
今日はイリューシンの特撮写真の紹介と、このマーキングの実機について少し書きます。

特撮、とはいっても特別なことはしていません。家の隣が草原の空き地で、自宅の二階から空き地を背景にして撮影、支えの棒をフォトショップで消しただけです。でも、太陽光で撮影するとなかなかそれっぽくなりますね。

背景はほんとに雑草なんですけど、なんか森林地帯みたいにみえますね。

空中に浮かんでる姿は、ほんとシュッとして綺麗です。

しかし、この空き地、残念ながら先日整地されてしまい、草が一切なくなってしまいました。絶好の撮影場所だったので残念ですが、自分の土地じゃないので仕方ないですね、、、。
さて、このキットの箱絵はほんと素晴らしいです。今はちょっと箱のデザインが変わりましたが、私は昔の箱の方が好きですね。あまりにかっこよすぎて、イリューシンといえばこの中国空軍の機体だと刷り込まれてしまいました(笑)

ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、このマーキングは1965年に中国から台湾に亡命した機体のものです。その経緯はこの本で知りました。

タイトルどおり、古今東西、故国を捨てて亡命したパイロットたちの話がまとめられています。この本によりますと、亡命時、この機体の乗員3名のうち後部銃座の通信士は死亡しています。亡命に反対したため射殺されたとのこと。ウィキでは、迎撃機の銃撃で死亡となっています。前回書きましたが、前部と後部は飛行中行き来できないように思いますので、そのほうが説得力がありますね。でも、ほんとのところはどうだったんでしょう、、、。
操縦士と航法士は亡命を認められ、中華民国空軍に迎えられます。操縦士は空軍大佐にまで出世し、退役するのですが、中国に残した母親や親族が忘れられず、1991年、カナダ経由で帰国したところ逮捕されてしまいます。裁判にかけられ、懲役15年の判決を言い渡され投獄されたそうです。今も生きているなら70代後半なのですが、どうされてるんでしょうね、、、。航法士は1977年に中華民国空軍を退役してアメリカに移住したとのことです。
当時はベトナム戦争たけなわで、中台の政治・軍事的緊張はかなりのものだったはず。彼らの亡命の理由については書かれていないのですが、台湾側は中国の爆撃機が飛来したとなると全力の迎撃体制に入ったでしょうから、決死の覚悟の亡命行だったことは間違いないでしょう。箱絵でおなじみとなってるこの機体にこんなエピソードがあったんですねえ、、、。この機体は台湾で展示されているそうなので、いつか機会があればぜひ見てみたいものです。
この本に書かれた多くの亡命の事例は冷戦時代のものです。政治経済などあらゆる物事がグローバルな感じになってしまった今、「亡命」という言葉に郷愁すら覚えてしまいますね。私は幼少のころ、冷戦時代の末期を過ごした世代なのですが、当時は「第三次世界大戦」という言葉が、ありえないとは思いながらも、それなりにリアリティを持つ時代でした。今となっては笑い話みたいですが、当時のあのなんともいえない緊張感はちょっと忘れられません。なので、このイリューシンには、機体そのものとこの亡命のエピソードと合わせて、どこかとてもひきつけられるものがあります。その辺に付随してつらつらと考えると、タルコフスキーの「サクリファイス」などは、あの時代をちょっとでも体感した世代でないといまいち理解できないのかもなあ、と思います。「冷戦も、昭和とともに遠くなり」という感じでしょうか(笑)。
というわけで、特撮写真を最後にあと二枚だけ。せっかくなので(笑)

こうしてみると、キャノピーがちょっとキラッとするのがリアリティを増すポイントのような気がしますね。

うーん、特撮はやっぱり楽しいです。またそのうち撮影にぴったりの原っぱとか探してみようかな、と思ってます。

特撮、とはいっても特別なことはしていません。家の隣が草原の空き地で、自宅の二階から空き地を背景にして撮影、支えの棒をフォトショップで消しただけです。でも、太陽光で撮影するとなかなかそれっぽくなりますね。

背景はほんとに雑草なんですけど、なんか森林地帯みたいにみえますね。

空中に浮かんでる姿は、ほんとシュッとして綺麗です。

しかし、この空き地、残念ながら先日整地されてしまい、草が一切なくなってしまいました。絶好の撮影場所だったので残念ですが、自分の土地じゃないので仕方ないですね、、、。
さて、このキットの箱絵はほんと素晴らしいです。今はちょっと箱のデザインが変わりましたが、私は昔の箱の方が好きですね。あまりにかっこよすぎて、イリューシンといえばこの中国空軍の機体だと刷り込まれてしまいました(笑)

ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、このマーキングは1965年に中国から台湾に亡命した機体のものです。その経緯はこの本で知りました。

タイトルどおり、古今東西、故国を捨てて亡命したパイロットたちの話がまとめられています。この本によりますと、亡命時、この機体の乗員3名のうち後部銃座の通信士は死亡しています。亡命に反対したため射殺されたとのこと。ウィキでは、迎撃機の銃撃で死亡となっています。前回書きましたが、前部と後部は飛行中行き来できないように思いますので、そのほうが説得力がありますね。でも、ほんとのところはどうだったんでしょう、、、。
操縦士と航法士は亡命を認められ、中華民国空軍に迎えられます。操縦士は空軍大佐にまで出世し、退役するのですが、中国に残した母親や親族が忘れられず、1991年、カナダ経由で帰国したところ逮捕されてしまいます。裁判にかけられ、懲役15年の判決を言い渡され投獄されたそうです。今も生きているなら70代後半なのですが、どうされてるんでしょうね、、、。航法士は1977年に中華民国空軍を退役してアメリカに移住したとのことです。
当時はベトナム戦争たけなわで、中台の政治・軍事的緊張はかなりのものだったはず。彼らの亡命の理由については書かれていないのですが、台湾側は中国の爆撃機が飛来したとなると全力の迎撃体制に入ったでしょうから、決死の覚悟の亡命行だったことは間違いないでしょう。箱絵でおなじみとなってるこの機体にこんなエピソードがあったんですねえ、、、。この機体は台湾で展示されているそうなので、いつか機会があればぜひ見てみたいものです。
この本に書かれた多くの亡命の事例は冷戦時代のものです。政治経済などあらゆる物事がグローバルな感じになってしまった今、「亡命」という言葉に郷愁すら覚えてしまいますね。私は幼少のころ、冷戦時代の末期を過ごした世代なのですが、当時は「第三次世界大戦」という言葉が、ありえないとは思いながらも、それなりにリアリティを持つ時代でした。今となっては笑い話みたいですが、当時のあのなんともいえない緊張感はちょっと忘れられません。なので、このイリューシンには、機体そのものとこの亡命のエピソードと合わせて、どこかとてもひきつけられるものがあります。その辺に付随してつらつらと考えると、タルコフスキーの「サクリファイス」などは、あの時代をちょっとでも体感した世代でないといまいち理解できないのかもなあ、と思います。「冷戦も、昭和とともに遠くなり」という感じでしょうか(笑)。
というわけで、特撮写真を最後にあと二枚だけ。せっかくなので(笑)

こうしてみると、キャノピーがちょっとキラッとするのがリアリティを増すポイントのような気がしますね。

うーん、特撮はやっぱり楽しいです。またそのうち撮影にぴったりの原っぱとか探してみようかな、と思ってます。