一昨日のブログに、空海の「悲しいかな 悲しいかな…」と
書きましたが、六甲修道院の高木シスターの「人生の三分の一は
悲しみの中にいます」という言葉を目にして、私は驚きました。
そんなに多い訳がないと思いましたが、人生で遭遇する悲しみは
特別な出来ごとだけでなく。日常的に遭遇する喪失体験(仕事を
失くした、プライドを傷つけられた、高齢で今まで出来てることが
出来なくなっていく…)など、生きていくことは悲しみの連続だ
そうです。
そう思うと、喪失を体験してない人はいないことになります。
人生の三分の一が悲しみの中というのも、分かる気がします。
高木シスターは「悲しい時には悲しんでいい。
涙をこらえないでください。希望はそこから生まれます」と
言われています。
「悲しいかな 悲しいかな」と、思い切り悲しんでいいんですね。
希望は夢の中から生まれるのではなく、産道を通って生れて来る
赤子のように、悲しみや苦しみを通って初めて生まれて来る
ものなのかもしれません。
その悲しみを誰か聴いてくれる人がいると、心が素直になって
いくそうです。
空海の悲しみは、仏様が聴いて下さったのでしょうか…
初女先生は、「今は、話したい人はいるけれど、聴いてくれる
人がいないのよ」と言われています。
先生は高齢の為、耳がご不自由です。
悲しみ苦しみを抱えている方は、消え入るような声で話され
ます。
初女先生は、その声を心で聴いているのです。
今日も心を傾け一心に聴いている初女先生がいます…
書きましたが、六甲修道院の高木シスターの「人生の三分の一は
悲しみの中にいます」という言葉を目にして、私は驚きました。
そんなに多い訳がないと思いましたが、人生で遭遇する悲しみは
特別な出来ごとだけでなく。日常的に遭遇する喪失体験(仕事を
失くした、プライドを傷つけられた、高齢で今まで出来てることが
出来なくなっていく…)など、生きていくことは悲しみの連続だ
そうです。
そう思うと、喪失を体験してない人はいないことになります。
人生の三分の一が悲しみの中というのも、分かる気がします。
高木シスターは「悲しい時には悲しんでいい。
涙をこらえないでください。希望はそこから生まれます」と
言われています。
「悲しいかな 悲しいかな」と、思い切り悲しんでいいんですね。
希望は夢の中から生まれるのではなく、産道を通って生れて来る
赤子のように、悲しみや苦しみを通って初めて生まれて来る
ものなのかもしれません。
その悲しみを誰か聴いてくれる人がいると、心が素直になって
いくそうです。
空海の悲しみは、仏様が聴いて下さったのでしょうか…
初女先生は、「今は、話したい人はいるけれど、聴いてくれる
人がいないのよ」と言われています。
先生は高齢の為、耳がご不自由です。
悲しみ苦しみを抱えている方は、消え入るような声で話され
ます。
初女先生は、その声を心で聴いているのです。
今日も心を傾け一心に聴いている初女先生がいます…
ずいぶん昔から 特に女性が多いかなあ
とにかく みんな、いかに自分がいちばん大変な境遇かを 聞いて欲しいようだなあと つくづく感じていました。
だから、真剣に聞いていると、とても恵まれた部分には目を向けず 大変な部分だけを一生懸命話します。
私は、話を聞いてるとちょっと悲しくなるので 恵まれた豊かな環境の中にいる人々というのは こういうものなんだなあと思いました。
目が見えること 耳もちゃんと聞こえること 雨風しのぐ家で安心して眠れる日々 家族が健在なこと 実家から色々してもらえること 食べることに困らないこと…
衣食住に困らない人々は 豊かな衣食住と健在な家族の存在が当たり前
こういう人々に 本当に真剣に悩む人の気持ちは理解できないし 言っても分からない
だから、私は 自分のことをあまり話さないようになりました。話しても、理解したり 想像したり、共感できる人は ほんまに少ないですね。
さみしい大人たちだと思います。だから、子供たちも、大人に相談できないのではないでしょうか…
初女さんの言葉が またまた心の奥の奥に 響きました!
いつもありがとうございます。
7月生まれですか、うちの子と同じです。
人って、自分のことを受けとめてくれる人が一人いたら生きていけるような気がします。
おかげさまさんにも、初女先生と出会って欲しいです。
きっと、あなたの全部を受けとめて下さると思います。