森男の活動報告綴

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模型の持つ可能性について。

2022年09月25日 | 模型の話題
前回紹介した九九艦爆のジオラマは、私にとってはとても思い入れのあるとても大事な作品です。自分なりに頑張って作ってそれなりに満足しているから、というのはもちろんなんですけど、そういうのとは別の大きな理由があるのです。

この作品を通じて、ある出来事がありました。このことで、以後私の模型に対するスタンスが大きく変った、といいますか、それまで漠然としていた考えが確固たるものになったのです。これはでかかったほんとに、、。今回はそのことを書いてみたいと思います。

このジオラマは本には載りましたけど、そもそもは個人的に作ったものです。十数年くらい前のことです。私が所属する模型クラブの年1度の展示会での出品を目標に製作しました。当日までに本体は完成しましたが当初想定していたジオラマ(要するに本に載った状態)までは出来ませんでした。仕方なく簡単な地面を作り、本体をそれに載せた状態で展示しました。

作品カードには「今はほぼ単体ですが、情景作品にするつもりです」と書き添えておきました。展示会は毎年公営のギャラリースペースで開催しています。市内の中心部にあるので、うちの展示会を目的として来る方だけでなく、通りがかりの人がふらりと寄ってくれることも多いんです。なので、模型展示会としては老若男女、ほんとにいろいろな方が来られます。

展示会当日、会場入り口で受付をしているとクラブの先輩が私を呼びに来ました。「九九艦爆の作者と話がしたいといっている人がいるので、来て」と。作品の前に行くと見知らぬおばあさんが立っていました。「ひょっとすると、苦情か何かかな?」と思いました。

以前の展示会で、兵器の模型の展示に抗議する人がいたことをその先輩から聞いていたからです。その先輩は対応がいろいろ大変だったと。まあ、そういう人たちがいることは理解できますし、仕方のないことですね、でも大変ですよね。みたいな話を少し前に先輩としてたのですね。なので、私は彼女にちょっと緊張して話しかけました。

私が声を掛けると、彼女は上ずった声で「これを見て感激して泣きそうになったんです。ひとこと作者の方にお礼をいいたかった。いつ情景にするんですか?是非見てみたいです」と。

彼女は小柄でおとなしそうな、いかにも「おばあさん」という感じの方でした。でも、その佇まいからは想像できないような勢いで話してきました。隣で開かれていた絵手紙展(ここは2つのギャラリーがある)を見に来て、ついでにこっちの模型展示会にも寄ってみたとのこと。すると、私のこの作品が目に留まったそうです。

聞けば、彼女には海軍にお兄さんがいたのですが、軍艦に乗っていて戦死されたとのこと。彼女自身も、戦中はいろいろと苦労されたそうです。そういうことをとつとつと私に話されました。彼女は目に涙を浮かべて「これを見た瞬間、兄のことや当時の記憶がどっとあふれ出てきて、たまらなくなったんです。本当にありがとう」と、、、。

私は頭の中が真っ白になりました。お礼をいうにしても一体何をどういったらいいのかわからない。なんとかひねり出したひとことが「ありがとうございます、、」。それしか言えませんでした、、、。お名前と連絡先を伺い、必ず情景にして完成したら写真を送ることを約束しました。前回と今回UPした写真の一部は、情景の完成後彼女に送ったのと同じものです。

この作品の製作の動機・目標は、飛行機のクラッシュモデルを作るというものでした。私は壊れて戦場に遺棄された兵器に昔からなぜか魅かれていて、一度は作ってみたいと思っていたのです。それとはまた別に、戦争で亡くなられた方々への慰霊の気持ちも少なからずありました。こういう作品を作る場合は、そういう想いも込めなければならないと思ったからです。

ただ壊れた兵器を作るのではなくて、乗っていた人、それを作った人など、兵器の背後には多くの人々がいたことも考えながら作らなければいけないのではないか、と(もちろん、これは私の個人的意見です)。で、実際そんなことを思いながら作ったんですね。っていうか、作ってるとどうしてもそういうことを考えちゃうんですよね。

例えば、ですが当時の日本人って海外旅行なんてまあほぼ誰も行けないですよ(海外旅行経験者って、人口の1パーセント以下とかの富裕層のみでしょう多分)。彼は田舎の農村から海軍に志願して、なんとか搭乗員になって(志願してもまずなれない。かなりの能力がないと無理。なので彼は郷里の英雄です)、初めて海外の南洋の空を飛ぶ。海と空は本当に綺麗で目がくらんでしまう、、、。

郷里の家族ら含め、日本人の大多数はまず見ることができない南洋の綺麗な風景(戦争中とはいえ)を見たときの彼の気持ちはどんなだったろう。これを家族に見せたいなあ、とちらっと(任務の邪魔にならない一瞬の間だけ)思ってしまう、、、、。でもしかし残念ながら、彼の乗っている飛行機は南洋の空の下で長生きできる性能では決してない、、、。作ってると、そんなことが頭の中から次々と湧き出てくるんですよ。で、ちょっとたまらんのですよこれ、、。セルフで何やってんだ、なんですけど(笑)ほんとたまらんのですよ、、、。

閑話休題。で、彼女の言葉を聞いたとき「伝わったんだ!!」と文字通り膝が震えました。戦中に苦労され、しかも肉親を戦争で亡くされた方が、戦争を知らない私の作ったものを見て心を動かされた。信じられない。けど「伝わった!!」。その時の気持ちは、私が生まれて初めて感じたものでした。頭の中が真っ白になったとさっき書きましたけど、ほんとにそういう感じでした。自分が作ったものが人の気持ちに届く、ということがどういうことなのか初めてわかったような気がしました。

彼女は先に書いたように、物静かでおとなしそうな感じの方でした。自分とは全くなじみのない模型の展示会場で「作者を呼んで欲しい」とスタッフに話し掛けるのはよほど勇気がいったんじゃないかと思います。でも、それ以上に彼女は自身の気持ちを作者に伝えたいと思ってくれたわけで。たまらないです、、。

で、私はこの件以降模型に対する認識や態度が変わってしまいました。私自身、子供の頃から模型誌などでジオラマなどをみて「すげー!」と感激や感動はしていました。しかし、それは私が模型とかミリタリーが好きだからで、そういう属性がない人が見ても私のように感激感動することはないのかも?と勝手に思い込んでいました。

でも、自分の模型を見て感激してくれた一般の人(しかも戦争体験のある方)が、現実に、目の前に、いるわけです。自作を評価してもらった以上に、「模型の可能性」を確信できたことが本当に嬉しかったのです。「模型というのは、自分の想いを誰かに伝える表現手段に十分なり得るんだ、という」。

模型にそういう可能性があることはずっと前から思ってはいたのですが、なにぶんその実例も証拠もなくて、ぼんやりとした推測、推定、希望のようなものでした。でも、この件でその思いは確固としたものになりました。

誤解されると困るのですが、これは決して「私のこの作品が凄い」と誇示するような話ではありません。そんな瑣末なことではないのです。「誰が作った模型にも、何らかのそういう「伝える力」が潜んでいるし、込めることができる。模型にはそういう力が確実にある」ということがいいたいんですね。

これ以降、私の模型製作に対する姿勢はかなり変りました。「伝わるんだから、ちゃんと気持ちを込めよう」と考えながら作るようになりました。しかし以後作ったものたちが、誰かに何か伝わったのか、伝わってないのかは分かりません。でも、この件以後、何も迷わず作れるようになりました。これはほんとうに大きかった、、。

もちろん、伝えたい内容はなんでもいいんです。自由です。作る人それぞれが考えることです。っていうかそこがキモ中のキモです。「戦没者への慰霊の気持ち」とういうのはあくまでこの作品の一例です。そういう重いテーマを込めなくちゃダメ!とかではもちろんありません。これはたまたまそうだった、というだけです。個人的にはそういう気持ちはずっと大きなテーマとしてありますけど、それは私個人の話ですからね。

「伝えること」というのは何でもいいわけです。作る人が「これを伝えたい」と思うことがそれです。例えば「タイガー戦車カッケー!」でも全然いいんです。むしろそういうのが大事かもしれません。逆にいうと「伝えたいこと」がなければ「伝わらない」んですね。当然なんですけど。

せっかく作るのだから、やっぱり誰かに共感してほしいですよね。かといって「伝える」ためにはどうしたらいいのかとか考えちゃうかもですが、でもそれはとりあえずは考えなくてもいいんじゃないかな、と思います。

例えば「俺がカッコイイと思うタイガーはこれだ!」と思いながら作るだけでも結果は全然違うんじゃないかな、と。「誰が見ても唸るような、今の技法を駆使したタイガーを作ろう」と思うのも大切なんですけど、それとはまた別にそういう風に思いながら作るのも大事なんじゃないかな、と。もちろん、それが伝わらなかったとしてもまあ仕方ない(ここは怖いところ(笑))。

でも、もし一人だけでも「タイガーって、こんなにカッコよかったんだ、、」と思ってもらえるものが出来れば最高じゃないですか。そう思いませんか?だからこそ何かを作る意味があるんじゃないかなあ、と私は思っています。

模型は技術で作るものなので、こういう精神的な面はあまり語られないような気がします。でも私はとても大事なことと思ってます。

情景の完成後、写真を彼女に送りました。丁寧な返事をいただきました。翌年の展示会前に「完成形の情景を展示するのでぜひおいで下さい」とハガキを送りましたが残念ながら来られませんでした。ほんと現物を見てほしかったのですが、仕方ないですね、、。でも写真を送り、それを見ていただけただけでもよかったと思ってます。

もう一つ、兵器や戦争に興味を持ったり模型を作ったりすることへの迷い・罪悪感のようなものが吹っ切れたというのもよかったです。私は銃器や兵器はほんと大好きで「メチャカッコイイなあ!」とホレボレしてる一方で、「戦争っていやだなあ。戦争ってなんだろう」とも考え続けています。そういう矛盾したグチャグチャした考えが何十年も頭の中を渦巻いています。

でも、この件で「そういうグチャグチャはグチャグチャのままでいいから、とにかく進め!」と背中を押されたような気がしたんですね。「答えなんかないんだから!」と。これも大きかったです。

そんなこんなで、この件は私の中では非常に大きな出来事でした。いろいろと書きましたけど、私のいいたいことがきちんと伝わったのかどうかよくわかりません。まあでも、幾人かの方にでも伝わったてたらとても嬉しいです。

なんであれ「伝える」ってほんと難しいことなんだなあ、と思ってます。「伝える」ってたったの三文字ですけど、実際に「伝える」ってことは実に困難です。大体は「伝えた、という気がしている」だけなんだなあ、と。この件でいろいろ考えてたら、そういうことも分かってきたような、、。なんであれ、頑張るしかないんでしょうね。それくらいのことはさすがに分かるようになりました(笑)

というわけで長々と書きました。すいません。でも今回このことが書けてよかったです。こういう機会がないと書けなかったですからねえ。突然この話をされても脈略なさスギですからねえ(笑)こういうのも何かの縁なのかもしれません。あ、ほんとよかったらこの本ご覧になって見てくださいね(最後に宣伝かよ!)。

それでは。
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