平均律と近代建築
http://norisada.at.webry.info/201303/article_1.html
<< 作成日時 : 2013/03/08 17:05 >>
今回は少し真面目に、建築家として「建築」についてのお話をしたいと思います。
これは、3年程前に鳥取県建築士会の方にお招きいただきお話した内容を文字にまとめたものです。
それは(音楽の)「平均律」と「近代建築」についてです。
いずれも、音楽と建築に【ある部分では】足枷を嵌め不自由にしているものの正体、その類似性についてお話しようと思います。
できるだけ簡単に書きますので頑張って読んでください。
■純正律
まず、「平均律」とは18世紀頃に出てきた「ドレミファソラシド」の音階の種類のことをさしますが、
その前に、それが誕生する前にあった「とても原始的な音階」について紹介します。
「純正律」と呼ばれるこの方法は、「純」という言葉が付くくらいですから、単純に楽器の“弦の長さ”を基にして決定されていました。下の絵のような「琴」を例に取って説明しますと、
まずは「琴全部」の長さ(1/1)の弦で音を出してみます。
これで【ド】の音が出たとしましょう。
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次は4/5長さで弾いてみます。すると【ミ】の音になります。
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弦が短くなるにつれて、段々と音が高くなってきましたね。最後に2/3を弾きます。【ソ】の音です。
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で、これら3つの音を同時に鳴らすと「ドミソ」という調和した和音になるのですが、美しいのは「響き」だけでなく「弦の長さがシンプルな整数比になっている」という点でも同じです。ちなみに、
弦の長さ(1:4/5:2/3)の逆数(周波数)は「4:5:6」
という、これまたシンプルな比例になります。
こうして、難しい楽典理論でなく目の前の楽器の弦の長い短いによって、人の感覚を頼りに“響く音”を見つけてゆく音階、これが「純正律」と呼ばれます。
結果として、
「ドレミファソラシド」の周波数は
「1/1:9/8:5/4:4/3:3/2:5/3:15/8:2/1」
という簡単な整数で表せる比となります。
不思議なことに、人間の耳にはこうした「簡単な整数比」の組み合わせが極限に美しく響くのです(これは振動する空気の節が倍々の原理で重なるからです)。仮に「レ」の音が「9/8」でなく「9.5/8」だとしたら、それは“数が美しくない”から“音も濁ってしまう”ことになります。純正律とはこのように、そもそもの【世界のありのまま】に無理なく沿った、人間の耳に究極に美しい音の組み合わせ(音階)といえます。
■わざわざ汚い数にすること
では、今、僕たちが聴いている音楽、例えばビートルズとかAKB48、或いは僕たちが学校で習った「ドレミファソラシド」はこの「純正律」によってできているのでしょうか?
残念ながらそうではありません。ある時から「究極に美しい音階」が変わってしまったのです。ここが今回の話のヘソです。
例えば、前記したように周波数は
「ドレミファソラシド」は
「1/1:9/8:5/4:4/3:3/2:5/3:15/8:2/1」
という比例関係がありましたから、
【ミ】は「5/4」(→1.25)の筈ですが、それが「ピアノの鍵盤」では「1.259921」となっています。「1.25」でないのです。
同じく【ソ】も「1.5」の筈が「1.498307」と微妙にズレています。
つまり、今のピアノは既に先の「純正律」によっていない、ということになります。
そもそも自然(神様)が決めておいてくれたシンプルで美しい整数比による音階を、今の音楽はなんでわざわざ汚い数にしてしまっているのでしょうか?
■汚くする理由
それにはある理由がありました。
この理由の為、18世紀頃のバッハの時代、その問題を解決をする為に発明されたのが「平均律」というものだったのです。これが、現在のピアノなどの鍵盤楽器が従っている「新しい音階」、つまり「わざわざ比例を汚くした音階」ということになります。
では、なんでわざわざそんなことをしたのか。
その理由は、神様からのプレゼントである自然の音階(純正律)を使ってしまうと、「転調が難しい」という問題が発生してきたからです。転調が難しいということは、音楽の可能性が広がらないということを意味します。
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通常、現代のピアノでは
Cから「ド→レ→ミ→ファ……」と鍵盤を弾いても(ハ長調)
Gから「ソ→ラ→シ→ド……」と鍵盤を弾いても(ト長調)
「ハ長調/ト長調」の違いはあっても、人の耳にはいわゆる「ドレミファ……」と聞こえます。
これこそが「どこから始めてもドレミファ……になる」という「転調」の根拠でした。転調とは、すべての調が「均質」であるからこそ、他への引っ越しが成立するものでした。
ところが、「自然の摂理(弦の長さ)を元にした純正律」では
「ド」(=1)から1オクターブ上の「ド‘」(=2)までの周波数の比
は上の青い数字のようになっており、半音どうしの音の比は正確には同じにはならないのです。
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神様は実は1オクターブの大きさのおまんじゅうを、どの音も文句を言わないように正確に12等分して皆に分け与えていた訳ではなく、どれもが微妙に「多い少ない」があるように不公平に分けて皿の上に乗せていた、ということになります。この不公平が、実は自然の摂理には潜んでいたのです。
自然とは工業製品のように同じものを再生産するのが不得意で、いつも「バラツキ」があるものだったということです。
すべての音どうしの間隔が均質で等価でないということは、「純正律」に従う限り「どこの鍵盤から初めてもよい」ということにならなくなってきたことを意味します。例えば、純正律のままでやってしまうと「ニ長調」(ニからスタートした長調)は、ひどく濁った音階になってしまいます。「最高のものもあれば ダメなものもある」という「バラツキ」、なるほど自然の摂理らしいですね。
そこで18世紀の人が考えたのが、
「1オクターブという1個のおまんじゅんをすべて均等に どの音も文句を言わないよう12等分して分けてしまうという方法」
でした。これなら、すべての音間隔が工業製品のように均質になっていますから「どの音から始めても……」という引っ越し(転調)が可能になります。このような経緯で人工的に発明されたのが、「平均律」でした。「均等」に分けるのですから「平均」ということです。
「バラツキ」(自然の摂理)をそのまま受け入れるのではなく、人間の作為がそれを矯正(均質化)したのです。それは、「純正律」という自然の摂理(弦の長さが整数比)が、バラツキも含めた【世界のありのまま】であった「無作為」に対し、「平均律」は人が音楽の発展の為に加えた「作為」といえます。
ここでひとつとても大切なことは、「転調」できるようになったのはいいのですが、当然、自然の倍音の摂理(綺麗な整数比)からは数字がズレてきますから、音どうしの響き合いはひどく濁るようになります。それは置いておいて……、ということでした。
下の表を見てみてください。これが「無作為」(純正律)と「作為」(平均律)の違いです。
・一番右端の整然とした数字が「純正律」の周波数
・右端から2番目が矯正された「平均律」の周波数
です。見比べてみてください、微妙ですが僅かにズレていますね。
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しかし面白いことに、バッハが1722年に『平均律クラヴィーア曲集』を出版した段階では、今の様に地球上に「十二等分平均律」によって調律された楽器はなかったと言われています。つまり「バッハはあれを頭の中で鳴らせて書いた」と菊地成孔氏(ジャズ・ミュージシャン)はその著書の中で書いています。凄いロマンを感じさせる言葉です。
ある意味、ミースの「ガラスのスカイスクレーパー」のスケッチの様でもあります。
■優等生としての平均律
更に、判りやすい例えでいえば、
・「純正律」とは、成績表で【5】が沢山あるが【1】もある生徒
※究極の美しい響きがあるから【5】・転調ができないから【1】
・「平均律」とは、【オール4】の生徒
良い点は、「周波数のズレ」という評価【1】を無くしてやることで、誰でもが演奏し易く 広く普及する音楽の裾野を開拓した点です。結果、クラシック音楽では沢山のことが可能になりましたし、それが後に多くの現代の音楽を産んだことも業績のひとつです。
ただし一方で、悪い点もありました。
それは、パーフェクトに純粋な音の響きが失われてしまった、という点です。これは、皆が隣と同じように精密にサイボーグの様に調整されてしまったことで、「調」ごとの個性が失われてしまったことをも意味します。この問題をクリアするには、極端な話すべての「調」専用に調律された鍵盤をすべて用意すればよかったのですが、そんなことをしたらピアノは鍵盤だらけになってしまいます。
この「現実的にはねえ……」と「誰にでも普及するように!」といった評価【4】の視点が、【世界のありのまま】を断念させる原因でありました。
ちなみに、「純正律」と「平均律」の音の響きの違いは、ウエブサイトなどで聴くことができますから是非とも視聴し聞き比べてみてください。もし「純正律」にあなたの耳が慣れてしまったら、いつも聴いていた筈の「平均律」は「これって調律ミスじぇねえ?」と思う程汚く聞こえてくる筈です。
以前どこかで、「純正律で作られたオルゴールは、長い時間聴いていても全く飽きることがない」という話すら聴いたことがあります。
※YouTubeの「聞き比べ」をしてみてください(http://bit.ly/1hVFFTu)。最初の「3~11秒」が平均律、「15~22秒」が純正律です。まずは「15~22秒」の純正律を繰り返して10回くらい聞いてみます。それからその後で「3~11秒」の平均律を聞いてみましょう。上の意味がとてもよくわかると思います。