思想家ハラミッタの面白ブログ

主客合一の音楽体験をもとに世界を語ってます。

月光

2008-10-08 13:20:47 | Weblog
夕方、世田谷線沿いのそのマンションの前を通ると、いつものようにそのピアノの演奏が聞こえてきた。

もう1か月以上前から同じ曲が聴こえてきていたのだった。

いったいあのピアノを演奏している人はどんな人だろうか。

私は思い切ってマンションの管理人に聞いてみた。

あのーすみませんちょっとお聞きしたいんですが、あのピアノを弾いてる人はどんな方ですか。

えっピアノ?私には聞こえませんが・・・管理人は不思議そうな顔をして答えた。

ほら、聞こえるでしょう。ベートーベンの月光が・・・

あれっもう聞こえないや。

気のせいじゃないですか?あそこの部屋はもう誰も住んでないはずですが・・・

でも確かに聞こえたんです。

それじゃあ念のため確かめてみましょう。

管理人は鍵を持って出てきた。

あの部屋に住んでいた学生さんは1か月前に亡くなられたんですよ。

有名な音楽大学のお嬢さんでした。

ご病気だったんですか?

ええガンだったそうです。

管理人は部屋の鍵をゆっくりと開けた。

中は真っ暗だった。電気をつけると、何もないがらんとした部屋の中にグランドピアノが1台ぽつんと

置かれていた。二人は中に入って行った。

このピアノはレンタルピアノでもうすぐ運ばれてしまいます。

とても奇麗なお嬢さんでした。若いのに残念です。

さて、特に異常はないようですので行きましょうか。

二人が出口に向かって歩き始めたとき突然電気が消えて真っ暗になった。

停電かな。そう思った時、バタンという音がピアノの方から聞こえてきた。

驚いて振り向くと、かすかな光が現れピアノを淡く照らしはじめた。

そして静かに演奏が始まった。

それはいつも聞こえてきた月光の第一楽章だった。はかなく悲しげな感じに聞こえた。

曲が進むにつれ、その光はだんだん大きくなり女性のシルエットになった。

私は呆然としながらその光景を眺めていた。

光は鍵盤を幻想的に浮き上がらせ、まるで月の光に照らされているように美しかった。

曲が終わるとその光は浮上しはじめ球状になった後ピアノの周りをゆっくりと旋回し始めた。

そしてしばらく経つと外に出て行き消えてしまった。

部屋の明かりがふたたびついた。

まるで夢を見ているようだった。

ピアノの鍵盤の蓋は閉じたままだった。

彼女はこのピアノに最後の別れを告げにきたのだろうか。

次の日からもうこの部屋からピアノの音が聞こえることはなくなった。