2019年が終わろうとしています。
色々なことがありました。
息子が結婚して家を出たり、母が施設に入所したり
夫のことも…色々あるのに不思議とそれらは何か
現象の様に感じられるのです。
この一年で一番確かなことは、ほぼ毎日坐っている
ということなんです。
毎朝、坐ったからと言って何が起きる訳では
ないのですが、坐ったという事実は自分の中に
蓄積されていくように思えます。
苦しいこと、嫌なことがあると以前は、あれこれ
考えたものですが、今は考えるより
取りあえず坐ってみようと思うのです。
そして、坐ると波立っていた心が平らに
なるのです。
何一つ解決していなくても、心は納まるのです。
4月から坐り始めた時に一つだけ心に
決めたのは、当てを持たずに唯坐る
それだけでした。
続くかどうかも分からず、10分だけ坐って
いました。
今は30分です。
始めの頃は、早く時間が過ぎないかと思って
いたのに、今は30分は坐りたいと思うように
なったのです。
人は問題が起きると、頭で考えて解決しようと
します。
それが自分の思っているようにいかないと
悩みや苦しみは深くなります。
でも、そうであっても心が穏やかであれば
例え解決出来なくても大丈夫なんですよね。
人間ってそういうふううに出来ているのかも
しれません。
村上光照老師は、日々穏やかに暮らせたら
それは悟りですと、言われたそうです。
思い悩む前に坐ってしまえばいいのです。
なんと簡単なことでしょう…
大脳が複雑にしてしまいますが、私たち人間の
本質って、実はシンプルなのかもしれません。
1年坐れば顔が変わってくるといいます。
楽しみです~
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます