森男の活動報告綴

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ごっつええ感じの銃選手権・番外(なんちゃって日本軍小火器編 その3)

2020年08月09日 | イラスト集
「こんな日本軍の銃器があったらよかったのになあ」という私の勝手な妄想を誰にも頼まれないのに絵に描いて、あることないこと見てきたようにしたり顔で解説するシリーズの3回目です。前回で一応お終いということにしていましたが、その後もアレコレ頭に浮かんでくるのが止まらず、浮かんだ以上描かざるを得ず(笑)気がつくと1回分くらいになってました。なので続けてしまうのです。

繰り返しになりますが、以下の銃は全て真っ赤なウソです。しかし、文中には史実もあれこれ織り交ぜています。その後の「妄想の経緯」については、それを思いつくに至ったホントのことを書いてます。読んでいて、何がウソで何がホントなのかわけわかめになるかもしれませんが、その辺はもう「世の中そういうもんだ」ということでご了承下さい。

●二式狙撃銃
陸軍挺進連隊(落下傘部隊)用に製造された二式小銃(略称テラ銃)は、銃身部と機関部が分解可能な、世界的にも珍しい軍用テイクダウンライフルです。二式狙撃銃は、テラにスコープを付けた狙撃銃バージョンです。
1→スコープは九九式照準眼鏡を使用。装着部は当然九九式と同様です。
2→先台部はテラと違いハーフストックになってます。また、銃身はフローティングバレル仕様。フローティングバレルとは、銃身と銃床を密着させず、銃身が浮かせるようにすること。こうすると、銃身がフリーな状態となるので命中精度が上がります。
3→消音器は特殊な装備だったようです。目的は不明ですが、挺進連隊の中にさらに特殊な任務を帯びた部隊があり、そのために造られのでは、と推測する研究家もいます。二式擲弾器を流用し、擲弾の代わりに消音器を装着します。そのため、擲弾器にロックが付いてます。
4→チークパッド。消音器同様、これも特殊な装備のようです。現存する個体のほとんどには両方付いていませんが、数丁が確認されています。

二式狙撃銃、テラともども、採用の時点で戦局は悪化しつつあり、本来の採用目的である空挺作戦自体が行われなくなったため、陸上戦闘で通常の狙撃銃として使われました。本土決戦でも活用されたようです。

しかし、この銃が本当に「活躍」したのは戦後の混乱期でした。分解可能で消音器が装備されている点は、暗殺用の銃器としても理想的で、この銃によるものとされる占領軍の要人狙撃事件は二十数件にのぼっています。「犯人」は旧軍関係者とみられており、突発的ではなく計画・組織的な「犯行」に占領軍が大混乱に陥ったことは今でも語り継がれていますね。

戦中は空挺用としての本領を発揮できず、戦後非合法な「犯罪」によってその能力が生かされたというのは皮肉です。そんなこんなで、ダークなイメージが付きまとっている銃です。

●妄想の経緯
とまあ、またまたもっともらしいことを書いてしまいました(笑)。要するに、分解できる狙撃銃があったらカッケーな、というだけの発想ですね(笑)。とはいえ、テラはどうも命中精度はいまいちだったみたいです。ミリタリートイズVol7(八重洲出版)に、たかひろ氏による詳しいレポートが載っています。九九式と共に100ヤードのグルーピングテストを行っており、テラは150ミリー170ミリ、九九式が50-100ミリ(各結果の幅は弾薬の違い)でした。確かに、良くはありません。

テイクダウンライフルで精度を維持するには、普通のライフル並みにキッチリと固定する機構(複数個所でねじ止めするなど)が必要なようです。しかし、テラの結合は薬室下側のクサビ上のロック一箇所のみとなっています。同氏は、発射後、銃口から銃弾が出るまでに、そのクサビ部分を支点に銃身が歪んでしまうのではないか、と推察されています。しかし、狙撃銃ではなく通常の軍用銃としては「十分合格範囲といえる」とのこと。軍もその辺の問題は十分理解したうえで、妥協案としてこの方式を採ったのでは、とも。

要するに、テラは命中精度を許容範囲まで落として、分解結合の簡便さ(コスト)を優先したということですね。そういう選択もありなんでしょう。軍用銃というのはどれもこれも完璧、ってのはなかなか難しいでしょうからね。

なので、テラを狙撃銃にするのはちょっと無理があるんですが、まあいいじゃないですか、という(笑)。余談ですが「ダーティハリー」の悪役・スコルピオが冒頭でテラ改造の狙撃銃を使ってます。やっぱりテイクダウンライフルってのはキャラが立ってて魅力的ですよね。

あと、ミリタリートイズのたかひろ氏のレポートは、銃のチョイスが実に渋く(九九式狙撃銃やアストラ600など)かつ記事も詳しく丁寧で、毎号楽しみにしていました。雑誌が休刊になったのは残念でした、、。

●試製ぺ式自動小銃
米のピダーゼンデバイスを改良・国産化したのが、ぺ式自動小銃です。
ピダーゼンデバイスとは、米軍のM1903ライフルを、拳銃弾クラスの弾丸を使用する自動小銃に変換させるアタッチメントです。日本陸軍は1930年代前半から、自動小銃の開発に着手しており、米のピダーゼン自動小銃のライセンスを購入しました。それを元に自動小銃甲号・丙号が開発されています。この自動小銃のライセンスと同時にピダーゼンデバイスも売り込まれたようです。既存の小銃を、低威力ながら自動小銃に変換できるというアイデアは慢性貧○症の日本軍の興味を引いたようで、ライセンスを取得し、日本独自のアレンジを施したものが試作されました。

1→後部に出っ張っているのがコッキングピース。オリジナル同様、ストレートブローバック式。ロック機構の変わりに、ピースを大きく重くしてロックの代用としているようです。弾丸は三八式実包(A)を小型化した試製ぺ式実包(B)。威力としてはモーゼル拳銃弾より多少強い程度だったとか。オリジナルと異なり、フルオート射撃を可能にしており、これは弾丸の弱さをカバーするためと思われます。
2→弾倉はドラム式50連。弾倉底板を取り外し、ぺ式用の弾倉用ユニットをはめ込みます。オリジナルのデバイスの弾倉は、箱型で右斜め上に差し込む型式となってます。これは、ライフル用の弾倉をそのままにして、ライフルとディバイスを適宜使い分けるためです。ぺ式は下部に移しているので、オリジナルのような使い分けをやめて、自動小銃のみとして使うことを想定していたことが伺えます。
3→ぺ式は、三八式系列の小銃全てに使用可能ですが、残されている写真資料はほぼ四四式騎銃がベースとなっています。これは騎兵用として想定されていたためと考えられます。

ぺ式は試作後各種テストが行われ、おおむね良好な結果を示しました。特に連射は、銃が重く弾が弱いことから制御も容易で好評だったようです。しかし、弾丸の威力は自動小銃としては満足のいくものではなく、没となりました。

●妄想の経緯
ピダーゼンデバイスはとても好きなので、日本軍仕様を考えてみました。で、当時日本軍ではピダーゼンをどう呼称していたのか分からない。スペルはPedersenなんですが、今もピーダーゼン、ペーダーゼン、ぺダーセンなどなどいろいろな表記があります。困ったものです、、。で、ピ式よりはぺ式がいいかな?とそうとしましたが、どっちにしても腰が抜けるような呼称ですね(笑)あと、四四式に付けたのは好みです。騎兵用とか関係ない(笑)

ピダーゼンデバイスは第一次大戦中に開発されました。ライフルのボルトを外し、その代わりにデバイスを差し込むと自動小銃となります。第一次大戦が始まると、塹壕戦などこれまでとは違う戦闘が展開され、米軍内では火力の強い自動小銃の必要性を認識するようになりました。が、自動小銃を直ちに開発生産できるわけではありません。デバイスは、そのような状況を補完するものとして開発されました。1-2年で5万丁(!)も生産されたそうですが、、配備前に戦争が終わり、没となりました。

ピダーゼンデバイスを知った30年ほど前は、全然資料が無くて悶々としてました。そもそもどういう構造なのかもわからない、という。しかし、今は実射動画まで(!)見られます。動画を見ると、部品構成や構造とかがなんとなくながらも分かりますね。ほんと凄い世の中になったものです。

で、以前から、手持ちの四四式のモデルガンにマルゼンのスコーピオンを組み込んで、四四式自動小銃にしちゃろうとずっと前から構想してまして、そこからぺ式を発想したんです(笑)

しかし「四四式のストック削るのもったいないし、時間もないしなあ、、、」とずっと放置中。そもそも、レシーバーなどは完全にプラで作らないといけないので大変です。でも、これができたら面白いものになるんじゃないかと思うんですけどね。

ぺ式も頑張ったら、モデルガンで作れるかもですね。あー、時間と金があれば、、(笑)

●試製一型挺進銃
挺進連隊(空挺隊)専用の自動小銃です。太平洋戦争の緒戦、蘭印軍から鹵獲したジョンソンM1941を見た挺進連隊首脳部が「空挺作戦用に理想的な銃である」として国産化を要望、昭和18年前半に試作されました。

1→使用弾薬は三八式式実包で、弾倉も九六式のを流用してます。オリジナルのジョンソンの30-06弾に比べると、三八式実包は口径も反動も小さいため、非常に扱いやすい銃となったようです
2→銃剣はFG42のような、差し替え・スパイク式。ジョンソンはショートリコイルのため、ナイフ式のような大きな銃剣は装着することができません。
3→グリップ・トリガーガードなどは独自のアレンジをしていますが、機関部など内部構造はほぼジョンソンのままです。

使用弾薬を変更したことで、単発はもちろん連発射撃においても非常に安定した性能をみせ、高評価だったようです。しかし挺進連隊専用銃というのは非常に贅沢なことで当初から異論があった上、このころから徐々に戦局は悪化し、空挺作戦の実施自体が危ぶまれるようになってきたため、採用は見送られました。

しかし細かな事情は不明ながら、試作扱いで一定数(500丁程度と推定)が量産されたようです。戦況が悪化する中、空挺作戦に関係なく挺進連隊を精鋭部隊として強化させておきたいという、上層部の意思が働いたという説もあります。それは本土決戦を見越していた可能性もあるようです。実際、本土決戦では皇居の防衛戦に参加した挺進連隊が装備し、獅子奮迅の活躍を見せたと言われています。

●妄想の経緯
日本軍にもFG42が欲しいなあと思ってたら、ジョンソンがあったので「これだ!」と(笑)。ジョンソンはいろいろ考え抜かれた素敵な銃ですね。ライフル型と部品をいろいろ共有しているところとか、マガジンにリップがなかったり、なんかいいなあと思います。ジョンソンさんはアイデアマンで大した人だったようですがいまいち不遇でしたね、、。日野大尉同様、そういう人ってどの国にもいるんですよね、、。

で、当初はこういう風に描いてました。違いがわかりますか?
1→銃剣を四四式のタイプにしてました。ジョンソンがショートリコイル式だったことを知らなかったんですね(あー、恥ずかしい、、)。ツイッターでUPしたら、ある人が教えてくれました。それで一部描き直したわけです。

ジョンソンの資料(大昔のコンバットマガジンのレポート)は何度となく見てたんですけど、機構についてぼんやりとしか把握してなかったという。で、ショートリコイル式ながら、ライフル型にはスパイク式銃剣が着けられます。ある程度小さく軽い銃剣なら、大丈夫だったんですね。でもあんまりよくはないですよねえ、、。刺すたびに銃身がガチャガチャ動くでしょうし、刺して撃つことができません。不思議です。

あと、恥ずかしついでに書きますが、私これまでずーっと挺「身」連隊って書いてました。正しくは挺「進」連隊です。薄らぼんやり覚えてるとこういうことになりますねほんと、、。あー、恥ずかしい、、

●試製二型挺進銃
一型の開発直後、ドイツからFG42が届き、それを参考に開発されたのが二型です。

1→一型同様三八式実包仕様のため、これまた安定した性能で高評価だった。
弾倉も九六式軽機のものを流用。
2→二型は固定銃身のため、四四式タイプの折り畳み銃剣が付けられた。
3→機関部はFGとほぼ同じ。

一型に比べると構造がやや複雑で生産性が悪かったためか、試作数丁で終了したようです。ほぼ同じ性能の一型が先行して完成し、量産されていたという理由も大きかったと考えられています。

●妄想の経緯
というわけで、FG42ベースのも描いてみました。四四式の銃剣、やっぱ付けてみたかったんすよ(笑)。とはいえ、FG、ジョンソンともどもほんと凝った作りで、製造がメンドクサソウなので、日本が入手していたとしても、コピーする気にはならなかったんじゃないかと思います。作れなくはないんでしょうけど「あえて作る必要はないんじゃね?」って感じですかね。

しかし、ジョンソンともども三八式実包仕様ならフルオートでも全然問題ない、いい銃になったと思うんですけどね。FGのフルオートは制御が難しいそうです。ジョンソンはそれほどでもないとか。でも、ただ、やっぱり日本軍用としては贅沢スギですね(笑)

あと、ジョンソンとFGはとてもよく似てますね。アウトラインはもちろん、セミではクローズドボルト、フルでオープンボルトになるところとか。リアサイトもなんかメチャ似てるし、、。開発時期はジョンソンがちょっと早いんですが、タイミング的にFGが真似できたとも思えないんですよね。これもシンクロ二シティなんですかね、、。

●六式擲弾器
六式機関騎銃(「その2」で紹介)専用に開発された擲弾器です。口径37㍉の専用擲弾を使います。
1→機関部は、中折れ式で左側のロックレバーを押すと下側に開きます。
2→撃発はシングルアクションのストライカー式。機関部が下がると同時にコッキングされます。九七式信号拳銃と同様。弾倉をグリップ代わりに握り、トリガーを引きます。
3→着剣装置で砲身部を固定。後部は1→部のバンドで固定します。
4→擲弾用の照準器。ドイツのシースベッヒャーのそれを参考にしたようです。
5→擲弾は、榴弾とタ弾、信号弾があります。有効射程は約200メートル。
6→機関部は上部のカギが砲身の切欠き(→7)に入り、ロックされます。
8→機関部を下げると、エキストラクターが作動し、排莢。手馴れた射手は、ロックを押して機関部を振り下げ排莢・再装填し、振り上げるようにして発射状態にしていたそうです。

二式擲弾器などと比べると弾の威力はやや劣りますが、元込め式なので再装填も容易で、銃の射撃も並行して行えるなどの長所があります。さらに安定した射撃姿勢と照準器のおかげで、熟練者ならピンポイントに近い射撃が可能だったとか。

迅速な行動が必要な、機関騎銃を装備する部隊(挺進連隊など)には最適だったようで、野戦・市街戦を問わず効果的に活用されたようです。機関騎銃分隊の火力は、当時の歩兵分隊として恐らく世界一強力だったはずで、さすがの米軍歩兵部隊も、機関騎銃分隊に出会うことをかなり恐れていたそうです

●妄想の経緯
ま、要するにM203ですね(笑)機構までM203を真似するのも嫌なので、あれこれ考えましたが、なかなか難しいですね。で、この中折れ式程度のロックで擲弾の反動・圧力に耐えられるのかどうかは、、、知りません(笑)

あと、好きな小説の「五分後の世界」で日本兵(小説内ではアンダーグラウンド兵士と呼ぶ)がオートマチックのグレネード銃を使ってて「擲弾銃いいなあ」と思ってたんですね。で、まず擲弾器から、と(笑)

六式はあれこれ派生型を描きましたが、ちょっとそろそろSFチックになってきつつある感じなので、この辺で止めといた方がいいかも、という気もしますね(笑)

というわけで今回はお終いです。いや、またまた長かったですね。すいません。

で、この「なんちゃって日本軍銃器シリーズ」ですが、まだ続くかもです。すでにいくつか妄想中のがありますし。なのでまたそのうち第4回をやるかもです。それにしても、なんでこんなに必死に描いてるんでしょうね私、、。わけわからんです。でも楽しいな、、。

それでは。



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