消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

ギリシャ哲学 26 アルケー(始原)

2006-12-29 02:03:14 | 古代ギリシャ哲学(須磨日記)

 始原に「アルケー」という用語を当てはめたのはアナクシマンドロスであったとアリストテレスは言った。

 シンプリキオスによる『アリストテレス「自然学」注解』によれば、

「元のもの(始原)は単一であり、運動する無限のものであると語っている人たちの一人がアナクシマンドロスである。彼は、プラクシアデスの子でミレトスの人である。タレスの後継者にして弟子であった。
 彼は、存在するものの元のもの(始原)、すなわち基本要素はト・アペイロン(不安定なるもの、無限なるもの)であると語った。始原という名称を初めて用いたのはアナクシマンドロスである。
 彼は言う。それは、水でもなく、その他のいわゆる基本要素のうちのいずれでもなく、何かそれとは異なる無限なる本性のものであって、そこからすべての諸天界およびその内部の諸世界は生じる。そして、存在する諸事物にとって生成がなされる源となるもの、その当のものへと消滅することもまた必然に従って進行する」。

 無限の無形のものから有限の有形のものが生まれ、そして、また無限・無形のものに還って行く。そうした流転の時間的流れをアナクシマンドロスが重視したことをアリストテレスは説明するが、しかし、ここでもまた根性悪く、そのように「語っている人たちの一人」という表現をしている。

 
 アリストテレスにとって、自然学派は、まとめて、分析をしない非論理的輩として揶揄の対象になっただけである。

 ヒッポリュトス『全異端派論駁』(第1巻第6章)では、アナクシマンドロスが始原をト・アペイロンであると語ったと説明した後、

 「動は永遠である。それによって、諸天空の生成が起こるとも語った。・・・彼は言う。始原は無限なるものに由来するという本性をもっている。そこから諸天界、およびそれらの内なる世界(コスモス)が生じた。コスモスは永遠で不老であり、すべての世界を取り囲んでいる。 彼はまた、生成と存在、そして消滅を定めるものとして時というものを語っている」。

 ただし、「ト・アペイロン」を「空間的無限」であるとのアリストテレス派の通説的解釈には多くの疑問が出されている。

 ケンブリッジ派のコーンフォードなどは、ト・アペイロンとは、「内部的に限定のないもの、内部的区別のないもののことである」としている(1939年)。つまり、境界線の不明確な認識論的存在論を展開したのがアナクシマンドロスであったというのである。

 アリストテレスが、執拗にアナクシマンドロスを否定したのは、アナクシマンドロスが「知性とか愛のような他の原因を行使しようとしない」からである(アリストテレス『自然学』第3巻第4章)。

 アリストテレスは、無限なるものから相対立するものが生成し、相互の闘争から再度無限なるものに向かって消滅して行くというアナクシマンドロスの循環論が気に入らなかった(アリストテレス『自然学』第3巻第5章)。

 アリストテレスは、「相反する諸力は必然的に均衡する」という「特有の議論」に凝り固まっていたからである(チャーニス、1951年)。

 アナクシマンドロスの世界は、アリストテレスとは正反対のものであった。それは、ヘラクレイトスが「争いは正義」であるとアナクシマンドロスを擁護したのも、アナクシマンドロスの相反するものの運動を重視する宇宙生誕論を継承しようとしたからである。



 階級闘争を重視したマルクスがアリストテレスではなくソクラテス以前の自然学に接近したのも、けだし当然である。


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