今日は、再放送の「日野原重明 100歳」という番組を観ました。
日野原先生の講演は一度聴いたことがありますが、あの年齢で
ずっと立ったまま話されていたのには、本当に驚きました。
番組の中で、日野原先生の患者さんが二人旅立って行かれました。
満面の笑顔を遺して逝った女性は、その笑顔に家族が元気をもらって
いました。
この番組を作っている間に、日野原先生の奥さんの様態が急変して
救急車で運ばれ、先生が出張先から駆け付けるという場面が
ありました。
その時、日野原先生が奥さんがいなくなることが考えられない。
帰って来て、奥さんの手を握ることが出来なくなることが
想像出来ないと言ってました。
日野原先生ほどの年齢になっても、日野原先生ほど人の死を
診取って来た方でも…
最愛の人の死とは、そういうものなのかもしれません。
そして、その死と向きあい、乗り越えることがどんなに大きく
尊い事か…
親が子どもに育てられるように、遺された者は、その死によって
より深い人生を歩くことになるのですね。
それは、最愛の亡き人と共に歩く人生でもあるのですね…
日野原先生の講演は一度聴いたことがありますが、あの年齢で
ずっと立ったまま話されていたのには、本当に驚きました。
番組の中で、日野原先生の患者さんが二人旅立って行かれました。
満面の笑顔を遺して逝った女性は、その笑顔に家族が元気をもらって
いました。
この番組を作っている間に、日野原先生の奥さんの様態が急変して
救急車で運ばれ、先生が出張先から駆け付けるという場面が
ありました。
その時、日野原先生が奥さんがいなくなることが考えられない。
帰って来て、奥さんの手を握ることが出来なくなることが
想像出来ないと言ってました。
日野原先生ほどの年齢になっても、日野原先生ほど人の死を
診取って来た方でも…
最愛の人の死とは、そういうものなのかもしれません。
そして、その死と向きあい、乗り越えることがどんなに大きく
尊い事か…
親が子どもに育てられるように、遺された者は、その死によって
より深い人生を歩くことになるのですね。
それは、最愛の亡き人と共に歩く人生でもあるのですね…