思想家ハラミッタの面白ブログ

主客合一の音楽体験をもとに世界を語ってます。

純正律と平均律

2017-05-20 13:59:39 | 思想、哲学、宇宙論

平均律と近代建築

http://norisada.at.webry.info/201303/article_1.html

<< 作成日時 : 2013/03/08 17:05 >>



今回は少し真面目に、建築家として「建築」についてのお話をしたいと思います。
これは、3年程前に鳥取県建築士会の方にお招きいただきお話した内容を文字にまとめたものです。

それは(音楽の)「平均律」と「近代建築」についてです。
いずれも、音楽と建築に【ある部分では】足枷を嵌め不自由にしているものの正体、その類似性についてお話しようと思います。
できるだけ簡単に書きますので頑張って読んでください。


■純正律
まず、「平均律」とは18世紀頃に出てきた「ドレミファソラシド」の音階の種類のことをさしますが、
その前に、それが誕生する前にあった「とても原始的な音階」について紹介します。
「純正律」と呼ばれるこの方法は、「純」という言葉が付くくらいですから、単純に楽器の“弦の長さ”を基にして決定されていました。下の絵のような「琴」を例に取って説明しますと、
まずは「琴全部」の長さ(1/1)の弦で音を出してみます。

これで【ド】の音が出たとしましょう。
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次は4/5長さで弾いてみます。すると【ミ】の音になります。
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弦が短くなるにつれて、段々と音が高くなってきましたね。最後に2/3を弾きます。【ソ】の音です。
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で、これら3つの音を同時に鳴らすと「ドミソ」という調和した和音になるのですが、美しいのは「響き」だけでなく「弦の長さがシンプルな整数比になっている」という点でも同じです。ちなみに、
弦の長さ(1:4/5:2/3)の逆数(周波数)は「4:5:6」
という、これまたシンプルな比例になります。
こうして、難しい楽典理論でなく目の前の楽器の弦の長い短いによって、人の感覚を頼りに“響く音”を見つけてゆく音階、これが「純正律」と呼ばれます。
結果として、
「ドレミファソラシド」の周波数は
「1/1:9/8:5/4:4/3:3/2:5/3:15/8:2/1」
という簡単な整数で表せる比となります。

不思議なことに、人間の耳にはこうした「簡単な整数比」の組み合わせが極限に美しく響くのです(これは振動する空気の節が倍々の原理で重なるからです)。仮に「レ」の音が「9/8」でなく「9.5/8」だとしたら、それは“数が美しくない”から“音も濁ってしまう”ことになります。純正律とはこのように、そもそもの【世界のありのまま】に無理なく沿った、人間の耳に究極に美しい音の組み合わせ(音階)といえます。

■わざわざ汚い数にすること
では、今、僕たちが聴いている音楽、例えばビートルズとかAKB48、或いは僕たちが学校で習った「ドレミファソラシド」はこの「純正律」によってできているのでしょうか?
残念ながらそうではありません。ある時から「究極に美しい音階」が変わってしまったのです。ここが今回の話のヘソです。

例えば、前記したように周波数は
「ドレミファソラシド」は
「1/1:9/8:5/4:4/3:3/2:5/3:15/8:2/1」
という比例関係がありましたから、
【ミ】は「5/4」(→1.25)の筈ですが、それが「ピアノの鍵盤」では「1.259921」となっています。「1.25」でないのです。
同じく【ソ】も「1.5」の筈が「1.498307」と微妙にズレています。
つまり、今のピアノは既に先の「純正律」によっていない、ということになります。
そもそも自然(神様)が決めておいてくれたシンプルで美しい整数比による音階を、今の音楽はなんでわざわざ汚い数にしてしまっているのでしょうか?

■汚くする理由
それにはある理由がありました。
この理由の為、18世紀頃のバッハの時代、その問題を解決をする為に発明されたのが「平均律」というものだったのです。これが、現在のピアノなどの鍵盤楽器が従っている「新しい音階」、つまり「わざわざ比例を汚くした音階」ということになります。

では、なんでわざわざそんなことをしたのか。
その理由は、神様からのプレゼントである自然の音階(純正律)を使ってしまうと、「転調が難しい」という問題が発生してきたからです。転調が難しいということは、音楽の可能性が広がらないということを意味します。

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通常、現代のピアノでは
Cから「ド→レ→ミ→ファ……」と鍵盤を弾いても(ハ長調)
Gから「ソ→ラ→シ→ド……」と鍵盤を弾いても(ト長調)
「ハ長調/ト長調」の違いはあっても、人の耳にはいわゆる「ドレミファ……」と聞こえます。
これこそが「どこから始めてもドレミファ……になる」という「転調」の根拠でした。転調とは、すべての調が「均質」であるからこそ、他への引っ越しが成立するものでした。

ところが、「自然の摂理(弦の長さ)を元にした純正律」では
「ド」(=1)から1オクターブ上の「ド‘」(=2)までの周波数の比
は上の青い数字のようになっており、半音どうしの音の比は正確には同じにはならないのです。
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神様は実は1オクターブの大きさのおまんじゅうを、どの音も文句を言わないように正確に12等分して皆に分け与えていた訳ではなく、どれもが微妙に「多い少ない」があるように不公平に分けて皿の上に乗せていた、ということになります。この不公平が、実は自然の摂理には潜んでいたのです。
自然とは工業製品のように同じものを再生産するのが不得意で、いつも「バラツキ」があるものだったということです。
すべての音どうしの間隔が均質で等価でないということは、「純正律」に従う限り「どこの鍵盤から初めてもよい」ということにならなくなってきたことを意味します。例えば、純正律のままでやってしまうと「ニ長調」(ニからスタートした長調)は、ひどく濁った音階になってしまいます。「最高のものもあれば ダメなものもある」という「バラツキ」、なるほど自然の摂理らしいですね。

そこで18世紀の人が考えたのが、
「1オクターブという1個のおまんじゅんをすべて均等に どの音も文句を言わないよう12等分して分けてしまうという方法」
でした。これなら、すべての音間隔が工業製品のように均質になっていますから「どの音から始めても……」という引っ越し(転調)が可能になります。このような経緯で人工的に発明されたのが、「平均律」でした。「均等」に分けるのですから「平均」ということです。
「バラツキ」(自然の摂理)をそのまま受け入れるのではなく、人間の作為がそれを矯正(均質化)したのです。それは、「純正律」という自然の摂理(弦の長さが整数比)が、バラツキも含めた【世界のありのまま】であった「無作為」に対し、「平均律」は人が音楽の発展の為に加えた「作為」といえます。
ここでひとつとても大切なことは、「転調」できるようになったのはいいのですが、当然、自然の倍音の摂理(綺麗な整数比)からは数字がズレてきますから、音どうしの響き合いはひどく濁るようになります。それは置いておいて……、ということでした。


下の表を見てみてください。これが「無作為」(純正律)と「作為」(平均律)の違いです。
・一番右端の整然とした数字が「純正律」の周波数
・右端から2番目が矯正された「平均律」の周波数
です。見比べてみてください、微妙ですが僅かにズレていますね。

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しかし面白いことに、バッハが1722年に『平均律クラヴィーア曲集』を出版した段階では、今の様に地球上に「十二等分平均律」によって調律された楽器はなかったと言われています。つまり「バッハはあれを頭の中で鳴らせて書いた」と菊地成孔氏(ジャズ・ミュージシャン)はその著書の中で書いています。凄いロマンを感じさせる言葉です。
ある意味、ミースの「ガラスのスカイスクレーパー」のスケッチの様でもあります。

■優等生としての平均律
更に、判りやすい例えでいえば、
・「純正律」とは、成績表で【5】が沢山あるが【1】もある生徒
※究極の美しい響きがあるから【5】・転調ができないから【1】
・「平均律」とは、【オール4】の生徒

良い点は、「周波数のズレ」という評価【1】を無くしてやることで、誰でもが演奏し易く 広く普及する音楽の裾野を開拓した点です。結果、クラシック音楽では沢山のことが可能になりましたし、それが後に多くの現代の音楽を産んだことも業績のひとつです。

ただし一方で、悪い点もありました。
それは、パーフェクトに純粋な音の響きが失われてしまった、という点です。これは、皆が隣と同じように精密にサイボーグの様に調整されてしまったことで、「調」ごとの個性が失われてしまったことをも意味します。この問題をクリアするには、極端な話すべての「調」専用に調律された鍵盤をすべて用意すればよかったのですが、そんなことをしたらピアノは鍵盤だらけになってしまいます。
この「現実的にはねえ……」と「誰にでも普及するように!」といった評価【4】の視点が、【世界のありのまま】を断念させる原因でありました。

ちなみに、「純正律」と「平均律」の音の響きの違いは、ウエブサイトなどで聴くことができますから是非とも視聴し聞き比べてみてください。もし「純正律」にあなたの耳が慣れてしまったら、いつも聴いていた筈の「平均律」は「これって調律ミスじぇねえ?」と思う程汚く聞こえてくる筈です。
以前どこかで、「純正律で作られたオルゴールは、長い時間聴いていても全く飽きることがない」という話すら聴いたことがあります。
※YouTubeの「聞き比べ」をしてみてください(http://bit.ly/1hVFFTu)。最初の「3~11秒」が平均律、「15~22秒」が純正律です。まずは「15~22秒」の純正律を繰り返して10回くらい聞いてみます。それからその後で「3~11秒」の平均律を聞いてみましょう。上の意味がとてもよくわかると思います。


エネルギーの振動の組み合わせ

2017-05-20 11:32:23 | 思想、哲学、宇宙論

周波数の秘密




あらゆる存在は、エネルギーの振動の組み合わせで、そのエネルギーは思考や感情によって作られる。

あらゆる存在は同一のエネルギーから成り立っているが、エネルギーの組み合わせが無数にあるため、存在の形式も無数にある。






エネルギーの振動の組み合わせとは、具体的には倍音の組み合わせのことだと思います。





http://sciencewindow.jst.go.jp/html/sw08/sp-005#wrap


一つの音にある無限の美しさ―― 作曲家・尺八演奏家 中村明一さん――

江戸時代の"虚無僧こむそう"(禅宗の一派「普化宗ふけしゅう」の僧)に伝承されてきた尺八曲を演奏する中村明一さん。
ロックや現代音楽などの幅広い活動も世界的に展開している。
東京・世田谷のスタジオを訪ね、尺八が持つ音色の素晴らしさとその奥深さについて、実演を交えながら話を聞いた。






世界が注目する音色

中村明一

中村明一(なかむら あきかず)

作曲家・尺八演奏家。横山勝也師、多数の虚無僧尺八家に師事。バークリー音楽大学、ニューイングランド音楽院大学院出身。文化庁芸術祭優秀賞(2回)などを受賞。日本現代音楽協会会員。洗足学園音楽大学大学院、桐朋学園芸術短大、朝日カルチャーセンターの講師。著書『「密息」で身体が変わる』(新潮社)。CD『虚無僧尺八の世界東北の尺八霊慕』(ビクターVZCG-610)など多数。

http://www.kokoo.com

中村明一さんが70?余りもある太く長い尺八(二尺四寸管)を吹くと、スタジオ内の空気が一変する。「ピー」という細い音ではなく、「ヴォービリビリリリ……」という体を揺さぶる音だ。まるで強風にあおられるような激しさに頭がクラクラして、何とも言えない心地よさが体中に広がる。

「尺八は、いわば江戸時代のシンセサイザー。一つの音を自在に操れます。日本人が音に対して独特な鋭い感性を持っていたからこそ完成できた楽器だと思います」。静かな口調で中村さんの説明が始まった。

中国から伝わり日本で独自の発展を遂げた楽器、尺八。同じ五線譜の「ド」でも、尺八ならその音にいくつもの隠れた音を自由に出し入れできるという。

「同じ音高の音でも、楽器や歌う人が違うと音色が違います。その違いは『倍音』の違いによって生まれるのです。尺八は、その倍音を操れる、世界的にも珍しい楽器です」

倍音とは、基本となる音(基音)と同時に鳴っている、異なる高さの音のことだ。

スタジオにはシンセサイザーや測定機器も置かれている。尺八の音の周波数を調べた図を示しながら中村さんは言う。「音を周波数によって解析すると分かるとおり、楽器の音には基音以外に別の音も含まれています。これが音色を決めるのです」

クラシックに代表される洋楽では、ハーモニーを妨げやすい高い周波数の倍音を排する方向に改良され、例えばフルートの音は倍音が非常に少ない。ウィーン少年合唱団などでおなじみの「聖歌隊」の発声も、倍音の非常に少ない音色の一つの典型といえる。各楽器や歌声の音色を均質化することで、作曲家たちは規格化されたレンガを積み上げるように交響曲などの壮大な構造の楽曲を作り出すことができた。

「音楽の要素を限定する方向に向かったことで大きな発展を遂げた西洋の音楽ですが、今、前衛とか最先端といわれる音楽家の多くが心を砕いているのは、実は倍音をより多く音楽に取り入れること。そこで世界的に注目されている楽器が日本の尺八なのです」




昔も今も倍音を好む日本人

中村さんによれば、日本人は単純な音よりも倍音を含む複雑な音を好む傾向があるという。

「ソプラノ歌手の洗練された声よりも、美空ひばりさんのようなむしろ『濁った声』『かすれた声』が好き。最近の若い歌手でも、浜崎あゆみさんなどの歌声を分析すると、ひばりさんの声に似た特徴が見られます」

日本人がなぜそのような音に心地よさを感じるのか。その理由は、子音と母音という倍音構造の異なる音を常にセットで使う日本語の構造から、倍音への感覚を発達させたことが一つ。もう一つは居住環境に起因している。木造の建物は音の反射が少ないので倍音が伝わりやすかった。一方、石造りの西洋建築物では音の反射が大きく、反射するたびに倍音は吸収されて、基音が増幅される。

「尺八は、日本の風土の中で日本人特有の音感によって磨き上げられた楽器です。雨が降って湿気の多い日に尺八を吹くと、何とも言えない良い音が出ますよ。世界中の楽器の中でも、演奏者が自由に倍音を操作できるものは、ほかにほとんど見られません」

尺八
尺八は一寸刻みに短いものから長いものまでさまざまあり、長いほど低い音、短いほど高い音になる。右が二尺四寸管で、写真の中村さんが演奏している尺八。左が一尺八寸管、通常尺八というとこのサイズ。




電子音から風の音まで

「正弦波と呼ばれる電子音のような音も出せれば、周波数が整数倍の倍音をコントロールしながら出すこともでき、さらにノイズのような倍音(非整数次倍音)を自在にまぶすこともできます」

そう言って、中村さんが尺八を吹くと、「ヒュ??シュー??ヒュ??」という風の音が見事に再現された。本物の風が尺八を奏でているようだ。

「倍音の組み合わせは無限と言っていいほどあって、たった一つの音高の音だけでも豊かな音楽を作れます。『一音成仏』という言葉もあるとおり、一つの世界を作り出せるのですね。昔の日本人は、倍音という概念も周波数測定器もないのに、倍音を自在に操れる楽器を作った。これは驚くべきことです」

中村さんは、「音の無限性」「音の宇宙性」という言葉で尺八の音を表現した。一音、ほんの1秒の音でも、無限の要素がそこにあり、底知れない宇宙につながるという。




味わってほしい音の不思議さ

人の心を打つ音というのは中村さんにとってどんな音なのだろうか。「私は小さいときから音楽と科学が好きで、小学校のとき、私が吹いたリコーダーを先生が『美しい音ですね』と言ってくださったのがうれしかった。その一方で、“美しいって、どういうことなのだろう”とも思いました。なぜ、人は音を聴いて美しいと思うのか。それを少しずつ科学的にひも解くことは、とてもおもしろいことですし、有意義なことだと思います。でも、その仕組みはあまりに複雑なために、科学的にすべて分かることは、永遠にないのかもしれません」

中村さんは、大学で量子化学を学び、その後米国のバークリー音楽大学で作曲や即興演奏などを学んだという邦楽家としては異色の経歴。「音楽にも科学にも、底知れないものを感じます」と語る。

最後に「教育関係者へのメッセージは」と尋ねると、こう語った。

「日常生活には、どんなにささいなことでも、そこに不思議さ、深遠さ、宇宙性といった果てしないものが含まれています。

校庭に転がっている石だって化学分析をすればものすごく複雑ですし、それがどこからやって来たのかを考えれば宇宙の起源までたどることができます。学校の先生方にお願いすることができるのなら、その石のように、身の回りの一つの音の底知れない不思議さを感じさせてほしいということです。特に、音楽はそれを体感させやすい教科だと思います。

ぜひ子どもたちに曲を作らせてあげてください。音楽は基本的に、時間的な音の配置と、音高、音色、音量の組み合わせです。物理的にはとても単純な行為。どんな曲でもいいから作らせて、音が持つ無限の美しさや不思議さを味わわせてあげてほしいと思います」