https://ameblo.jp/arieru2012/entry-12263758679.html
上江洲先生光話後の質疑応答②
Q、あるセミナーで、過去のあなたを傷つけた感情を全部出して浄化する様に教えられた。溜まって来た感情が成長を妨げると言われたが、私は過去に振り回されなくても良いのでは?意識の高揚、波動を高めどんどん成長していけると思うが?
A.過去はね、どんなに私が悪いことをしても、どんなに失敗したってね。反省はできるけどね、引き戻すことは出来ない。
過去、未来は真理にあらず。我々は過去、未来に生きてるんではない。
過去、未来を思い悩むことなかれ、どんなに過去に最悪な生き方をしたにしても、何千人何万人を殺したにしてもね、今の今、この一瞬私が
我を明想するというのはね、神との合一。神との一体があるならば、全ての全てはこの方が言われる様にね、綺麗に全部清算されています。
実在とはね、今、生かされているこの一瞬、この瞬間が実在なの。過去未来を思い悩むことなかれ。
過去未来は過ぎ去った記憶。
未来は記憶の混じった希望。
だから、実在ではない。実在とは今私が神として、愛生きるこの瞬間が、実在なの。
実際にある時間。実際にあるもの。
1秒過ぎ去ればもう過去。記憶。私ならば、その先生には学びません。
質問したあなたに学びます。その先生に教えて下さい。
Q宝玉明想のやり方がわからないので教えて下さい。
A.宝玉明想って私が説いたのはね、瞑想に呼吸法だとか、もういろんな瞑想がありますよね、世界各国でね。
私が宝玉明想と名前をつけたのは、この宇宙全ては愛の法則によって生かされて創造されています。
愛とは完全意識と私は説いていますよね。一物だって、不完全意識のなかに創造されて生かされているものは一物もありません。
全ては完全意識という意識のなかに創造されて生かされています。
だから、本来は全ては完全。
ただ、自分が自分に迷って不完全を表現している人間もいる。
自分が自分を本当の自分を知りさえすればね、誰しもが70億の人間が完全なんです。
その完全意識を愛と言います。だから全ては愛としての完全意識のなかに創造され、生かされているゆえにね。
私は愛の法則のほうを捉えて。で、又、不死不滅、永遠の宝の玉と言うのは、愛ですよね。
宇宙真理、命ですよね。
それを付けて宝玉明想とつけました。
人体には7つのチャクラという表現はね、皆さんがこの現象世界で、あぁあそこにはパワースポットがある。
ここにパワースポットがある。というパワースポット。
それをチャクラと思えば良いです。
だから、自分の中にパワースポットを見出すことが出来ない人間が、外側何処を探しても、見つけだすことは出来ません。
自分さえも知らないんだから。本来は無限のパワースポット。
そこに人体には7つのチャクラという表現が置かれています。
で、キリスト教では7つの教会とか、虹の7色とか、7つの翼で、それはいろんな言い方、方法があります。
で、日本では七福神。で、7つのチャクラには
皆さんにも一人一人
学校の先生を演じている人間、又、病人を癒す医者を演じている人間、いろんな演じ方があるように、いろんな表現があるように、7つのチャクラにも、一つ一つ役割があります。
第1のクンダリーニというエネルギー、そこのチャクラが働きますとね、この役割は全、身体(からだ)を司るエネルギーの働きしますからね、これが動き、これが本当に愛という心に働きだした時は、もう食べずとも、寝なくても何週間何日も、もうぶっ通しで仕事したって、疲れるていうことがありません。
私生まれて皆さんの前に立ってるこの瞬間まで私の口から疲れたという言葉はまだ出したことありません。
疲れがありません。
私自らの病気でこの身体を病んだってことは生まれて一度もありません。皆さんのカルマを背負わない限りは。
今回の私の浄化をね完璧に見抜いたのはMさん。
でSさんって方ががねえ、もう、皆んなからのカルマを背負って吐き出す時に私が真っ黒い渦巻いて浄化して吐き出す姿を見てるんです。
「なんだこの真っ黒いのは?」っていう、それだけ私今生、今回の沖縄のセミナー背負いました。
MさんRさんSさんが真っ黒いのが渦巻いて私から吐き出されていく姿を見てます。
で、インドでもね、どこのチャクラに意識を集中して瞑想した方がいいって教えますよね。
私も、どこのチャクラに意識を向けて集中した方が、無限意識、普遍意識、宇宙意識に入りやすいかって、私も何十年探ってきました。
クンダリーニという第1のチャクラに何年も意識を集中しながら明想し、
そこ、体験終わって2に移し、3に移して、
で、私が見出したのは7、6番目のこの第3の目と言われたこの眉間なんですね、アジナの方。
で、そこに意識を集中した時に、私は無限意識、普遍意識、宇宙意識への入りやすいのを見出したんです。
何故眉間だろうってね、私がイエスキリストと会った時、
「あなた方は何処に集中してそこまで訓練してきたのか?」またクリアヨガの系統の方々に聞いた時もやっぱり私が見出したアジナだったんですね。
その、アジナというのは、じゃあ、その7つのうちのどういう役割背負っているかというと、
図面を描く設計室なんです。
設計室にね、皆さんが宝玉というのは、わかりやすく言えば愛の法則の玉ね。
皆さんただ座っていれば雑念に支配されて、明想には入れない、ただ座っていればどうしても睡魔に負けてしまう。
そこにしっかりと玉を描いてみるの、このアジナの設計室に。
玉を描けた時は、この玉は大きくてもいい、小さくてもいいのね。
描けたならば、白光輝いてるというイメージを持ってみる。
しかし皆さんが睡魔にも負けない、雑念にも妨げられなければ、あえてその玉描く必要ありません。
意識だけを集中しながらね、
我すでに愛なり、
我すでに命なり、
我すでに無限なりと
集中してください。
もし、睡魔に負けそうならば、宝玉、玉を描いて白光輝いてるというイメージを持ってみること。
あるいは我々は「オーム、オーム」と言うけれど、
本当は「アオーム」なんですね。
で、私は明想中にアオームと言う声が聞こえて、そのオームっていうのは何を意味してるんだろうって追求した時に宇宙、全ての全ての創造のエネルギーの振動、それは皆さん波動と言います。
その宇宙、創造、全ての創造のバイブレーション波動をオームというんですね。
でまたオームは皆さんの意識が無限に広がり、拡大していくエネルギー、振動、波動をオームと言います。
で、内側で集中しながら「オーム」でいってもいいです。
瞑想の瞑の字も知らないわたしが、ただ目を閉じて座った時に内側から「オーム」という声が聞こえますからね。
私は沖縄に生まれて育ちは南米のアマゾン、ジャングルなんですよ。
で、そこに、おうむがいっぱい飛んでますよねえ。
あの鳥のおうむが、友達がパチンコでそのおうむ射抜いて、死んでしまったの。
生かしてペットにするつもりだったんだけど、いいところにぶつかってしまって、その玉が、石が。
死んでしまって、私がそれ焼いて食べたんです。そのおうむを。南米の人間はね、どんなにお腹空いていても、おうむは絶対焼いて食べないの。
熱病持ってるって。恐れて。
ガラガラ蛇もね猛毒を持ってますからねぇ絶対食べないの。
熱病を持ってるおうむを焼いて食べたのは私が初めて。
ガラガラ蛇を焼いて食べたのも、私が初めて。
だからその時に明想中に座った時に「オーム」「オーム」って
あぁ、私はおうむを焼いて食べてしまったからねぇ、おうむのカルマ背負ってしまって、私の中でおうむが叫んでいると思ったんですよ。(笑い)
「オーム」「オーム」ってね。カルマを背負ったなぁ〜って思ったんです。
で、その波動が苦しめる波動でもないし、心地よかったもんですからね、私も真似て
「オーム」で4、5回、5、6回ぐらい覚えてるかなぁ…
直ぐ、宇宙意識の中に融合してしまっているんです。
ただ初めて、ただ一回の明想でね。
私は普遍意識、無限意識、宇宙意識の中に融合してます。
そこで、オームの波動には何故こんな力があるんだろうって私は追求した時にオームのエネルギー、振動、波動は宇宙全ての創造のバイブレーション。
皆さんの意識が無限に広がり拡大していくエネルギー、振動、波動。
オームと私は答えを得ました。
そこから宝玉明想、生まれました。
あの図面を描く設計室にその意識を集中させながらね、我すでにすでに命なんですよね。
肉体を見て我を錯覚してるんであってね。
本当、全ての存在の根源は命ですから。
「我すでに命なり」
「我すでに愛なり」
「我すでに無限なり」でオームの波動で無限に融合して下さい。
努力は必ず実りますからね。必ずそこに至って下さい。
Q 病気はなぜやって来るのですか?
A我々がこのように肉体衣装纏って生まれてくるときに、皆さんは運命と言うのを背負ってきます。
で運命と言うのは一人一人やっぱり生き方違いますからね、過去、幾転生で。
例えば100回この転生を体験した方、この100転生どう生きてきたかその身口意ですよね。
どう表現してきたかの、この1連の狂いのない、カルマと言うのは、皆さんよくカルマに苦しんでいる人間がいるんですね。
カルマはあたかも神の罰、仏の罰を与えられて苦しみもがいているいることがカルマってよく教えられて苦しんでいるんです。カルマを超えられないとかカルマを背負ってとかね。
私から言えばカルマはやり残した宿題、学習。カルマは一点の狂いのない計算。
100回転生した方々はね、100回と言う転生の中でどう生きていきたかっていうね、一点の狂いのないカルマの計算で運命というものを背負ってきます。
千回の体験したものは千回。
万回を体験をしたものは万回の。
同じ100回生まれて同じ身口意をね、正さずにして生きたにしてもね。
この者には経済的な面でね宿題を与えていれば、気づきやすいだろう。
この者は又、肉体が病んでね、なぜ私は病むんだろうって、
病気背負わされて健康だったらならば絶対追求もしなかったけど、なぜみんな健康に生きているのに私はこのように病気で病人に生まれているんだろう?
そこから追求してこの道が絶対な道だって実感していると言われましたよね。
そういうふうに、この人にはどの宿題を背負わせていればね?どう気づいて、どう完成に至ってくれるか、全部そのような計算から、病気背負わされるもの、夫婦の不調和で背負されるもの、経済の面で背負わされるもの、又いろんな方法でね。
その運命と言うものを背負っていきます。
いろんな教え方があり、教える方がいます。
「運命は変えられない」でまた「運命は変えられる」てそういうふうに、同じ運命を説いてもこの状態で教える方がいるんです。
「あなた方が背負っている運命はもう永遠に変わらない」とか、
「今生の人生絶対に変わらない」とかそう教える者もいれば
「運命はあなた方の生き方次第で変わりますよ」と教えるものもいる。
私はしかしそれを超えた状態で皆さんを教えます。
なぜならば運命全てを司っているのは、本質なんですね。
本質によって全ては創造され生かされている。
本質の下にわれわれは生きてるもんだから、人生が悪い、運命が悪い、何が悪いって泣き言を言っているです。
しかし皆さんが今生、本質に融合しさえすれば、本質に皆さんが一体となればね、皆さん支配者ですからね。
運命や人生に支配されるあなた方ではなく、運命や人生を支配するあなた方になれるんです。
だから私は「運命が変えられない、変えられる」どころか「運命の支配者となりなさい」て私は説いて教えています。
「運命の支配者」
だから病気も悩みも苦しみもただその皆さんをここに帰ってもらいたいための例えであってあるいは宿題であって、皆さんをどん底に陥れるための宿題ではありません。
皆さんを成長、輝きね。
ここに完成に導くための手段方法でしかないんです。
だから悪いものなんて1つもない。
上江洲先生光話後の質疑応答②
Q、あるセミナーで、過去のあなたを傷つけた感情を全部出して浄化する様に教えられた。溜まって来た感情が成長を妨げると言われたが、私は過去に振り回されなくても良いのでは?意識の高揚、波動を高めどんどん成長していけると思うが?
A.過去はね、どんなに私が悪いことをしても、どんなに失敗したってね。反省はできるけどね、引き戻すことは出来ない。
過去、未来は真理にあらず。我々は過去、未来に生きてるんではない。
過去、未来を思い悩むことなかれ、どんなに過去に最悪な生き方をしたにしても、何千人何万人を殺したにしてもね、今の今、この一瞬私が
我を明想するというのはね、神との合一。神との一体があるならば、全ての全てはこの方が言われる様にね、綺麗に全部清算されています。
実在とはね、今、生かされているこの一瞬、この瞬間が実在なの。過去未来を思い悩むことなかれ。
過去未来は過ぎ去った記憶。
未来は記憶の混じった希望。
だから、実在ではない。実在とは今私が神として、愛生きるこの瞬間が、実在なの。
実際にある時間。実際にあるもの。
1秒過ぎ去ればもう過去。記憶。私ならば、その先生には学びません。
質問したあなたに学びます。その先生に教えて下さい。
Q宝玉明想のやり方がわからないので教えて下さい。
A.宝玉明想って私が説いたのはね、瞑想に呼吸法だとか、もういろんな瞑想がありますよね、世界各国でね。
私が宝玉明想と名前をつけたのは、この宇宙全ては愛の法則によって生かされて創造されています。
愛とは完全意識と私は説いていますよね。一物だって、不完全意識のなかに創造されて生かされているものは一物もありません。
全ては完全意識という意識のなかに創造されて生かされています。
だから、本来は全ては完全。
ただ、自分が自分に迷って不完全を表現している人間もいる。
自分が自分を本当の自分を知りさえすればね、誰しもが70億の人間が完全なんです。
その完全意識を愛と言います。だから全ては愛としての完全意識のなかに創造され、生かされているゆえにね。
私は愛の法則のほうを捉えて。で、又、不死不滅、永遠の宝の玉と言うのは、愛ですよね。
宇宙真理、命ですよね。
それを付けて宝玉明想とつけました。
人体には7つのチャクラという表現はね、皆さんがこの現象世界で、あぁあそこにはパワースポットがある。
ここにパワースポットがある。というパワースポット。
それをチャクラと思えば良いです。
だから、自分の中にパワースポットを見出すことが出来ない人間が、外側何処を探しても、見つけだすことは出来ません。
自分さえも知らないんだから。本来は無限のパワースポット。
そこに人体には7つのチャクラという表現が置かれています。
で、キリスト教では7つの教会とか、虹の7色とか、7つの翼で、それはいろんな言い方、方法があります。
で、日本では七福神。で、7つのチャクラには
皆さんにも一人一人
学校の先生を演じている人間、又、病人を癒す医者を演じている人間、いろんな演じ方があるように、いろんな表現があるように、7つのチャクラにも、一つ一つ役割があります。
第1のクンダリーニというエネルギー、そこのチャクラが働きますとね、この役割は全、身体(からだ)を司るエネルギーの働きしますからね、これが動き、これが本当に愛という心に働きだした時は、もう食べずとも、寝なくても何週間何日も、もうぶっ通しで仕事したって、疲れるていうことがありません。
私生まれて皆さんの前に立ってるこの瞬間まで私の口から疲れたという言葉はまだ出したことありません。
疲れがありません。
私自らの病気でこの身体を病んだってことは生まれて一度もありません。皆さんのカルマを背負わない限りは。
今回の私の浄化をね完璧に見抜いたのはMさん。
でSさんって方ががねえ、もう、皆んなからのカルマを背負って吐き出す時に私が真っ黒い渦巻いて浄化して吐き出す姿を見てるんです。
「なんだこの真っ黒いのは?」っていう、それだけ私今生、今回の沖縄のセミナー背負いました。
MさんRさんSさんが真っ黒いのが渦巻いて私から吐き出されていく姿を見てます。
で、インドでもね、どこのチャクラに意識を集中して瞑想した方がいいって教えますよね。
私も、どこのチャクラに意識を向けて集中した方が、無限意識、普遍意識、宇宙意識に入りやすいかって、私も何十年探ってきました。
クンダリーニという第1のチャクラに何年も意識を集中しながら明想し、
そこ、体験終わって2に移し、3に移して、
で、私が見出したのは7、6番目のこの第3の目と言われたこの眉間なんですね、アジナの方。
で、そこに意識を集中した時に、私は無限意識、普遍意識、宇宙意識への入りやすいのを見出したんです。
何故眉間だろうってね、私がイエスキリストと会った時、
「あなた方は何処に集中してそこまで訓練してきたのか?」またクリアヨガの系統の方々に聞いた時もやっぱり私が見出したアジナだったんですね。
その、アジナというのは、じゃあ、その7つのうちのどういう役割背負っているかというと、
図面を描く設計室なんです。
設計室にね、皆さんが宝玉というのは、わかりやすく言えば愛の法則の玉ね。
皆さんただ座っていれば雑念に支配されて、明想には入れない、ただ座っていればどうしても睡魔に負けてしまう。
そこにしっかりと玉を描いてみるの、このアジナの設計室に。
玉を描けた時は、この玉は大きくてもいい、小さくてもいいのね。
描けたならば、白光輝いてるというイメージを持ってみる。
しかし皆さんが睡魔にも負けない、雑念にも妨げられなければ、あえてその玉描く必要ありません。
意識だけを集中しながらね、
我すでに愛なり、
我すでに命なり、
我すでに無限なりと
集中してください。
もし、睡魔に負けそうならば、宝玉、玉を描いて白光輝いてるというイメージを持ってみること。
あるいは我々は「オーム、オーム」と言うけれど、
本当は「アオーム」なんですね。
で、私は明想中にアオームと言う声が聞こえて、そのオームっていうのは何を意味してるんだろうって追求した時に宇宙、全ての全ての創造のエネルギーの振動、それは皆さん波動と言います。
その宇宙、創造、全ての創造のバイブレーション波動をオームというんですね。
でまたオームは皆さんの意識が無限に広がり、拡大していくエネルギー、振動、波動をオームと言います。
で、内側で集中しながら「オーム」でいってもいいです。
瞑想の瞑の字も知らないわたしが、ただ目を閉じて座った時に内側から「オーム」という声が聞こえますからね。
私は沖縄に生まれて育ちは南米のアマゾン、ジャングルなんですよ。
で、そこに、おうむがいっぱい飛んでますよねえ。
あの鳥のおうむが、友達がパチンコでそのおうむ射抜いて、死んでしまったの。
生かしてペットにするつもりだったんだけど、いいところにぶつかってしまって、その玉が、石が。
死んでしまって、私がそれ焼いて食べたんです。そのおうむを。南米の人間はね、どんなにお腹空いていても、おうむは絶対焼いて食べないの。
熱病持ってるって。恐れて。
ガラガラ蛇もね猛毒を持ってますからねぇ絶対食べないの。
熱病を持ってるおうむを焼いて食べたのは私が初めて。
ガラガラ蛇を焼いて食べたのも、私が初めて。
だからその時に明想中に座った時に「オーム」「オーム」って
あぁ、私はおうむを焼いて食べてしまったからねぇ、おうむのカルマ背負ってしまって、私の中でおうむが叫んでいると思ったんですよ。(笑い)
「オーム」「オーム」ってね。カルマを背負ったなぁ〜って思ったんです。
で、その波動が苦しめる波動でもないし、心地よかったもんですからね、私も真似て
「オーム」で4、5回、5、6回ぐらい覚えてるかなぁ…
直ぐ、宇宙意識の中に融合してしまっているんです。
ただ初めて、ただ一回の明想でね。
私は普遍意識、無限意識、宇宙意識の中に融合してます。
そこで、オームの波動には何故こんな力があるんだろうって私は追求した時にオームのエネルギー、振動、波動は宇宙全ての創造のバイブレーション。
皆さんの意識が無限に広がり拡大していくエネルギー、振動、波動。
オームと私は答えを得ました。
そこから宝玉明想、生まれました。
あの図面を描く設計室にその意識を集中させながらね、我すでにすでに命なんですよね。
肉体を見て我を錯覚してるんであってね。
本当、全ての存在の根源は命ですから。
「我すでに命なり」
「我すでに愛なり」
「我すでに無限なり」でオームの波動で無限に融合して下さい。
努力は必ず実りますからね。必ずそこに至って下さい。
Q 病気はなぜやって来るのですか?
A我々がこのように肉体衣装纏って生まれてくるときに、皆さんは運命と言うのを背負ってきます。
で運命と言うのは一人一人やっぱり生き方違いますからね、過去、幾転生で。
例えば100回この転生を体験した方、この100転生どう生きてきたかその身口意ですよね。
どう表現してきたかの、この1連の狂いのない、カルマと言うのは、皆さんよくカルマに苦しんでいる人間がいるんですね。
カルマはあたかも神の罰、仏の罰を与えられて苦しみもがいているいることがカルマってよく教えられて苦しんでいるんです。カルマを超えられないとかカルマを背負ってとかね。
私から言えばカルマはやり残した宿題、学習。カルマは一点の狂いのない計算。
100回転生した方々はね、100回と言う転生の中でどう生きていきたかっていうね、一点の狂いのないカルマの計算で運命というものを背負ってきます。
千回の体験したものは千回。
万回を体験をしたものは万回の。
同じ100回生まれて同じ身口意をね、正さずにして生きたにしてもね。
この者には経済的な面でね宿題を与えていれば、気づきやすいだろう。
この者は又、肉体が病んでね、なぜ私は病むんだろうって、
病気背負わされて健康だったらならば絶対追求もしなかったけど、なぜみんな健康に生きているのに私はこのように病気で病人に生まれているんだろう?
そこから追求してこの道が絶対な道だって実感していると言われましたよね。
そういうふうに、この人にはどの宿題を背負わせていればね?どう気づいて、どう完成に至ってくれるか、全部そのような計算から、病気背負わされるもの、夫婦の不調和で背負されるもの、経済の面で背負わされるもの、又いろんな方法でね。
その運命と言うものを背負っていきます。
いろんな教え方があり、教える方がいます。
「運命は変えられない」でまた「運命は変えられる」てそういうふうに、同じ運命を説いてもこの状態で教える方がいるんです。
「あなた方が背負っている運命はもう永遠に変わらない」とか、
「今生の人生絶対に変わらない」とかそう教える者もいれば
「運命はあなた方の生き方次第で変わりますよ」と教えるものもいる。
私はしかしそれを超えた状態で皆さんを教えます。
なぜならば運命全てを司っているのは、本質なんですね。
本質によって全ては創造され生かされている。
本質の下にわれわれは生きてるもんだから、人生が悪い、運命が悪い、何が悪いって泣き言を言っているです。
しかし皆さんが今生、本質に融合しさえすれば、本質に皆さんが一体となればね、皆さん支配者ですからね。
運命や人生に支配されるあなた方ではなく、運命や人生を支配するあなた方になれるんです。
だから私は「運命が変えられない、変えられる」どころか「運命の支配者となりなさい」て私は説いて教えています。
「運命の支配者」
だから病気も悩みも苦しみもただその皆さんをここに帰ってもらいたいための例えであってあるいは宿題であって、皆さんをどん底に陥れるための宿題ではありません。
皆さんを成長、輝きね。
ここに完成に導くための手段方法でしかないんです。
だから悪いものなんて1つもない。