消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

まる見えの手 07 保険会社本位の「マネージド・ケア・システム」日本上陸?(2)

2006-10-03 00:05:09 | 時事

 1994年のクリントン大統領による国民皆保険の導入の試みは失敗し、国民の保険離れはますます増大してきている。医療費の急騰を抑えるためのマネージド・ケアも功を奏していない。

 HMOの失敗は大きい。保険でカバーできる範囲が著しく狭くなる傾向があるからである。その結果、かなりの割合で医療保険未加入者が存在し、 その割合が増加傾向にある。人口の約 15%が医療保険未加入者である。これは、HMOの冷淡さが生み出したものである。

 1997年の主演男優・女優アカデミー賞をとった「恋愛小説家」 という映画がある。  ヘレン・ハント演じる貧しきヒロインは、 喘息もちの息子と暮らしている。 息子は、1月に4、5回、 発作を起こす。しかし、ヒロインは、息子に喘息の治療を受けさせない。ジャック・ニコルソン演じる恋愛小説家が窮状をみかねて、 知り合いの開業医を治療にいかせる。

医者は、 喘息の原因であるアレルギー因子を特定するための検査をおこなう。 それは皮膚を針でちょっと引っかくだけの極めて簡単なものだった。

「なぜこの検査を今までしなかったのか」 と訊ねる医者に対して、ヒロインは答えた。アレルギーの因子を特定するための検査が、「支払いの対象外だ」と自分がそれまで入っていたHMOの医者がいったからであると。医療保険に入っていないので、息子の治療には高い実費を払わなければならなかった。高額の治療費はジャック・ニコルソンが支払い、 それをきっかけにして2人は親密になった。

 このように、HMOは治療内容が細かく決められているが、整合的でない場合が多い。この映画のように、もっとも基礎的な治療ですら保険の対象外になっていたりするのである。1997年以降、米国はHMO規制論が強くなっている。 病院と医師を、自己のマネージド・ケアのシステムに動員できるかが医療保険会社の競争力となる。そのためには、保険の加入者を増やさなければならない。そのためには保険料を安くしなければならない。安くするために、医療機関側のコスト削減を迫る。医療機関側もコスト削減をするためには、大手医療保険会社が紹介してくれる患者数が多くなければならない。ここに、医療分野で競争原理が働き、医療費の節約ができるというのが建前である。

 しかし、実際には、契約した保険内容では受診できない医療サービス分野が増え、保険の適用範囲が、保険会社ごとに異なるという不便さから保険加入者が減少しているというのが米国医療保険の現状である。 日本では、政府管掌健康保険にせよ、共済保険にせよ、民間企業の健康組合保険にせよ、医療内容は同一であり、国民皆保険の制度は単一の制度のように機能している。

 しかし、米国では、医療保険会社のネトワーク毎に内容が異なる。受診できる医療機関も異なる。結果的に、米国市民は、医療保険制度面で悲惨な状態に追いやられているのである。 こうした情況下で、米国の大手医療保険会社が、医療保険が急成長しそうな日本市場を狙うようになったのである。

 後に詳述するAIG以外の保険会社が、1990年代後半から積極的にM&Aを推し進めた事例を若干みておこう。  猛烈に同業他社を買収し、猛烈な社員の首切りをおこなったのが1982年に設立された若い会社の「コンセコ」である。この会社は、内部の成長によるよりも、 買収により外部的な成長を追求する方が容易かつ安上がりであると割り切っている。

 コンセコは買収を繰り返し、 保険事業を短期間のうちに拡充し多様化してきた。 高株価を維持しており、 これが買収を支える原動力となった。高株価を維持するためにも買収戦略がとられたのである。

 買収によって重複することになった社員は削減される。買収した会社の経費は初年度中に半分にカットされ、 会社の目的に合わない商品は廃止になる。

 後に、巨人「AIG」に買収されることになった「エジソン生命保険」をもっていた「GEキャピタル」もM&Aで巨大化した会社である。  日本では、「東邦生命」との提携で注目を浴びたGEキャピタルの歴史は古く、1932年に「GE」の販売金融を担当する子会社として設立された。 60年代にGEグループ依存からの脱却を目指して多角化を開始した。いまや、GE全体の収益の約4割を稼ぐ収益部門であり、世界最強のノンバンクと呼ばれる。

 保険についても、 1993年買収を通じ急速に事業を拡大してきた。 GEキャピタルは、個人向けの生命保険部門に限れば、1996年末には全米第8位の地位を占めた。特定の保険領域に特化した強みをもつ保険会社を買収する方針をとってきた。コンセコのような抜本的な被買収会社の事業組替えや人員カットには消極的な会社である。

 「トラベラーズ」もM&Aを通じて保険分野に参入した。1997年12月に「ソロモン」を買収し話題をまいたトラベラーズは、金融コングロマリットである。 会長のサンフォード・ワイルは、1970年代に証券会社「シェアソン」を設立し、それを81年にアメックスに売却。自らアメックスの社長に就任したが、 会長とそりがあわずアメックスを退社。1988年、 証券会社「スミス・バーニー」を傘下にもつ「プライメリカ」を買収。93年7月には、 アメックスからシェアソンを買い戻し、巨大証券「スミス・バーニー・シェアソン」を作った。93年12月に、 不動産関連投資の失敗で苦しんでいた保険会社「トラベラーズ」を買収した。このときの、トラベラーズの生命保険料収入は、全米第9位であった。そのさい、ワイル率いるプライメリカは、 社名をトラベラーズに変更した。 保険会社トラベラーズは、 1995年1月に、 全米の生命保険会社で第2位の「メトロポリタン」と共同で「メトラヘルス」を設立し、 同じ95年の10月に、「ユナイテッドヘルスケア」に売却した。1996年には、 「エトナ」の損保子会社を買収し(第11位)、自社グループの損保会社群 (第15位) と統合して、 全米第7位の損保会社「トラベラーズ-・エトナ損害保険グループ」を作り上げた。 同社の株式は上場された。

 M&Aの失敗例もある。「
プルデンシャル」がそれである。米国最大の生命保険会社、「プルデンシャル」は、 1980年代に「ベーチェ証券」 (現プルデンシャル証券)の買収など、積極的なM&Aで、金融革命の旗手としてもてはやされていた。 しかし、1990年代に入り、そのプルデンシャル証券で不正販売問題が発生、 成長にブレーキがかかった。  プルデンシャルは、その後、 自らの保険販売でも大規模な不正販売が発生し、多額の賠償金負担を背負い込んだ。 格付の低下にも見舞われた同社は、不採算部門の切り離しを実施せざるをえなくなった。 モーゲージ子会社 (95年)、 カナダ子会社 (96年) などを売却し、 M&Aブームのなか、つねに売り手の立場に回らざるをえなかった。

 こうした仁義なきM&Aによる拡大路線が、そのスローガンのいうように、医療改革につながるとはとてもではないが信じられない。王者、巨大保険会社の使い捨て可能な医療関係者が激増するのではないだろうか。そして、無保険者が際限なく増えていく。米国で成功したから新しい医療保険が日本で登場するのではない。日本の政府を恫喝して新保険制度を作らせ、その果実を独り占めにして、日本で稼いだ資金をもって米国内での地位向上争いをするのが、米国の保険会社である。