初女先生は、よく「自然に任せましょ」と言われて
いました。
だから私も、判断に困った時など先生の真似をして
「自然に任せましょう」と言ってました。
でも、今回初めてこのことの深さが分かったのです。
先生の「自然に任せましょう」は、そこに自分が
ないのです。
私の「自然に任せましょう」は、どこかに
こう運ばれたらいいな~という、自分があるのです。
「我」があるかないか、それは天と地ほどの
差なんですね。
僧侶で作家の玄侑宗久さんが
「あるがままではダメだ。ないがままがいい。
あるがままでは、そこに自分という「我」が
あるから」と言われていました。
「自然に任せましょう」とは、自分という「我」が
ない世界なんですね。
私のように、初女先生の真似ではなく、腹を決めて
「自然に任せましょ」と決断しても、あらわれた
結果に揺れてしまうのも人間です。
初女先生の「揺れてもいい、芯が通っていれば。
揺れながら成長し、大きくなっていく。
それは、人も白樺も同じ」というお言葉が
揺れる心の支えとなってくれます。
深い深い、初女先生の愛情を感じます。
簡単に分かったつもりになって「自然に任せましょ」
と言っていた自分が恥ずかしいです。
先生は体験ほど確かなものはないと、言われて
いました。
本当にそうですね。
苦しい中でからこそ、頂けた気づきかもしれません。
有難うございます。初女先生
でも、めっちゃ揺れるかも…
その時は、側にいて下さいね。