今日は上野に「顔真卿(がんしんけい)」を観に
行きました。
顔真卿が書いた「祭姪文稿(さいめい)」が
展示されているので、海外からもこの書を
観ようと来ている人が大勢いました。
中国語があちこちから聞こえて来て、私は日本で
観られる贅沢を感じました。
1年間勉強してきた「建中帖」もあり、本物を観て
ビックリしました。
あまりに静かな字だったので…
臨書していた時は、溢れるエネルギー飛び出して
来そうな、そんな字だと思っていたのに、
落ち着くべきところに、ちゃんと落ち着いていて
深い静けさを湛えている字だったのです。
本物の凄さを、あらためて知りました!
私は一年間、何を見て書いていたのだろうと
驚いてしまいました。
こういう字だという思い込みが、どこかにあり
その目でみていたからなのでしょうね。
ふと、これって人にも言えないだろうかと
思ってしまいました。
あの人は、こういう人だからと、決めつけて
見てはいないかと…
そういう目で見ると、そのように見えて
しまうのです。
初女さんは、いつでも真っ白な気持ちで
向き合って下さいました。
過去も見ず、その人の今を見ると言われて
いました。
このことが、どんなに大切な事であるかを
唐の時代の書から感じました。
『その人の今を見ようと
いつも思っています。
佐藤 初女』