思想家ハラミッタの面白ブログ

主客合一の音楽体験をもとに世界を語ってます。

ハイジャックされた地球を99%の人が知らない 再掲

2018-10-31 15:11:42 | 思想、哲学、宇宙論

自分が生きる世界や人生で何が起こっているかを把握するには、少なくとも現実そのもののテーマとその成り立ちを理解する必要がある。それが「現実」とはなにか? 私たちは何者なのか? どこから来て、今どこにいるのか? しかしこういう大切な問いかけをする人はほとんどいない。あきれるほど大勢の人々が、五感の世界が映し出す「映画」の虜(とりこ)になっており、玄関灯しか目に入らない蛾のように外側の世界に生きている。これまでの何千年がそうであったように、これからもそうなのだろう。

   試しに、周りの人に人生や世界について尋ねてみるといい。
   ほとんどの人は宗教や公式の科学的「規範」を信じるようにプログラムされていることから、そこから引用して答えるはずだ。だが、宗教は精神の牢獄だ。すべてを捨てよと教える「仏教」のような、「悟り」の宗教も例外ではない。スキンヘッドにすれば「霊感」を得られるとでもいうのか? それともシーク教徒のように、絶対に髪を切らないほうがいいのか? ニューエイジ思想にしても、宗教を否定しながら、それ自体が宗教になっている。

   だが、宗教が現実の真の姿を教えてくれるわけがない。
   それは真相がわかってしまったら、宗教そのものが生き残れないからだ。彼らの狙いは、修道服に身を包んだ連中にとって都合のいいドグマ(教義)を売り込むことで、そのために人間を無知の状態に維持しているのだ。覚醒して自分の本当の姿を理解している人たちは、宗教を信じたりはしない。そこにあるのは原因と結果の逆転なのだ。

   では主流科学なら、頭の良い科学者が現実について、現実と人間との相互作用について教えてくれるのだろうか? しかし残念ながらここでも因果関係が逆転している。いわゆる「科学」というのは、さまざまな専門分野の集合体であるはずだが、実際にはそうした分野の相互の連絡はほとんどなくて切り離されている。それらはむしろ資金と名誉を奪い合う間柄でしかない。科学者たちには博識なイメージがあるが、ほとんどの科学者は狭い範囲のことをよく知っているに過ぎない。その「狭い範囲」同士を結び付けない限り、全体像は見えてはこない。

   また彼らには「科学的コンセンサス」(互いの合意)という名の譜面があり、あえてそこから逸脱することを避けようとする。それは手に入れた資金や仕事、権威を失うのを怖れているからだ。ほとんどの「科学者」は、新しいテクノロジー、ドラッグ、食品添加物などを作っているだけで、現実の本質について研究しているわけではない。こうして圧倒的多数は「科学主義」という宗教を信奉している。それはすべての宗教と同じく、その根本を為す厳しい「ドグマ」(教義)に背くことは許されないからだ。ニューエイジと同じで、科学も宗教を否定するひとつの宗教なのだ。

   いわゆる「科学」には、現実のベールを剥ぐことで、人間の真の姿を明らかにすることはできない。なぜなら人間を操作・コントロールしている側にとって、それを知られることは困ることだからだ。人間をコントロールするうえでもっとも効果的な方法は、無知な状態にとどめておくことだ。世界的秘密結社のネットワークという「聖域」の内部にいる連中は、人間の生きる現実がどうなっているかや、私たちがどのようにその現実と交信しているかもよく承知している。

   もし標的になっている私たちがそれを知ってしまうならば、彼らの力は消え去ってしまう。彼らの「隠れた手」にとって肝心なことは、私たちが何者で、今どこにいるのかを知らせないようにすることだ。そのためには科学をコントロールして、純粋な科学研究を抑え込まなければならない。

  世界のメディアを支配しているのは、科学・宗教・政治・銀行・大企業などを所有あるいはコントロールしているのと同じ一族であり、秘密結社である。「現実」に関する議論がどのメディアでも行われないということ自体が、すべての根源となるもっとも基本的な領域について、彼らが決して私たちに知らせまいとしていることがわかる。

   ほとんどの人は自分が「物理的な」世界に住んでいると思っている。
   実際にそう見えるのだから仕方がないが、本当は違う。「物理的な」存在などなく、すべては幻覚だ。私たちの本質は無限で永遠の「意識」そのものであり、ごく狭い周波数帯の中で「物理的世界」なるものを経験しているに過ぎない。私たちは名前ではない。それは肉体でも職業でも、家系や人種、肌の色でも、ある所得層でもない。こうしたものは現在の経験であって、私たちが何者であるかということとは無関係である。

   私たちは「意識」であり、無限で永遠の「認識」なのだ。
   つまり中核状態には一切の形がない。私たちは単なる認識であり、それが「無限の認識」のひとつの表現なのだ。だから私たちは「すべてひとつ」(ひとつの源に属する存在)だということになる。このたったひとつの「無限の認識」が、観察ポイントによってさまざまな経験を生むのだ。中央アメリカのあるシャーマンが、そうした私たちの姿をうまく表現してくれている。

   「私たちは知覚を有する者であって、認識(そのもの)である。
   私たちは物体ではない。それは実体でもなく、境界もない。私たち、と言うより私たちの理性というプログラムはそのことを忘却(の彼方へ置き去りに)し、自分自身の全体性を(繰り返しの)悪循環の中に閉じ込めてしまった。そしてほとんどの者は、そこから抜け出すことができないままに生涯を終えてしまう。」

   「コントロールシステム」の目的は、つまり子宮から墓場までの人生の旅を通じて、この状態を維持することにある。アインシュタインは「現実は幻覚だ。ただし永続的な」と言っている。私たちはバーチャルリアリティの宇宙に生きているのであり、それが無線LANのインターネットと同じように、情報構造物から「物理的な」形へと解読されているのだ。この「情報」は波形あるいはエネルギーの振動/共鳴という形ちでコード化されており、それを驚異的なバイオ・コンピューターシステムであるマインドーボディ(身体)が解読する。こうして「無限の認識」である私たちは、この「世界」の周波数帯と交信できるようになる。

   マインド-ボディ・コンピューター(肉体)は、本来の私たちである「意識」がこの世界の周波数帯と交流するための乗り物だ。これがなければ私は目の前のキーボードを叩けないし、あなたもこの本を手に取ることができない。「臨死体験」をした人は肉体から遊離していた時の状態と、肉体の「内側」から知覚していた現実とがまったく違うものだったと口を揃えて言う。これは肉体から遊離することによって「認識」が非常に拡張したために、肉体の目がなくても「見える」ようになり、そのためにマインド-ボディ(肉体)に閉じ込められて縮小してしまう前の、本来の自分を経験できるからなのだ。

   しかし彼らの計画的な操作の中に生きて来た人類は、肉体そのものが自分だと思い込んでいる。「人が死ぬ」という表現があるが、本来の「人」は死ぬことはないし、そもそも死ぬことなどできない。「死ぬ」のは肉体という「オペレーティング・システム」であって、本来の「意識」としての「人」ではない。(いわゆる魂、霊というのは意識そのもの)

   たいていの人は、あるのがわからないものは存在しないと考える。
   しかし誰もが知っているように、コンピューターの前に座り「ログオン」すれば、世界中から集めた現実がスクリーンの上に現れる。(それにしてもWorld Wide Web [世界に広がるクモの巣]とは言い得て妙だ)。コンピューターさえ持っていれば誰でも、アメリカ大陸、ヨーロッパ、アフリカでもアジアでも同じ集合的現実にアクセスできる。(ただし中国は別だ。中国では万里の長城[グレートウォール]なみのファイアウォールでウェブへのアクセスを制限している。そうやって国民に知らせたくない情報をブロックしている)。

   要するに宇宙の基礎を構成しているのは波形情報で、それが振動共鳴としてコード化されているということだ。それを肉体の脳と遺伝子構造が波形の電気情報に変えて、頭の中のスクリーンに映し出している。こうして情報が、「物理的な世界」として経験されるのだ。脳の中は真っ暗だが、私たちには光が見える。でもどうやって? それが波形情報の解読だ。コンピューター内部は暗くても、スクリーン上には光や色が見えるのと同じだ。

   また宇宙インターネットは双方向による「ゲーム」だ。
   私たちは波形の情報を受け取る一方で、それに自分の考えや感情、知覚を加えて「投稿する」こともできる。つまり、現実が私たちを変えることもあるが、私たちが現実を変えることもできるということだ。「物理的な現実」は私たちの中にある。私たち1人1人が経験することはどれも、自分自身が意識的・無意識的に宇宙インターネットから選んで解読したものだ。

   わかりやすい例を挙げよう。
   アメリカの作家マイケル・タルボットがThe Holographic Universe (邦訳『ホログラフィック・ユニバース-時空を超える意識』春秋社 1994年)で紹介している話だ。

   「あるパーティの余興で催眠術師が登場し、トムという男性に催眠術をかけることになった。催眠術師は彼に「術」をかけて、「目を覚ますと娘さんの姿が見えなくなる」と告げた。彼の娘が舞台に上がり、正面に立った。術を解かれて目を覚まし「戻ってきた」トムは、娘が見えるかと訊かれて「いいえ」と答えた。娘は彼の真正面にいるのに、「娘はいない、見えない」と言う。催眠術師が娘の後ろに回り、彼女の腰のところに手を当てながら「私が手に持っているものが見えますか?」と尋ねると、トムは即座に「はい、腕時計です」と言う。トムには娘が目前に立っているにもかかわらず、時計がはっきりと見えていた。何時かと訊かれて、文字盤も読んでみせたという。」

   こんな話を聞くと、ほとんどの人は、特に科学畑にいる教条主義者などは、そんなことはありえないと言うだろう。だが現実の仕組みさえわかれば、実にシンプルで論理的で不可能でもなんでもない。人間の肉体も含めて、宇宙のあらゆるものは基本的な波形情報の「場」でできており、私たちが見たり、聞いたり触ったり、味わったり嗅いだりできる、デジタルないしホログラムの領域を超えたところで共鳴しているのだ。トムの場合は、催眠術師の暗示がファイアウォールになって娘の波形情報をブロックしたために、脳が解読できなかったのである。


        book 『ハイジャックされた地球を99%の人が知らない』
              デービッド・アイク著   






追加





脳はだまされやすい。
テレビを見ているときの脳波の状態は、催眠術師が知覚プログラムを植えつけるときとそっくりだ。(トランス状態) これも偶然だろうか? とんでもない。テレビは映像や音声以上のものを私たちに伝えている。そして人々は何を見るか、何を食べて、着て、考えて、そして何になるかまでテレビに指示されているのだ。そして成功とは名声と富を得ることであり、挫折とはそれを失うことだと信じ込まされている。





もっとも強力な暗示は、意識的な精神を迂回して(より深い)「識閾下」に送られる。
暗示はやがて潜在意識から意識的な精神に浸み出してきて、その人自身の考えや願望や、アイディアとして定着する。本来の自分自身の考えや知覚を持った人間がどれほどいるだろうか。ほとんどの人の考えや願望とは、こうした無数の情報源を通して植えつけられてきたものなのだ。しかもその中身は、秘密のプロジェクトや、中枢にいるエリート集団だけが知っている。





広告がサブリミナルテクニックを駆使して、知覚を操作していることは周知の事実だが、それ以外にもテレビやラジオ、そして紙媒体による「ニュース」もしていることは同じだ。メディアはあらゆるできごとについて(ウソの)公式報道を拡散し、マインドコントロールの有力手段である「反復」によって、知覚プログラミングに貢献している。権力側から公式の報道内容が発表されると、主流メディアはそれを真実として四六時中同じことを繰り返す。



公式の作り話は、事実ではなく反復によって公式の歴史になる。
何度も繰り返していれば、やがて人々は「9・11」事件はウサマ・ビン・ラーディンに命令されて、イスラム教徒のテロリスト19人が起こしたと信じるようになるし、何年か前にとっくに死んでいるウサマ・ビン・ラーディンがまた殺されたという話も本気にするようになる。そうして現実に対する人々の知覚は再プログラミングされて、真っ赤なウソが「誰もが知っている」ことになる。というより、信じるようにプログラムされた者は誰もが、と言ったほうが正確だろう。





なかでももっとも徹底的にプログラミングされているのが、「ジャーナリスト」だ。
これについてスティーブン・J・M・ジョーンズのウェブサイトに次のような記事がある。

「メディアは、人類が分断状態に置かれていることを写し出す鏡であり、その創出者でもある。メディアは、お茶の間の中央に置かれたこの薄っぺらい(テレビという)「説教壇」を通して、私たちに道を説く振りをしながら、実際に毎日の生活の中に多くのネガティブな行動パターンの種を撒き散らしている。

私たちはニュースや時事問題番組は真実で・偏見のない・公平なものだと信じ込まされている。だがほとんどの場合、事実はその逆だ。ニュースは少数のエリートが握っており、彼ら世界のメディアオーナーが望むような考え方をしていない人々に、知識や意見などを発表する場はない。

各国の政府は、放送電波の所有権や保護観察権の価格を意図的に高く設定しておき、一般人の手が届かないようにしている。だからすべての先進国(特にアングロサクソン系の国)で流されるニュースは、言葉も映像も逐一みな同じなのだ。その裏にはある目的が隠されている。今のメディアによる世界企業帝国をますます巨大化・強力化させることで、弱小対抗者たちをすべて食い潰させるつもりなのだ。

利益をコントロールしている少数のエリートたちは、大規模な欺瞞によって世論を操作し、民主主義をみごと捻じ曲げている。」





メディアを独占している少数企業は最終的には同じファミリーが所有している。
彼らの最大の目的は金銭ではない。彼らの目的は、大衆の知覚をプログラミングして、自分たちの目的に都合のいい自己感、世界観を持たせることにある。





時間は日付を規定することで作り出された





ほとんどの人は「時間」と呼ばれるものに縛られ、コントロールされている。
だが「空間」と同じで「時間」というものも存在しない。それは宇宙という波形構造物にコードとして組み込まれた情報を、私たちが解読しているに過ぎないのだ。「時間」の「経過」が速く感じられるか遅く感じられるかは、解読の仕方によって決まる。私たちは夜空を見上げるとき、星と惑星の間には想像できないほどの「距離」があると思っているが、それも私たちの解読システムのなかだけに存在するものだ。





「距離」も「空間」もありはしない。
存在するのは「たったひとつの無限のすべて」だけで、無限大も極小も実は変わりはしない。それは「国際日付変更線」がいい例だ。つまり、海の上の見えない線を通過すれば明日になり、逆方向に超えれば昨日になるのだ。おまけにこれは直線ですらない。人間の都合に合わせて線を引いていることから、あちこちで曲がっている。





それはグレゴリオ暦も悪い冗談だ。
これは「1年」という枠の中で時間を位置づけるために利用しているものだが、それは1582年にローマ教皇グレゴリウス13世がその布告を出したからに過ぎない。しかも使用開始に当たり、辻褄合わせで9月2日の次をいきなり9月14日にしたために、11日分が消えてしまったのだ!





本当の時間は、今、この一瞬だけなのだ。
これ以外に時間は存在しない。多くの人は「現在」を過去から未来へ向かう旅の途中だと思っている。だが、過去を語る私たちはどこにいる? 「今」だ。では未来を語る時は? これも「今」だ。すべては「今」にしか起こらない。それなのに私たちは精神的・感情的な「過去」にこだわり「未来」に捕らわれている。「過去」も「未来」も、実体は心や感情の状態であって「事実」ではない。それは深い瞑想などによって知覚される「時間」の向こう側の領域に入れば、現実との関係はまったく違ったものになる。





そしてもうひとつ重要なことは、マインド-ボディ(肉体的精神)が架空の「時間」の中で作動するのに対し、心の「意識」は時間のない状態、つまり「今」にあることだ。これだけでも、マインド-ボディ(肉体的精神)と「意識」という心との関わりが切り離される大きな要因となる。だから今の人間社会は、絶えず時間を気にするように作られているのだ。逆に、時間を幻覚と認めることで、現実感覚は呪縛から開放される。





左脳集団が作り出した現在の世界





人間社会を理解し、牢獄のような現実を理解するには、脳の持つ2つの「個性」とそれぞれの機能を理解することが不可欠だ。人間の脳は左脳と右脳、そして2つを結ぶ橋の役目をする脳梁(のうりょう)から成り立っている。この2つの半球がお互いに「話したり」共同作業したりできるのも、また私たちが「全脳状態」でいられるのもこの「橋」のおかげだ。それなのにほとんどの人は、「全脳状態」にはない。それは人間社会の構造と本質が、そのように方向付けされているからだ。





脳の2つの部分の機能はまったく異なっている。
左脳は本質的に論理的・合理的で、「今」のなかにある情報を「連続した場面」(シークェンス)として解読する。これが「時間」のそもそもの起源になるものだ。左脳がこのシークェンスをすばやく解読すれば時間が速く感じられ、遅ければ時間の経過も遅く感じられる。





左脳は「分析的かつ客観的」であり、そこでは五感で感じられるものだけが存在する。
決定的に重要なことは、左脳が現実を全体としてではなく部分に分けて解読することだ。私たちが五感で知覚するものは、すべて何らかの「空間」を挟んで互いに切り離されている。また左脳構造を生み出し、言語を解読する。私たちが住んでいるこの世界は左脳の現実なのだが、これはそのように操作されてきているからに他ならない。 





一方、右脳に住んでいるのは一匹狼だ。
それは行き当たりばったりで直感的で、あらゆる種類の芸術的・創造的インスピレーションに恵まれた反体制派でもある。右脳はすべてをひとつにまとめようとする。部分ではなく、全体を把握する。左脳が個々の点に目を向けるのに対し、右脳はそれぞれの点がどうつながるかを考える。左脳に支配された人々は、科学や医療、大学、政治、大企業、宗教やメディア、軍隊をコントロールしている。一方でこうした分野が兵士として門に立ち、右脳の現実が侵入してこないように左脳集団を守ることで、左脳の支配が確立している。





人類の圧倒的多数が左半球の囚人になっており、これが分離と構造、言語、そしていわゆる「論理」の領域で、私たちを「コントロールシステム」に閉じ込めておこうとしている。人間の右脳が点をつないで全体像を理解したり、自発性や個性を表現したりすることを彼らは望まない。なぜなら少数で多数をコントロールするためには、均質性と従順、順応性が不可欠だからだ。こうして多くの羊が、たった1人の羊飼い(権力)と牧羊犬(恐怖)によって飼いならされているのだ。個性と自発性を発揮すれば支配などできないのに、こうして何も知らない羊たちは、他の羊のように同じ行動しながらそれを繰り返している。





人間社会は、私たちの脳を左側に閉じ込めておくことを明確な目的として構築されていることから、左脳派が優遇され、右脳派は周辺に追いやられる。それは「教育」を見れば明らかだ。最近は就学前の子どもにまで学術的なタイプの情報が導入されており、左脳ばかりが刺激される結果、想像力の開拓や右脳の刺激に役立つ自由遊びの期間が短縮されている。「教育」はアカデミックな情報を使って左脳を狙い撃ちし、子どもや学生に試験のときには、システムが「真実」だと教えることを答案用紙に書くように求める。それがうまくできる子は合格というわけだ。





こうして大学へ進学すると、学費の支払いで借金漬けになり、残りの人生をかけて返済していくことになる。高等教育では「さらに高度」なレベルのプログラミングを受ける。そうして「優秀な成績」や「学位」を手に社会に出た者は、科学者になるか、医者になるか、教師、あるいは上級公務員になるかを選ぶことができる。この段階でシステムが決めた現実がさらに左脳に刷り込まれるほか、いくつもの試験を通じて、現実感覚がどこまでハイジャックされているかをチェックされることになる。





こうしてウィンナー製造機を通過した者のほとんどは、残りの人生を左脳の囚人として、科学、医療、政府といった制度や組織の管理と指揮を命じられ、左脳牢獄社会の維持と拡張に努めるようになる。政治も科学も医療も左脳派に占拠されている。メディアもそうだ。ほとんどの「ジャーナリスト」も所詮は左脳の囚人であり、牢獄仲間の信条や決定や行動を記事にしているに過ぎない。





主流派の科学者は、左脳というレンズあるいは顕微鏡を通してしか現実の本質を見ようとはしない。というよりも、左脳にはそういう把握、解読しかできないのだ。そうであれば、左脳派の「ジャーナリスト」に世界が本当にどうなっているかを伝えられるわけがない。点のつながりを理解するには、部分ではなく全体を見なければならないのだから。もちろん宗教も、独自の階級制とドグマ(教義)を備えた左脳派の制度だ。





とはいえ、左半球と右半球は単純な「善玉」「悪玉」というわけではない。
本来、両者はそれぞれが長所を生かして協力するようにできている。あなたの周りにも極端にクリエイティブな人がいると思うが、彼らは右脳現実の支配力が強すぎて、左脳社会ではうまくやっていけない人たちだ。右半球は、催眠術の暗示やプログラミングにも無防備だったりする。だからどちらがいいとかいう問題ではない。両者は一体となって働かなくてはならないが、「コントロールシステム」はそうなることを一番怖れている。





世の中には「自閉症サヴァン」と言われる人々がおり、人間の能力を小さく捉えている人にとって、それは驚異的な離れ業に見える。たとえばイギリスのスティーヴン・ウィルシャーは12歳の時、ヘリコプターの窓から30分ロンドン上空を飛んで眺めただけで、何のメモもとることなく着陸後に描いたロンドンの俯瞰(ふかん)図は驚くほど正確だった。200棟もの建物の何百という窓まで正確に描き込まれていた。またダニエル・タメットも「自閉症サヴァン」だが、数の計算がコンピューター並みに早く、もっとも難解とされる言語もあっという間に習得してしまう。
彼らは天才ではなく、私たちと同じ人間だ。
こうした特殊に見える能力を支えているのは、右脳に写った風景や言語の全体像を把握する力なのだ。左脳派が言語を単語に分解し、個々の建物を覚えようとすることを、丸ごと一瞬で頭に入れてしまうのだ。






『ハイジャックされた地球を99%の人が知らない』
   デービッド・アイク著  ヒカルランド                            

最新の画像もっと見る

コメントを投稿