思想家ハラミッタの面白ブログ

主客合一の音楽体験をもとに世界を語ってます。

エックハルト・トールにとっての悟り

2019-11-03 15:47:12 | 思想、哲学、宇宙論
https://ameblo.jp/gerbera-it/entry-12399122459.html

エックハルト・トールにとっての悟りとは、

無益な思考活動を止めて、

「大いなる存在」とつながること。



それには、「大いなる存在」への入口である

「インナーボディ」に意識を向けることだ

と言っていました。



「インナーボディ」と言っても、

目に見えない世界のことなので

わかりにくいですが、



「インナーボディ」を「気」との関係で

説明しているところがあり、

大変に興味深いので取り上げてみます。







『気はインナーボディのエネルギーで、

その源泉が「目に見えない世界」です。



気は「目に見える世界」と

「目に見えない世界」の中間に位置し、

物質としての私たちと「目に見えない世界」をつなぐ、

パイプ役をしているのです。



意識を集中させて、インナーボディの奥へ奥へと

入り込むと、「目に見えない世界」にたどり着きます。



気は「動」で

「目に見えない世界」は「静」です。



「無心状態」の時にはインナーボディや気を超えて、

すべての源である「目に見えない世界」と

つながっているのです。



気は「目に見えない世界」と

物質的な宇宙をつなぐ橋渡しをしているのです。』





気とインナーボディはほとんど同じものですが、

正確には、「気はインナーボディのエネルギー」

とのこと。



そしてそのエネルギーの源泉は、

「目に見えない世界」、すなわち

「大いなる存在」であるようです。





『インナーボディの奥へ奥へと入っていくと、

「目に見える世界」が「目に見えない世界」の中に

融合していると同時に、



「目に見えない世界」が

気というエネルギーになって、

世界を作っている場所に到達できるかもしれません。



ここが誕生と死の発生する地点なのです。

私たちが意識を外に向けると、

思考と世界が現れます。



意識を内に向けると、意識は

生まれ故郷である「目に見えない世界」に帰ります。



「目に見えない世界」にいる時の私たちは、

形のアイデンティティを持っていません。



意識が「目に見える世界」に戻ってくると、

形のアイデンティティを再び身にまといます。

「名前」、「過去」、「人生の状況」、「未来」を

背負うのです。



しかし、「目に見えない世界」への帰還を

一度でも経験した人は、

経験する前とはまったく別人になっているはずです。



自分自身に内包された「目に見えない世界」という

実体を垣間見たからです。』



(~エックハルト・トール著 徳間書店刊 

『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』より~)





「目に見えない世界」が

気というエネルギーになって、

目に見える世界を作っている場所



それが、「インナーボディ」。

考えてみれば、すごい場所です。



人間という存在の

中枢部分ですね。



「目に見える世界」にも行けるし、

「目に見えない世界」にも行ける。



「インナーボディ」にたどり着ければ、

「大いなる存在」に行くこともできる。



「インナーボディ」と「大いなる存在」

は一体と言っていいでしょう。



「インナーボディ」から「目に見える世界」

にはいつでも戻ることができますから、

「インナーボディ」と身体は一体です。



ということは、「身体」と

「インナーボディ」と「大いなる存在」は、

「三位一体」であるということになります。



この三位一体を実際に体現すること、

知識ではなく、実感していること、

それが「悟り」なのではないかと思います。



この言葉を繰り返し読み、

イメージがしっかりと定着したとき、

「悟り」に到達しているのかもしれませんね。


『命にかかわるような危険に直面するなどを

きっかけにして心が「絶句状態」になり、

「無心状態」になってしまいます。

こんな時思考活動はぴたりと止みます。



無心状態は鮮烈な喜び、愛、平和

の感覚さえも伴います。思考を止め、

「大いなる存在」とつながりさえすれば、

愛、喜び、平和は、

泉のごとく無尽蔵にあふれ出ます。



私は「愛」「喜び」「平和」を感情とは呼びません。

これらは感情よりさらに奥深い場所からわき出、

感情を超えているからです。』



氏は「思考」が不幸の根源だとしています。

そして、「大いなる存在」とつながることが

「悟り」のようです。



『「大いなる存在」とは、

死を運命づけられた無数の生命形態を超える、

唯一の「不滅の生命」です。



しかも、「大いなる存在」は

あらゆる生命の奥深くに、目には見えず、

絶対に滅びることのない本質として

宿っているのです。



つまり、「大いなる存在」は

人間の最も深いところに

「本当の自分」として存在しており、

私たちはそれに「つながる」ことができるのです。』



その「大いなる存在」とつながるための方法:



『「大いなる存在」を認識できるようになるには、

思考から意識を解放しなければなりません。

これが私たちの「魂の旅」の中で

最も大切な仕事のひとつです。



無益で強迫的な思考活動に消費されている

莫大な量の意識を解放するのです。



意識を解放するのに効果的な方法は、

思考活動を止め、

インナーボディに意識を向けることです。



インナーボディは、肉体に生命を与える、

見えざるエネルギー場であり、

「大いなる存在」が感じられる場所なのです。』



方法は、「インナーボディに意識を向けること」

だそうです。その「インナーボディ」とは:



『からだを拒絶しないでください。

それは自身の真実を拒絶することになるからです。

あなたはあなたのからだそのものなんです。



ただ、私たちが見て触ることができる肉体は、

虚像であり、薄っぺらなヴェールでしかありません。

そのヴェールの奥には、

「大いなる存在」への入口である

インナーボディが存在します。



インナーボディを通して私たちは

「目には見えない唯一の生命」、

「生まれることも滅びることもない

永遠の生命」とつながっています。



そこから切り離されてしまうことは

絶対にありません。

インナーボディを通じて私たちは

永久に神とひとつなのです。』



(~エックハルト・トール著 徳間書店刊 

『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』より~)



「インナーボディ」は

身体と「大いなる存在」をつなぐ中間の存在。



顕在意識と集合無意識をつなぐ

潜在意識に相当するものでしょうか。



「この世」と「あの世」をつなぐ

「霊(霊魂)」に相当するでしょうか。


もともとこのインナーボディを通して私たちは

「目には見えない唯一の生命」、

「生まれることも滅びることもない

永遠の生命」とつながっているのに、



そのつながりを邪魔している

無用な思考活動を止めれば、

誰でも、たちどころに、

悟ることができると言っています。



言うほど簡単ではないでしょうが、

希望を与えてくれる言葉ですね!




エックハルト・トール

2019-11-03 15:40:58 | 思想、哲学、宇宙論
「愛」や「よろこび」は「大いなる存在」とつながっている時の私たちには欠かせない、心の状態です。

私たちは「愛」「喜び」「平和」を感情とは呼びません。
これらは感情よりもさらに奥深い場所からわき出、感情を超えているからです。

これは裏を返せば、自分の感情を完全に自覚できるようでなければ、感情よりも深い場所に存在する「愛」「よろこび」「平和」を感じる事はできない、ということにもなります。

「愛」「喜び」「平和」は、「いまに在る」ことができて、はじめて経験できるものです。

むしろ「大いなる存在」とつながっている状態の、三本の柱とさえ言います。

「喜び」は自分の内側からわき出ます。「本当の愛」は、私たちに痛みを与えたりしません。
ほんとうの愛は突然、憎しみに姿を変えたりしません。本当の喜びも、苦しみに変わったりしません。

こられは、普段、思考がかき消しているために、感じられなく
なっている、「本当の自分」の本質なのです。

エックハルト・トール