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森男の活動報告綴

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ベクトルずれた

2013年09月28日 | 模型の話題
今週発売の月刊ホビージャパン11月号に、模型のお仕事が載りました。

ファインモールド社の日本陸軍・四一式山砲の「連隊砲」と「山砲兵」をヴィネットとして製作しました。
完成写真を中心に、3ページにわたって紹介してもらってます。興味のある方はぜひご覧下さい。また日をあらためて、作品のセルフ写真も紹介できればと思います。

記事にも書いたのですが、私の祖父は山砲の班員でした。祖父が関係していた兵器の模型を私が作り、雑誌に掲載されるというのは、なんとも感慨深いです。子供の頃、私は祖父の軍隊時代の話を聞くのが好きでした。祖父は嬉しそうにいろいろな思い出を話してくれたものです。その会話に、よく「サンポー」という言葉がでてきました。

祖父は幸いなことに、戦闘を経験せずに終戦を迎えています。今となってはよく理解できるのですが、だからこそ私に話ができたのだと思います。祖父の部隊は満州の国境警備についていました。南方の戦況が逼迫すると、部隊の半分は南方に向かい、残りは本土決戦の準備のため四国に配属されました。祖父は幸い四国組でした。その後、満州のその地域の部隊は最後までソ連軍に抵抗し玉砕し、南方組も玉砕しています。なので、かなりきわどいところで生き残ったわけです。「軍隊は運隊」という言葉がありますが、ほんとそうだよなーと思います。四国と南方の振り分けとか、逆になってもおかしくなかったはずですから。今私がここにいるのは、紙一重だったんだなと。

話から推察するに、祖父は砲に直接携わってたわけではなく、砲弾の運搬係とかそういうのだったようです。「砲を撃ったときはこうで」とか「装填する時はああで」とかいう話を聞いたことがないので。聞いたのは「砲の火薬は舐めると甘いので、おやつ代わりにぺろぺろ舐めてた」とか「馬はうまかった(死んだら食べてたようです)」とかそんなのばかりでした(笑)。「十四年式拳銃の撃針がよく折れて困った」と言ってたので、何かの班長だったのでしょう(階級は兵長)。ほんとかうそか分かりませんが、泥濘にはまり込んだ馬を1人で担ぎ上げて(ほんとかなあ、、)表彰かなにかされたとか。「伍長にされそうになったけど、メンドクサイのでうまくすり抜けた」ともいってました。まあ、それなりに優秀で要領のいい兵士だったようです(笑)

というわけで、私が軍隊とか戦争に興味を持ったのは、物心がつくかつかないかの頃に祖父の話を聞いたのが大きかったようです。その後、いろいろと自分で本を読んだりプラモを作ったりしてるうちに、人生のベクトルがずれちゃったわけで(笑)。そう考えると、人生って不思議ですね、、、。

また、昔に作ったフィギュアを作り直してます。今回は尼さんです。というか、これを昔に作ってたという時点でどうかしてる気が。でも、ゴスロリっ子と違い、ヨーロッパのジオラマだといいアクセントになるんじゃないかなと思います。私の作るフィギュアや絵はつり目ばかりだ、とある人にいわれたのでタレ目にしてみました。でも、これで普通くらいかも?頭巾(?)をそれっぽくするのが難しいですね、、、。

さっき「人生のベクトルがずれる」と書きました。例えばそれは、特に目的もなくこういうものを作ることを指すんですね。ははは。

それでは。




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