先日、手持ちのライカを修理しました。修理、といっても機関部を直すとかのおおごとじゃなくて、ちょっとした修復であります。
直したのはこれ。ライカⅢcというタイプです。いわゆるバルナックライカというやつです。ライカ、というと非常に高価なイメージがありますね。「ちぇっ!こいつ金持自慢かよ!」と思った方もおられるかもですが、ちょちょちょ、ちょっと待って下せえ!あっしの話を聞いておくんなせえ!(なんだそのキャラ)
ライカにはざっくり分けると「バルナック」と「M型」という2種類があって、高価なのはM型の方なんですね。バルナックというのはライツ社の最初のカメラのスタイルで、戦前期は全てこのタイプでした。バルナックというのは開発者の名前です。M型は戦後に開発・発売されたタイプです。同じライカでも、この二つは全然別のモノです。私がこれを買ったのは20年ほど前で、当時M型は基本的に数十万円くらいからという、恐ろしいカメラだったのですが、バルナックは本体なら一桁万円台で買えました。レンズ込みで十数万円も出したら全く問題ない状態のものが買えたような。それでも高い、といえば高いのですが、当時きちんとしたカメラはライカに限らずそれくらいの値段のものは普通にありましたので、バルナックライカが突出して高価だった、というわけでもなかったです。
で、この辺の記述がなぜ過去形かというと、デジカメどころかスマホが世界を席捲した今、銀鉛カメラの相場がどうなってるのかいまいちよくわからないからです。調べてもいいんですけど、メンドクサイし特に知りたくもないので(コラ)その辺ははしょります。
なんでこのⅢcを買ったかと言いますと、実用としての小さいカメラが欲しかったんですね。銀鉛の一眼レフはとにかく大きくて重くて、旅行とかに持っていくにはちょっと嫌な荷物でした。コンパクトカメラでもよかったんですけど、撮ってても一眼レフのような面白さがない。なんというか、写真を撮っているという手応えがない(勝手だなあ、、)。じゃあ、その中間にあるようなカメラはなかろうか、と思ってたどり着いたのがバルナックライカだったわけです。値段も、先に書いたように買えなくはない価格帯です。しかも、私はミリタリーマニアなので(笑)、必然的チョイスだったわけです。
といいますのも、第二次大戦でドイツ軍はバルナックライカを多用してたんですね。特に、このⅢcはドイツ軍用御用達、といってもいいタイプだったのです。有名なところとしては、空軍用の「ルフトヴァッフェライカ」がありますね。これは後ろ面に「Lftwaffen Eigentum(空軍所有)」と大きく刻印が入っていて実にカッチョイイです。あとはワシのマークが入った海軍の「マリーンライカ」などがあります。
Ⅲcは、戦前から戦後に生産されたタイプです。戦前・戦中と戦後のタイプには違いがあって、戦前・戦中タイプにはフィルム巻き戻しレバーの基部に段(赤い矢印)が付いてます。これは俗に「段つきⅢc」と呼ばれてます。
「ルフトヴァッフェライカ」とかは、コレクターアイテムでメチャクチャ高価な上にフェイクもあるそうで、ちょっと素人には手が出せない。でも「段付き」なら普通の相場で手に入る状況でした。ならば、この「段付き」のいいやつを手に入れねばなるまい!!と東京に向かったわけです。
なぜ東京か、といいますと当時は銀座界隈にクラシックカメラの店がたくさんあったからです(今はどうなんだろ、、、)。基本的にど素人なので、通販じゃなくてやっぱりお店に足を運んで現物を見てからでないとダメだろうなあ、と。ちょうど東京に行く用事があったこともあり、専門誌などで事前にお店を入念にチェックしてから鼻息荒く銀座に乗り込んだわけです。
あるライカ専門店に、このⅢcがありました。状態も値段も手ごろで願ったりかなったりでした。店頭でこれを見たあとに、他の店も何軒も回って、逡巡した末に購入。確か、レンズ込みで13万円くらいでした。お店の前で結構長い時間悩んだ記憶があります(笑)。
後日シリアルを確認すると(ライカはシリアルで製造年を知ることができる)、1936年ごろの生産品でした。お店の整備がよかったせいか、その後故障も全くなく、普通に使うことができました。今も、機関部については問題ないです。80年前の製品が普通に使える、というのはほんと凄いですね。
じゃあ、今回どこを修理したのかというとボディーの黒い皮の部分なんですね。さっき調べたら、これ「グッタペルカ」というそうです(またつまらぬドイツ語を覚えてしまった、、、)。要するに、革っぽくした樹脂的な素材なんだとか。これは経年変化でパリパリと割れてしまうようで、私のも買ったときは大丈夫だったのですが、購入後じわじわと剥がれてるうちに、ついにはこんな感じになっちゃったのでした。イヤン、ハヅカチー!って感じですね。
ちょっとづつ剥がれてきたので、そのたびに無くさないよう破片を保存はしてたんですけど、修復することもなく今に至っていたわけです。ケースに入れたら完全に隠れて見えなくなりますからね。で、前回のエントリーで自転車の修理のことを書いてて「あ、そういやライカもほったらかしだったなあ」と思って、これも直そうと思った次第です。
というわけで、やっと本題に入れました(笑)修理、とはいえまあ簡単・簡易なものです。
まず、ジグゾーパズルの要領で破片を本体に貼り付けていきます。こういうの、なんか楽しいですね。
破片をきちんと保存していたおかげで、ほとんどの面積を埋めることはできました。でも取りこぼしはあって、各所に隙間ができています。
ここを埋めるために、いつもお世話になってるタミヤのエポパテ(速硬化型)の登場です。パテにはタミヤアクリルのフラットブラックを練りこんで、事前に黒く着色します。こうすると後の着色の手間が省けます。以前、1/12のフィギュアをスクラッチした際に、髪の毛の造型でこうしました。指がめっちゃ汚れますけど(笑)、後の手間を考えるとこの場合はこれが一番効率がいいようです。
硬化後の強度については、特に変わらないのか、ちょっと強度が落ちるのとかはよくわかりません。まあでも、他の何かにも使えそうな気がするのですが、じゃあどういう風に使えるのか?と聞かれてもよくわかりません(笑)
硬化前に、他の部位と出来るだけ似せるように楊枝の先でツンツンと造型してやります。
硬化後、はみ出たところを整形したのがこれ。
作業時、ちょっとビールを飲みすぎてたこともあって荒いといえば荒いんですが(もうほんといい加減にしろよ、、、)、こうやって引いて見るとまあわからんかな?くらいにはできたと思います。
うん、とりあえず直ってよかったです。OKっす!修理は完了しましたが、ライカについてはまだまだ書きたいことはあります。余談なんですけど、よろしければお付き合い下さい(笑)
ライカはちまちまとした付属品があって、後からいろいろ買い足すのが楽しかったです。上に乗ってるのがビドムといって、レンズにあわせてファインダーの枠の大きさを変えるためのもの。付いているレンズは135ミリ。革ケースは古いけど戦前のものかどうかはよくわかりません。けどいい雰囲気です。PK隊員の気分っすね(笑)
とはいえ、このケースは前のカバーがブラブラして使いにくいので、普段は本体と同じ店で買った日本製の黒革のを使ってました。レンズは、最初は50ミリ、後日35ミリを買いました。35ミリが好みに合ったので、以後はずっと35でした。135ミリは買ったけどほとんど使わなかったですね。でもカッコいいからOK!という(笑)
バルナックはピントから何から全て手動の、完全アナログカメラです。露出計がないので、山勘です。ストロボもありません。でも、撮った写真がダメだったということは一度もありませんでした。これは私の腕がいいんじゃなくて、カメラ自体の性能がいい、ということですね(当たり前だ)。フィルムは1600を使ってました。1600だと、シャッタースピードを60にすれば(露出は当然開放)、夜の屋内の照明でも普通に写るからです。「ここはこんなものかな?」とつまみをグリグリ回すのも楽しいです。あと、シャッターの音もよいです。「パシャッ!」っていうんじゃなくて「チャッ!」っていう、実に鋭くてカッチョいい音なんですね。これも撮ってて気持ちよかった。
それにしても、この金属感・存在感はたまらんですねえ、、、。工業製品ではありますが、どの部品も最終工程では人の手作業が入っているはずです。頭がクラクラするくらいの手間暇がかけられている、ということは素人の私でもよくわかります。なんというか「本物!!」という感じがします
買うときは悩みましたけど、ほんとに買ってよかった!と思いましたね。まさに「手に馴染む」といった感じで、ちょっとしたところに出かけるときはこれを必ず持って行ってました。とはいえ、デジカメと違って写真一枚のコストが高いので、そんなにガンガン撮ることは出来ませんでしたけど。今と比較すると、写真24枚の現像・プリント代が1500ー2000円くらい(でしたっけ?もう覚えてない、、、)したのって、凄いコストですね。
ライカは知名度もあり、キャラクター性が強いせいか、カメラの中では漫画の題材としてよく登場している気がします。私の好きなライカ漫画はこんな感じ。
「ライカの帰還」(吉原昌宏)はほんと好きですね。主人公を朝日新聞のカメラマン・船山克氏をモデルにした作品です。船山氏は太平洋戦争時、海軍将校としてレイテ沖海戦に参加し、乗艦の瑞鳳が沈没。しかし氏は生還します。その際、持っていたライカ(当然これも船山氏と共に海を泳いだ)が話の支柱となるわけです。お話自体は、戦後の揺籃期の、氏の報道カメラマンとしての活躍を描いたものです。この頃の報道カメラマンの仕事は実に刺激的かつ魅力的だったんだなあ、ということがとてもよく伝わってきます。この作品に限らず、吉原氏の作画はとても緻密で、特にディテールの追及は半端ないですね。その作画が、この作品のリアリティを支える大きな要素となってるのもいいです。瑞鳳の沈没するところとか、ほんと迫力があります。
「ニナライカ」(作・川崎ぶら 画・秋重学)もいいです。名カメラマンの祖父から受け継いだライカを使う女子高生が主役の漫画。こちらはアート・商業としての写真の世界を描いたものです。この漫画が描かれた1995年ごろは「写真を撮るのはオシャレ」「アートはオシャレ」みたいな風潮(今はどうなんだろ?)があって、そんな空気感が伝わってきてなんか懐かしいなあ、という(笑)。でも、根底には「表現とはなんなのか?」というマジメなテーマがあるいい漫画です。主人公のニナは一見、フワッとサラッとオシャレに写真を撮ってるように見えるんですけど、実は「自分のイメージをどう写真に焼き付けるか」ということを真剣に考え続けてて、あれこれ工夫する、というのが素敵です。余談ですが、何かの雑誌で、川崎氏か秋重氏のものかは忘れたのですが、この漫画を製作する際に資料として買ったライカ(Ⅲfだったと思う)が紹介されてました。その個体は、グッタペルカが全部ベローんと剥がれちゃってました。やっぱそうなっちゃうみたいですね。
「栄光なき天才たち 16」(森田信吾)は、写真家の名取洋之助氏の生涯を描いたもの。名取氏は困窮していたドイツ在住時に、バルナックライカを偶然兄から手に入れ写真家なります。この辺は事実かどうかはわかりませんが、読んだ時にとても印象に残ってました。確か最初に読んだのは高校生のころで、当時はカメラには興味もなくて、まさかバルナックを自分が買うとは思ってもなかったです。そう考えると不思議です。余談ですが(余談ばっかだな、、)、名取氏に協力する日本人の報道カメラマンが、上海で国民党便衣隊に撃たれる印象的な下りがあります。このカメラマンは義烈空挺隊の出撃の様子を撮影した小柳次一氏です。高校生のときは当然、小柳氏のことは全然知らないので、撃たれたカメラマンの名前は完全に忘れていました。しかし数年前、小柳氏の写真展に行った際、年譜で「名取洋之助の日本工房のカメラマンとなる」「上海で重症を負う」とあるのを見て、「あっ!あの漫画のあの人だったのか!!」とびっくりしました。こういうのって、どこかでいろいろつながっているんだなあ、と、、、。
おっと、つい漫画の話が長くなってしまいました。すいません。でも、もうそろそろお終いです(笑)
実際のところ、このライカで写真を最後に撮ってから5年以上は経ってます。たまには撮らないとなあ、と思いつつも撮れてないのが実情です。また撮りに行きたいなあと思ってます、、、っていいつつ、撮らないんですよねえ、、。あかんです。
それにしても、この20年でのカメラの変化というのはもの凄いものがありましたね。銀鉛をデジカメが駆逐したと思ったら、デジカメ自体が携帯に食われ、その携帯もスマホに取って代わってしまった、という、、、。
でも、今回久しぶりにこのライカをいじってたら、「ライカはとにかくライカなのだ!」と思いました。ライカは世の中の変化とかはどこ吹く風で、ドーン!とただただそこに「在る」んですよね。私の家の中はニセモノとかコワレモノとかガラクタとかそういうのばっかなんですけど(笑)、先に書いたように、このライカだけは正真正銘の「本物」です。ひとつだけとはいえ、物差しとしての「本物」を持っている、という意義は、私にとってかなり大きいんじゃないかなあと。そういう意味でも、今は使ってなくても買ってよかったなあと思ってます。
うーん、何がいいたいのかよくわかんなくなってきました(笑)。要するに「昔の機械はヨイ」「アナログ万歳!」「また東京に行きたいなあ」って感じですかね(笑)。
というわけでまた。
直したのはこれ。ライカⅢcというタイプです。いわゆるバルナックライカというやつです。ライカ、というと非常に高価なイメージがありますね。「ちぇっ!こいつ金持自慢かよ!」と思った方もおられるかもですが、ちょちょちょ、ちょっと待って下せえ!あっしの話を聞いておくんなせえ!(なんだそのキャラ)
ライカにはざっくり分けると「バルナック」と「M型」という2種類があって、高価なのはM型の方なんですね。バルナックというのはライツ社の最初のカメラのスタイルで、戦前期は全てこのタイプでした。バルナックというのは開発者の名前です。M型は戦後に開発・発売されたタイプです。同じライカでも、この二つは全然別のモノです。私がこれを買ったのは20年ほど前で、当時M型は基本的に数十万円くらいからという、恐ろしいカメラだったのですが、バルナックは本体なら一桁万円台で買えました。レンズ込みで十数万円も出したら全く問題ない状態のものが買えたような。それでも高い、といえば高いのですが、当時きちんとしたカメラはライカに限らずそれくらいの値段のものは普通にありましたので、バルナックライカが突出して高価だった、というわけでもなかったです。
で、この辺の記述がなぜ過去形かというと、デジカメどころかスマホが世界を席捲した今、銀鉛カメラの相場がどうなってるのかいまいちよくわからないからです。調べてもいいんですけど、メンドクサイし特に知りたくもないので(コラ)その辺ははしょります。
なんでこのⅢcを買ったかと言いますと、実用としての小さいカメラが欲しかったんですね。銀鉛の一眼レフはとにかく大きくて重くて、旅行とかに持っていくにはちょっと嫌な荷物でした。コンパクトカメラでもよかったんですけど、撮ってても一眼レフのような面白さがない。なんというか、写真を撮っているという手応えがない(勝手だなあ、、)。じゃあ、その中間にあるようなカメラはなかろうか、と思ってたどり着いたのがバルナックライカだったわけです。値段も、先に書いたように買えなくはない価格帯です。しかも、私はミリタリーマニアなので(笑)、必然的チョイスだったわけです。
といいますのも、第二次大戦でドイツ軍はバルナックライカを多用してたんですね。特に、このⅢcはドイツ軍用御用達、といってもいいタイプだったのです。有名なところとしては、空軍用の「ルフトヴァッフェライカ」がありますね。これは後ろ面に「Lftwaffen Eigentum(空軍所有)」と大きく刻印が入っていて実にカッチョイイです。あとはワシのマークが入った海軍の「マリーンライカ」などがあります。
Ⅲcは、戦前から戦後に生産されたタイプです。戦前・戦中と戦後のタイプには違いがあって、戦前・戦中タイプにはフィルム巻き戻しレバーの基部に段(赤い矢印)が付いてます。これは俗に「段つきⅢc」と呼ばれてます。
「ルフトヴァッフェライカ」とかは、コレクターアイテムでメチャクチャ高価な上にフェイクもあるそうで、ちょっと素人には手が出せない。でも「段付き」なら普通の相場で手に入る状況でした。ならば、この「段付き」のいいやつを手に入れねばなるまい!!と東京に向かったわけです。
なぜ東京か、といいますと当時は銀座界隈にクラシックカメラの店がたくさんあったからです(今はどうなんだろ、、、)。基本的にど素人なので、通販じゃなくてやっぱりお店に足を運んで現物を見てからでないとダメだろうなあ、と。ちょうど東京に行く用事があったこともあり、専門誌などで事前にお店を入念にチェックしてから鼻息荒く銀座に乗り込んだわけです。
あるライカ専門店に、このⅢcがありました。状態も値段も手ごろで願ったりかなったりでした。店頭でこれを見たあとに、他の店も何軒も回って、逡巡した末に購入。確か、レンズ込みで13万円くらいでした。お店の前で結構長い時間悩んだ記憶があります(笑)。
後日シリアルを確認すると(ライカはシリアルで製造年を知ることができる)、1936年ごろの生産品でした。お店の整備がよかったせいか、その後故障も全くなく、普通に使うことができました。今も、機関部については問題ないです。80年前の製品が普通に使える、というのはほんと凄いですね。
じゃあ、今回どこを修理したのかというとボディーの黒い皮の部分なんですね。さっき調べたら、これ「グッタペルカ」というそうです(またつまらぬドイツ語を覚えてしまった、、、)。要するに、革っぽくした樹脂的な素材なんだとか。これは経年変化でパリパリと割れてしまうようで、私のも買ったときは大丈夫だったのですが、購入後じわじわと剥がれてるうちに、ついにはこんな感じになっちゃったのでした。イヤン、ハヅカチー!って感じですね。
ちょっとづつ剥がれてきたので、そのたびに無くさないよう破片を保存はしてたんですけど、修復することもなく今に至っていたわけです。ケースに入れたら完全に隠れて見えなくなりますからね。で、前回のエントリーで自転車の修理のことを書いてて「あ、そういやライカもほったらかしだったなあ」と思って、これも直そうと思った次第です。
というわけで、やっと本題に入れました(笑)修理、とはいえまあ簡単・簡易なものです。
まず、ジグゾーパズルの要領で破片を本体に貼り付けていきます。こういうの、なんか楽しいですね。
破片をきちんと保存していたおかげで、ほとんどの面積を埋めることはできました。でも取りこぼしはあって、各所に隙間ができています。
ここを埋めるために、いつもお世話になってるタミヤのエポパテ(速硬化型)の登場です。パテにはタミヤアクリルのフラットブラックを練りこんで、事前に黒く着色します。こうすると後の着色の手間が省けます。以前、1/12のフィギュアをスクラッチした際に、髪の毛の造型でこうしました。指がめっちゃ汚れますけど(笑)、後の手間を考えるとこの場合はこれが一番効率がいいようです。
硬化後の強度については、特に変わらないのか、ちょっと強度が落ちるのとかはよくわかりません。まあでも、他の何かにも使えそうな気がするのですが、じゃあどういう風に使えるのか?と聞かれてもよくわかりません(笑)
硬化前に、他の部位と出来るだけ似せるように楊枝の先でツンツンと造型してやります。
硬化後、はみ出たところを整形したのがこれ。
作業時、ちょっとビールを飲みすぎてたこともあって荒いといえば荒いんですが(もうほんといい加減にしろよ、、、)、こうやって引いて見るとまあわからんかな?くらいにはできたと思います。
うん、とりあえず直ってよかったです。OKっす!修理は完了しましたが、ライカについてはまだまだ書きたいことはあります。余談なんですけど、よろしければお付き合い下さい(笑)
ライカはちまちまとした付属品があって、後からいろいろ買い足すのが楽しかったです。上に乗ってるのがビドムといって、レンズにあわせてファインダーの枠の大きさを変えるためのもの。付いているレンズは135ミリ。革ケースは古いけど戦前のものかどうかはよくわかりません。けどいい雰囲気です。PK隊員の気分っすね(笑)
とはいえ、このケースは前のカバーがブラブラして使いにくいので、普段は本体と同じ店で買った日本製の黒革のを使ってました。レンズは、最初は50ミリ、後日35ミリを買いました。35ミリが好みに合ったので、以後はずっと35でした。135ミリは買ったけどほとんど使わなかったですね。でもカッコいいからOK!という(笑)
バルナックはピントから何から全て手動の、完全アナログカメラです。露出計がないので、山勘です。ストロボもありません。でも、撮った写真がダメだったということは一度もありませんでした。これは私の腕がいいんじゃなくて、カメラ自体の性能がいい、ということですね(当たり前だ)。フィルムは1600を使ってました。1600だと、シャッタースピードを60にすれば(露出は当然開放)、夜の屋内の照明でも普通に写るからです。「ここはこんなものかな?」とつまみをグリグリ回すのも楽しいです。あと、シャッターの音もよいです。「パシャッ!」っていうんじゃなくて「チャッ!」っていう、実に鋭くてカッチョいい音なんですね。これも撮ってて気持ちよかった。
それにしても、この金属感・存在感はたまらんですねえ、、、。工業製品ではありますが、どの部品も最終工程では人の手作業が入っているはずです。頭がクラクラするくらいの手間暇がかけられている、ということは素人の私でもよくわかります。なんというか「本物!!」という感じがします
買うときは悩みましたけど、ほんとに買ってよかった!と思いましたね。まさに「手に馴染む」といった感じで、ちょっとしたところに出かけるときはこれを必ず持って行ってました。とはいえ、デジカメと違って写真一枚のコストが高いので、そんなにガンガン撮ることは出来ませんでしたけど。今と比較すると、写真24枚の現像・プリント代が1500ー2000円くらい(でしたっけ?もう覚えてない、、、)したのって、凄いコストですね。
ライカは知名度もあり、キャラクター性が強いせいか、カメラの中では漫画の題材としてよく登場している気がします。私の好きなライカ漫画はこんな感じ。
「ライカの帰還」(吉原昌宏)はほんと好きですね。主人公を朝日新聞のカメラマン・船山克氏をモデルにした作品です。船山氏は太平洋戦争時、海軍将校としてレイテ沖海戦に参加し、乗艦の瑞鳳が沈没。しかし氏は生還します。その際、持っていたライカ(当然これも船山氏と共に海を泳いだ)が話の支柱となるわけです。お話自体は、戦後の揺籃期の、氏の報道カメラマンとしての活躍を描いたものです。この頃の報道カメラマンの仕事は実に刺激的かつ魅力的だったんだなあ、ということがとてもよく伝わってきます。この作品に限らず、吉原氏の作画はとても緻密で、特にディテールの追及は半端ないですね。その作画が、この作品のリアリティを支える大きな要素となってるのもいいです。瑞鳳の沈没するところとか、ほんと迫力があります。
「ニナライカ」(作・川崎ぶら 画・秋重学)もいいです。名カメラマンの祖父から受け継いだライカを使う女子高生が主役の漫画。こちらはアート・商業としての写真の世界を描いたものです。この漫画が描かれた1995年ごろは「写真を撮るのはオシャレ」「アートはオシャレ」みたいな風潮(今はどうなんだろ?)があって、そんな空気感が伝わってきてなんか懐かしいなあ、という(笑)。でも、根底には「表現とはなんなのか?」というマジメなテーマがあるいい漫画です。主人公のニナは一見、フワッとサラッとオシャレに写真を撮ってるように見えるんですけど、実は「自分のイメージをどう写真に焼き付けるか」ということを真剣に考え続けてて、あれこれ工夫する、というのが素敵です。余談ですが、何かの雑誌で、川崎氏か秋重氏のものかは忘れたのですが、この漫画を製作する際に資料として買ったライカ(Ⅲfだったと思う)が紹介されてました。その個体は、グッタペルカが全部ベローんと剥がれちゃってました。やっぱそうなっちゃうみたいですね。
「栄光なき天才たち 16」(森田信吾)は、写真家の名取洋之助氏の生涯を描いたもの。名取氏は困窮していたドイツ在住時に、バルナックライカを偶然兄から手に入れ写真家なります。この辺は事実かどうかはわかりませんが、読んだ時にとても印象に残ってました。確か最初に読んだのは高校生のころで、当時はカメラには興味もなくて、まさかバルナックを自分が買うとは思ってもなかったです。そう考えると不思議です。余談ですが(余談ばっかだな、、)、名取氏に協力する日本人の報道カメラマンが、上海で国民党便衣隊に撃たれる印象的な下りがあります。このカメラマンは義烈空挺隊の出撃の様子を撮影した小柳次一氏です。高校生のときは当然、小柳氏のことは全然知らないので、撃たれたカメラマンの名前は完全に忘れていました。しかし数年前、小柳氏の写真展に行った際、年譜で「名取洋之助の日本工房のカメラマンとなる」「上海で重症を負う」とあるのを見て、「あっ!あの漫画のあの人だったのか!!」とびっくりしました。こういうのって、どこかでいろいろつながっているんだなあ、と、、、。
おっと、つい漫画の話が長くなってしまいました。すいません。でも、もうそろそろお終いです(笑)
実際のところ、このライカで写真を最後に撮ってから5年以上は経ってます。たまには撮らないとなあ、と思いつつも撮れてないのが実情です。また撮りに行きたいなあと思ってます、、、っていいつつ、撮らないんですよねえ、、。あかんです。
それにしても、この20年でのカメラの変化というのはもの凄いものがありましたね。銀鉛をデジカメが駆逐したと思ったら、デジカメ自体が携帯に食われ、その携帯もスマホに取って代わってしまった、という、、、。
でも、今回久しぶりにこのライカをいじってたら、「ライカはとにかくライカなのだ!」と思いました。ライカは世の中の変化とかはどこ吹く風で、ドーン!とただただそこに「在る」んですよね。私の家の中はニセモノとかコワレモノとかガラクタとかそういうのばっかなんですけど(笑)、先に書いたように、このライカだけは正真正銘の「本物」です。ひとつだけとはいえ、物差しとしての「本物」を持っている、という意義は、私にとってかなり大きいんじゃないかなあと。そういう意味でも、今は使ってなくても買ってよかったなあと思ってます。
うーん、何がいいたいのかよくわかんなくなってきました(笑)。要するに「昔の機械はヨイ」「アナログ万歳!」「また東京に行きたいなあ」って感じですかね(笑)。
というわけでまた。