分野の企業を買収したカーライル・グループが、米国の政治家の交渉力をフルに利用したことは明白である。

 これは、大門美紀史が喝破したように、日本ではなじみのないカーライルの名に信用をつける政策投資銀行という、国策会社の「お墨付き」が必要だったのであろう。日本企業再生という建前の下に、外資投資ファンドを育成するために、日本の半ば公的資金が使われている。 日本政策投資銀行の出資を得て、同グループは、日本におけるバイアウト投資専用ファンドである第1号ファンド「カーライル・ジャパン・パートナーズLP」を2001年に設立し、総額500億円のファンドとして出発した。

 そして、同グループは、2006年7月、後続ファンドとして、総額2156億円の「カーライル・ジャパン・パートナーズ II LP」という買収ファンドを新設した。
 同グループの発表によれば、従来の500億円のファンドは主に製造業を対象にしていたが、新ファンドは金融業や小売業にも投資対象を拡大するという。 これは、日本国内最大の買収ファンドである。日本上陸後、わずか5年で最大のファンドになった。先進国ではもっとも国内の個人貯蓄の少ない米国の投資ファンドが、国内の個人貯蓄では先進国最大の日本の、年金基金や機関投資家の出資によって、最大の買収ファンドになったことをどのように理解すればよいのだろうか。