思想家ハラミッタの面白ブログ

主客合一の音楽体験をもとに世界を語ってます。

意外と面白い千乃正法4

2012-09-12 21:38:23 | Weblog
まず善我というのは、善なるものについて深く追求し、偽らざる善の心を披瀝することを理想とする生活態度をいいます。自然であるがままの気取らぬ自己を感じ取ることに始まり、偽らざる自己であり、また他と全面的に協調し調和する心に終わるということ。
すなわち善なる心という安定した曇のない良心に支えられ、何ら心を乱すものなく、流動的でいかなる人にもその心情を等しくあわせてゆくことができる水の流れにも似た心であり、少しも偏ることも、ゆがむこともない。真理を常に求めて真理を学ぶことに喜びを見出す心の余裕を持つことのできる精神のあり方なのです。正しきを喜び、自己の過ちを認め、悪びれず、素直に正していくことの出来る柔軟な心構えなのです。

大自然の法則、成り立ちというのもこれに似ていて、環境を形造る上に理想的なもののみが良しとされ、理想の条件に合わないものはどんどん形を変え姿を消してしまう。
調和というまろやかな流動する様相、そこにはバランスという大切な要素があります。
調和のとれた永続性を持つ自然環境は決してその中に余分な偏りすぎた要素を含みません。
このように全てにおいて調和と過度に過ぎぬこと。つまり中庸が自然と宇宙の法則であり、ひいてはその宇宙に含まれる有機物、無機物、そして生態の法則でなければならず、またそうすることを余儀なくされてきたのです。
これを広義における善といい、人間に当てはめると同じような自然の法則に心身を従わせることになります。 
己の節制を図り心のあり方を律すること。
それが大自然の中の一環である人類の為すべき務めでありまた責任でもあるのです。

ミカエル 善我と偽我について 
1979 2月 天上界メッセージ集より抜粋