昨夜、弘前から帰って来ました。
初女先生の地域は、荼毘に付した後で、お通夜と
葬儀を行うというので、一目お会い出来たらと飛んで
行きました。
お会いした初女先生は、余りにも美しく、
亡くなった方には思えず、私たちは息を呑み
驚きのあまり最初、涙も出ませんでした。
行く前は、人が沢山いるだろうから、会えないかも
知れないと思って行ったのに、何か用意されていた
時間のように、初女先生と私たち4人だけの時間が
与えられたのです。
奇跡と思える時間とそこで起こったことが
全て初女先生からのギフトのように思えました。
まだ言葉にすることは出来ないし、言葉にすべき
ものではないかもしれません…
翌日の出棺の時、突然大きな雪が舞ったのです。
そして、初女先生を乗せた車が見えなくなると
雪は止んでいました。
あ~初女先生の雪だったんだと、思いました。
悲しいけれど、淋しいけれど先生から頂いた
ギフトがあれば、大丈夫と思えました。
また新しい一歩の始まりです。
「直さんは大丈夫ですか?」というメールやお手紙を
頂きました。
皆さんが、悲しみの中で私のことを心に掛けて
下さっている、そのことに支えられています。
本当に有難うございます。
大丈夫だと思います。
目を閉じれば、神々しい初女先生のお顔を
心に浮かびます。
うん、大丈夫…
きっと大丈夫…
歩いていける…
びんとこなかったけど
本当なんですね
ただでさえ、人とのつながりがない私には、より孤独感が増し
寂しさがこみあげてきます
マザーテレサも初女さんも
ガイアシンフォニーも 見る機会がないまま
初女さんのおにぎりも 食べる機会がないまま
イスキアにも行けないまま
だけど
もしかしたら
会いに行けなかった私のような人たちも たくさんいるだろうから
空の上から そっと見ていてくれるかな
それとも 叱られるかなあ
少量作るの面倒で食がみだれがちだから みはなされるかも
初女先生を思う人の心の中で生き続けるのだと思います。
先生の94年間は、今この時を丁寧に生きる、そのことだったように思います。
それが、どんなに大変なことか…
でも、先生の見せてくださったこの生き方が、これからの私たちの道しるべとなって行くのだと思います。
あなたは、もうすでに初女先生と出会っているんですよ。
ブログで初女さんの訃報を知りました。
ショックでした。
一度、初女さんの講演を聴くことが出来ました。
持っていた本にサインを下さいました。
宝物です。
少しでも初女さんの生き方に近づけるよう、言葉をかみしめながら日々過ごしたいと思います。
弘前方向を向き、初女さんのご冥福をお祈りします。
これからも拝読させてもらいます。
よろしくお願いします。
初女さんが…と……
やっと、一歩を踏み出した矢先に、意識不明に…
意識を戻った生きていることさえわからず、医師や
看護師さんのケアで、何とか生きて延びいたものの
生きる方向を見失いかけて、それでも、山に戻った時、いただいた絵ハガキの初女さんのおむすび…を
台所の入口に貼っていたのを見つけて…
帰ってきた喜びを感じたのですが…
文字を理解するのも少しだし、料理もまだできないけれど、初女さんのお料理に対する姿勢は覚えているので、
思い返しながら、やっていきます。
どうか、寒い時期、お身体大切に。
お心がひしひしと伝わって来ます。
先生は最後の最後までイスキアに思いを寄せていたようです。
初女先生の94年間の人生は、丁寧に生きるそのことだったように思います。
初女先生は、一人ひとりの心の中で生きてるのだと思います。
悲しいけれど、淋しいけれど、先生は今までよりずっと近くにいて、心を静めれば私たちの問いに応えて下さる、そのような存在になったのだと思います。
これからは、心の中の初女先生と沢山お話しましょう
その手があったんですね!
とても 救われた気がします。 ありがとうございます。
貴方の心の中に
そういう方です。初女先生は…