「生は死に支えられ、死は生に支えられる」
これは息子が言っていた言葉です。
9歳の時に兄を亡くし、あれからずーっと「死」と向き合ってきた
21歳の息子の言葉です。
苦しみの末に、大切なことに気づいたんだなと思いました。
彼も、兄を探し続ける旅をしていたのです。
中学の頃は、天国の兄に届かないメールを送っていたようですが
兄を求める孤独の時間の中で、兄からのメッセージを感じられる
ようになったのかもしれません。
自分の生が兄によって支えられている…
それが、「生は死に支えられる」という言葉になったのでしょう。
初女先生は「亡くなった人が生前望んだように生きることが
いちばんの慰めになります」と言われています。
これは亡くなった人のいのちを生かすという意味でも、
言葉をかえれば「死は生に支えられる」と、なるのかも
しれません。
私は、若い頃はいのちは自分のものだから、自分が
好きなように生きる!と、言ってました。
なんという浅はかなことでしょう。
息子が、兄の死と向き合ったことは、「いのち」と
向き合うことだったのです。
これもまた、天からの贈り物でしょうか…
今日は初女先生の息子さんの命日です。
支えられる「いのち」を実感した今日と言う日でした。
これは息子が言っていた言葉です。
9歳の時に兄を亡くし、あれからずーっと「死」と向き合ってきた
21歳の息子の言葉です。
苦しみの末に、大切なことに気づいたんだなと思いました。
彼も、兄を探し続ける旅をしていたのです。
中学の頃は、天国の兄に届かないメールを送っていたようですが
兄を求める孤独の時間の中で、兄からのメッセージを感じられる
ようになったのかもしれません。
自分の生が兄によって支えられている…
それが、「生は死に支えられる」という言葉になったのでしょう。
初女先生は「亡くなった人が生前望んだように生きることが
いちばんの慰めになります」と言われています。
これは亡くなった人のいのちを生かすという意味でも、
言葉をかえれば「死は生に支えられる」と、なるのかも
しれません。
私は、若い頃はいのちは自分のものだから、自分が
好きなように生きる!と、言ってました。
なんという浅はかなことでしょう。
息子が、兄の死と向き合ったことは、「いのち」と
向き合うことだったのです。
これもまた、天からの贈り物でしょうか…
今日は初女先生の息子さんの命日です。
支えられる「いのち」を実感した今日と言う日でした。